3年Z組卒業の話
「桜の雨を僕は見た」は銀桂または銀土、お好きな方でお読みください。
銀桂で読んだ場合、「最終回はいりません」「endlessを信じたい」を、
銀土で読んだ場合「ようやく立てたスタートライン」「僕らどこへ行こうか」をお読みください。
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桜の雨を僕は見た銀桂or銀土
雨に濡れた。
皆が皆、酸性雨がどうとか言い始めたのはつい最近の話のような気がする。あたったら溶けるだとか禿げるだとか、そうやって笑い話にすることで、私達は私達の涙を誤魔化している。
雨が涙だと信じる私はロマンチストだと笑われるだろうか?
笑いたければ笑えばいい。嘘だと知りつつ信じているのは私の勝手なのだ。
はっきり言って科学的にも雨が涙だとは言えない。だって私の涙はアルカリ性で、雨は普通酸性だから。涙と雨は性質から違う、全く別物だ。でも、この相反した二つが合わさって、中性になって、地面にじわりじわり染み込んでいくことはあるのだろう。
そんな風に下らない言い訳をしながら私は涙を流す。雨の日だけ、雨の中で、涙を流すのは、泣いていることを知られたくないから。
今日は、こんなに酷い雨なんだから思い切り泣いてもいい。だから、泣いた。
そう、ぎゃあぎゃあと烏のように貴方の前で泣いてみたら、貴方は困った顔をしてくれるだろうか。そんなことを思いながら泣いてみたのだけれど流石に烏のような声まで出なかった。声と言えるのは偶に漏れる嗚咽だけ。
ああ、大きな声で貴方の名を叫びたい。目の前にいるのに遠くに見えるのはこんな雨の中で視界が悪いだけなんだと自分に言い聞かせた。
それから、きっと雨音で聞こえないだろうと思った私は今までずっと隠してきた本音を呟いた。
「離れたくないです」
突風で、雨が斜めに散った。それで涙も言葉も流れてしまえと、また泣いた。貴方を先生と呼ぶこの瞬間、僕は貴方との遠い距離に足を踏み出せずにいます。
「離れなければいいだろ」
ああ、でもいつだってその一歩を縮めるのは貴方なんですね。
いつの間にか私の目の前に立った貴方は、私の頬についたままの緋色の雨粒を拭って、笑って、言いました。言葉にも行動にも驚いて、また涙が出ました。
春、校庭は一面緋色になって、降ってくるのは桜の雨、貴方の一言がうれしくて、抱きつきたくなりました。
雨の中で思い切り泣いた私は、貴方の中でも泣きました。その広げられた腕に飛び込む時に、大好きですと叫んでみました。
貴方はそれが聞こえなかったと言って、もう一度言ってと言いました。
だから私は雨の中で何回も叫びました。
最終回はいりません土沖
「あ、ついに折れた」
いや、『どちらかというと折られた感じで』だが、校庭の2人は結ばれたようだった。
いつも泣かないアイツの涙は銀八の想いを覆すほどの力を持っていて、窓から見ていた校庭の銀色と黒色の距離は今は無くなっていた。そうして、いつの間にか桜の雨も止んでしまっていた。
後ろから僕と同じ様に校庭を見ていた彼はああ、本当だという顔でそれをみていたのだけれど、あんまり普通の反応にちょっかいを出したくなった。
「そういや珍しくアンタは泣いてないんですねィ」
馬鹿にしたみたいに笑うと、「まぁな」と短く答える彼。らしくない物言いに、苛、としてつい口が滑ってしまった。
「俺と離れるのがそんなに嬉しいんですかィ」
その一言で空気が凍った。しまった、今のは言い過ぎた。もしかしたら泣いてしまうかもしれない。誰がって僕が。
真面目に答えられたら困る気さえして、だからあわよくば黙ったままでいて欲しいと思った。誤魔化しが効くかはわからなかったけれど、逃げたくて席を立った。
そう、ここから逃げてしまえばアンタとはもうさよならだよ、と。走りだそうとしたのだけれどそれが結局叶うことはなかった。
「まて、」
低い声が耳に届く。腕を強く掴まれ、引っ張られた僕は後ろに倒れそうになった。でも後ろには彼がいるから、そのまま倒れたら彼にぶつかってしまうのは明らか。それだけはどうしても避けたくて、少し必死になって体制を立て直した。
「っと……なんですかィ」
平静を装う、これが僕の得意技でもあった。
「誰が」
彼はそこでいったん言葉を切ってから、珍しく『真剣に』声を荒らげた。
「誰が嬉しいなんてっ!」
その双眼は確かに僕を見つめていたのだけれど、きっと僕の姿はぼやけていたに違いない。だってそこには赤く充血した瞳がふたつ。
「ひじ………」
言うな。と上から降ってきた一言で僕は黙った。黙って、下を向く。彼の小さく震えた手は僕の頭に乗っかって、上を向くなと押さえつけていた。
「正直、お前が好きだったよ」
「過去形でいいんですかィ?」
「……分かってることを聞くんじゃねーよ」
彼があんまり照れくさそうに、しかも涙声で言う。桜の雨は僕を感傷に浸らせ過ぎた。だから本気すぎて重いんだよ!と茶化す事も出来ないまま、僕もうっかり、泣いてしまったんだ。
endlessを信じたい坂高
黒板いっぱいに書かれた数式はまるで呪文のようだ。ずらずらと黒板を隅から隅まで埋め尽くす白墨は、俺にとってはなんの意味も持たないが、彼にはとっては深い意味があるのかも知れない。まあそんなものこっちのしったこっちゃないけれど。
終わらない計算。
終わらない無言の時。
それが逆に心地良い。
まだ少し寒い外と違って暖房も入って陽のあたるこの部屋は暖かいから、俺はこのまま時間をつぶしてもいいと思った。カツカツカツカツ、黒を擦る白の音。ああ、答えが出ない限り2人過ごせるならば、その答えは一生出なくても良い。
机に伏して両腕で枕を作って、頭を乗せて、窓の外に見える空を見ながら、そんなことを考える。
もう何分経ったろうか。普段うるさい程喋る彼が普段着ないきっちりとしたスーツを着込み(普段はくたびれたスーツを着ている)、ただひたすら無言で数式を書いては消し、書いては消しを繰り返しているのは少し気味が悪いかもしれない。
数時間前まで騒がしかった廊下の奥も今は静かだ。それは皆が帰っていったのを物語っていた。世界に2人だけが取り残された錯覚に陥るが、それに優越感すら感じてしまう。同時に、もし世界にこんな数式男と2人きりにされても困るな、とも思って、苦笑した。
いつの間にか陽が傾いている。視界に入った太陽に目を細めながら、それがゆっくりと墜ちていくのを見つめる。まだ、計算は終わらないのだろうか。
飽きた、と呟いたら、くすり、と笑い声。
顔を上げると、彼はまだ黒板に向かっていた。ただ、もう白墨は握っていない。
「もう良いのか」
「ん、終わらんことがわかっちゅう」
ハハハ、と大きな声で笑った彼は、こちらを振り向きにこにこしたまま白墨を握っていた手を払った。俺と彼の距離はたった数歩で詰められる距離。けれど彼はあえてその距離を詰めようとはしなかった。
きっとその理由を俺は知っていたのだ。(だからこちらから言わなければいけない)
「坂本」
「先生が抜けちょる」
「辰馬?」
「……先、」
「もういいだろ」
彼の言葉を遮って立ち上がる。(椅子という無機物が床を擦った。)
卒業した俺も、計算が解けないお前も、もう只の人なんだ。きっと、多分、そうなのだ。だから、埋まらない生徒と教師という枠をこちらから足を一歩踏み出して埋めてやった。
「好きです」
「知っとうよ」
「愛してる」
「それも、知」
「あんたはどうなんだよ」
感情を込めた筈だったのに、軽く聞こえてしまうその言葉を、彼はどう感じているのだろう。ああ、好きとか愛とかいったい誰が考え出したのやら。
(なぁ、ようやくフェアな立場で聞ける本音を、隠すなって、頼むから)
ざわついて仕方ない心臓と、緊張して動かない足と、絡まった思考とが、その数秒を数十秒に感じさせる。
「多分一生離さんぜよ?」
思考の停止と、開始はほぼ同時。笑い声に顔を上げて、こちらも笑ってやった。
「それが一番聞きたかった」
抱きつきたい気持ちを抑えて、下を向いた。
(酷く緩んだこの顔を見られれたら、彼はまた笑うだろう)
(ああくそ、子供扱いすんなよ!)
ようやく立てたスタートライン沖神
卒業式が終わってからもう五時間近く経っている。教室にも廊下にも校庭にも人はいない、筈だった。
「終わったアルか?」
「終わったんじゃねぇか?」
数分前から俺とこいつは中央玄関の隅から校庭の様子を見つめていた。視線の先にいるのは我らが担任と我らが風紀副委員長。あんたらやっぱりそういう関係だったんだ、と確信しながらも、動きそうにない二人を見ながらどうやって帰ろうと考えていた。その考えはこいつも同じだったようで、さっきから隣で早く帰れと呟いている。
校庭は桜色、隣にいる彼女の髪も似たような色だ。いや、正にその色なのかもしれない。
横目にそのふんわりした色を見て、気分を回復させる。俺と彼女はいつも喧嘩ばかりしているが、それは簡単に言うと好きの裏返しだ。小学生じゃ有るまいし、とは思うけれど。きっとこの距離は縮まらない。俺に彼女よりも好きな人が出来て彼女を忘れるまではきっと。
「もういいアル、裏から帰るネ」
じっと校庭の二人を見ていた彼女だったが、流石に痺れを切らしたらしい。いや、彼女にしては持った方か。
「俺もそうするかねィ」
上履きはもう靴箱に入れない。明日からこの学校に用はない。上履きを履いたまま、靴を持って、裏玄関に向かう。裏まで来て彼女の足元を見ると彼女は上履きを履いていなかった。
「お前スリッパは」
「おいてくアル!」
元気一杯に答えられた。
「なんで置いてくんだよ」
「持って帰っても使わないアル」
まあ確かにそうだ、おいて帰れば勝手に処分されるだろうし。俺も置いていこうかなぁと考えていると、彼女がチラッとこちらを見て、言ってきた。
「お前、ボタンが全部残ってるアル」
ププ、と笑いながら言われたが、気になどしない。(普通の男なら気にするのかも知れないが)
「あーコレ?好きな奴にしかやらねぇって決めてるから。でもまぁ、仕方ねーからお前にやるわ。要らなきゃ捨てろィ」
第二をブチッと引きちぎって、無理やりその手に押しつけてやった。彼女はぽかんとしてこっちをみている。
「なんでィ、その間抜け面」
そういえば彼女の瞳は青くて、今日の空のようだ。桜色の髪と、空色の瞳と、春は彼女にぴったりだ。
一体俺はどうしたかな、そんな春の陽気に当てられたのかも知れない。もしくは校庭の2人か。
「ばっ……かじゃねーノ」
口の悪さは相変わらずだったけれど、頬を染めた彼女を見る限り多少の脈はあったのかも知れない。まあ、今日でバイバイ、なんだけど。
「帰る」
「待つアル」
さっさと帰ってドラマの再放送を見ないと、と靴を履いたところで引き留められた。
振り向くと、照れたように顔を伏せて、携帯を差し出している。
「アドレス教えてやるから、赤外線!」
俺にはその顔は見えず桜色だけが見える。ただ、それだけ。
ポケットから携帯を取り出して、差し出されたままのかつんと携帯にぶつけた。
「俺から送りゃいい?」
(ああもう、これじゃバイバイもできねーな)
僕らどこへ行こうか高+桂
「ダルい」と言って卒業式にも出なさそうだった彼を無理矢理に学校に連れてきて、「退屈だ」と言って大人しく椅子に座って居なさそうだった彼を一時間以上座らせておいたのは、我ながら苦労の賜物だと誉めてやりたい。卒業証書授与で、ちゃんと返事をさせて、立たせて、皆と一緒に座らせるのも上手くいった。
ただ、式が終わってすぐに疲れたと言ってどこかへ消えた彼を止めることは出来ず、結局高校最後のLHRに彼の姿は無かった。
*
屋上は、いつ来ても彼が居る気がする。生徒の溜まり場にならないように、たまに教師達が見回りに来る筈なのに、いつ来ても、彼は居るのだ。
その重い扉を押すと、ギ、と錆び付いたネジが鳴る。彼は大抵、右手の端にいる。扉から覗くように確かめると、やっぱり彼が居た。煙草を隠す素振りもみせなかった所を見ると、俺だと気づいていたようだ。
「まだいたのか…来島が探していたぞ」
「知ってる」
きっとメールか電話が来たんだろう、彼は携帯を上げてそれをひらひらと降って見せてきた。なんだ、と近付いて、外の空気を思い切り吸い込む。多少煙草臭かったが、今日くらいはそれも許そう。
「あ、そういえば言ってなかった。卒業おめでとう」
なぁ、これで自由じゃないか、と笑ってみた。
「自由ってなんだよ」
そんな事を聞いてくる彼はまだまだ子供だと思う。確かに俺もわからないが、それは問うてはいけないこととも知っている。子供のようで子供ではない俺は、自由を問う変わりに自由によく似たものは知っている。
「多分ああいうことを言うんだろうな」
フェンスを掴んで、屋上からグラウンドを見下ろす。カシャンと鳴った鉄格子の音に釣られて彼も下を見た。その視線の先にいるのは、見知った二人。揺れる桜色に白と黒、不思議な空間にいるせいか二人は自分が知っている二人のようには見えなかった。
「雨」
彼がそうつぶやいたのでつい空を仰いだ。だが、空は綺麗に晴れている。それを見ていたのか、彼は短く違うと呟いて、
視線を彼らの方に向けた。
「桜の雨、が」
「ロマンチストなんだな。意外に」
「意外にって、なんだよ、それ」
「思ったままを言ったまでさ」
きっと俺達は互いに気分が良かった。何故かなんて考えるまでもなく、ただあんまりにも綺麗だったもので。(晴れた空も桜も二人も彼も)
「帰るか」
「あいつらの横通るのだけは御免だぜ」
「わかったわかった、裏からな」
(下らない時を過ごせるのがそれまでと知りながらも、「きっとまたいつか」という想像で満たされる僕らは、自由に憧れるティーンエイジャーだったのだ)