君の頬に触れられない程の衝動

素面じゃ言えないが酔っていても言えない。
例えばそれは愛の言葉。

ふと、この膝の上で眠る男に「好きだ」と言えたなら良いのにと思った。(昔は無邪気に言えていた言葉はもう幾年言っていないだろう)(我々は既に分別ある大人なのだ)
素面でそんなことを言うのは恥ずかしいく、しかし酔っていても(酒の冗談だ)と言われるのが怖い。虫の音(それは多分鈴虫であった)が耳に心地よい程度に鳴いて、月は太陽の様に照っている。
銀髪が月に照らされ反射する。
きらり、きらりと。
ふと、戦時を思い出した。感傷に浸ると同時に、猪口の中に残った酒を一気に飲み干した。(そう、嫌な事まで思い出さぬように)(彼は俺を抱いたのだ)

銀髪は眠っている。
今日は2人で酒盛りをし、途中酔うたと言う銀時に肩を貸していたら彼はぐたりと眠りこんでしまった。
それだけならまだしも、彼の頭はずるりずるりと下へ落ち、結果、今のこの膝枕の状態となってしまった。
燗が側にあって良かった。動けないのは足であって、上半身は動けるのだから。(全く動けない状態だったら直ぐにでも退かして居ただろうが)
秋の夜長は寒く、酒なしであれば体は寒さを訴えているところだ。
しかし片手を燗に伸ばしたら酷く軽かったのだ。
もう空だ。
起こすのは(多少)躊躇われたが仕方ない。起こす詫びだと柔らかな銀の毛を撫でてやった。
余りにふわふわとしたそれが気持ちよくて、つい頬に唇を落としてしまったりなんかして。(しかし酒の所為にはしたくなかった)
「…好きだなんて言えない」
(言ったら何かが崩れてしまうような気もした)
言葉にしてから空しくなった。(ああそれよりも起こさなければ)、と彼の肩に手を掛けようとした瞬間、
腕を掴まれた。
彼は目を閉じていたのに彼の手は的確に俺の腕を捕らえたのだ。
そして、薄く、目を開けて、言った。
「言ってよ、スキって」
月に煌めいた赤い瞳ははっきりと俺を映していた。(嘘だろ?)
「こたろう」
彼は反対の手で俺の頬に手を伸ばしてきた。(嘘だろう?)
そして膝上から重みが退いた。
視界が銀色だ。(思った時にはもう、唇に柔い感触。ふわりと酒の香りがした)
「俺は、好き」
体勢が苦しかったのか彼はまたすぐに膝に落ちたが、視線は絡んだまま。
「、冗談…」
声が震えた。
口を開きかけた時に酷く動揺していたようで、猪口が床に転がった音がした。
(酒の香がしたのは気のせいか?確かに彼は真剣だった)
「冗談で言えるほど、酔ってねえよ」
俺を見上げた紅の瞳が光ったのと、彼が起き上がっのは殆ど同時だった。すとんと俺の隣に座ると手を伸ばしてきて、頭を撫でた。
「…なにをする」
「かわいいなぁと思って」
…やはり酔っている。
触れた肌がとても熱いことに気付いた。
「かわいいよ」
嬉しくない筈であったのに、何故今こうも言い返せない?(酔っていたのは俺か、お前か)
(わからないまま目を閉じた)
(この手の震えは一体どこからやってきたのだろうか。誰も教えてはくれない。ただお前の肌に触れたら酒と共に溶けてしまうだろうと思った)

lickの神はどこへ行ったR15

桂はゆっくりと熱っぽい息を吐いて、自分の上にのし掛かる男を受け止めた。
「腕」
指先が白くなるほど布団を硬く握りしめた桂に、上から声が降ってきた。しかし彼はうまく聞き取れなかったのか、きょとんとした視線を男に向けて何事かと問い直した。
月白の中に男が居る。
鳩血色(ピジョンブラッド)の二つの瞳が桂の身体を刺すように見つめている。
(その眼を向けないでくれ)などと言えるはずもなく、桂はうるりと涙で濡れた瞳を向けた。(それが男の欲を一層駆り立てるとも知らずに)
男はもう一度「腕」とは云わずに黙って桂の手を取ると、己の首に回させた。
(嗚呼、"腕"か)
と思った瞬間、全身に衝撃。
彼は思わず愛しい男の背に爪を食い込ませた。
それを銀髪が痛いと思ったかどうかは桂の知る処ではなかったが、男は苦痛の表情を見せるわけでも嫌悪を露わにするわけでもなく少し笑んだ。
「実は爪立てさせんのおまえだけなんだよね」
薄れた意識の中、彼は聞いた。



目覚めると不慣れな香りが鼻につき、桂はその正体を確かめようと体をおこした。
はらりと布団が落ち、情事の名残が残る肌が現れる。気だるさの残るまま瞳を動かすと、窓際で男が煙草をふかしていた。
(珍しい)
ただそう思っただけのはずなのに、何故かその紫煙にむせてしまった。
「起きた?」
そのはっきりとした言葉に桂の背筋にザワリとしたものが走った。
身体が疼いたわけではない、"捕まる"、と本能が云ったのだ。
銀時は煙草の火を窓枠にぎゅうと押し付けた。
そして一瞬、瞬きをした間に銀時は桂の目の前にまで来ていた。
銀はそのまま彼に口付け舌を絡めたが、彼はまた激しくむせて目に涙を滲ませた。
いつの間にか、彼の両手は胸の前で銀時の両手に包まれている。
「…この煙草さ…」
何かの誓いのように、銀は口を開いた。
「土方のなんだよね…」
ヒジカタ、土方、ああ、真選組の副長殿か。
桂は煙草の入手先には納得したが、どういう経緯でそれを手に入れたのかを疑問に感じた。
しかしそれを聞くことは叶わなかった。
瞬間、桂はとんっと肩を突かれ布団に逆戻りした。軽く突かれただけであったが、気だるさが残る身体は簡単に布団に沈み、同時に上からのしかかる重みには抗えなかった。
「――っ、なに」
「なぁ…この香り覚えといて…捕まんなよ」
「俺が…あんな奴らに捕まるとでも?」
「思ってねぇけど…たまには心配位かけさせろ」
「貴様に心配されるほど俺は」
「弱いんだよ」
「……」
「手ぇ放したらどっか行っちまいそうだし、目ぇ放したら居なくなってっし」
「捕まらない…」
桂は宝石の色をした双眼をしっかりと見つめた。
「捕まらない。おまえが…いるかぎり は」
それでも最後の言葉は掠れてしまったが。
いつの間にか胸の前にあった腕は解かれ、桂は知らぬ間に男の背にそれをまわしていた。
かさぶたになった爪痕を指先に感じる。

(なあ覚えておいてやるから他人の香を纏うのは止めてくれ)
(だって駆け引きでもしないとおまえは俺の話を聞かないだろう)

そこにまた爪を立てれば血が出てくるだろうかと思う寸前にゼロ距離。

僕らが狂死する前に血の表現/微エロ/R-15

体中が熱い。
萌えるように熱くて瞼が重い。
脳が溶ける。
…助けて、

ここ から

でっけえ月がぽっかり空に浮かんでて、それがあんまり眩しくて眠れない。今日くらいはゆっくり眠りたいのに。なんでって?そりゃ月の明るい夜は天人が俺を殺しにこないから。雨の日は音も影も消されるから、いつどこで狙われるかわからないからおちおち眠れやしない。
だから今日はこうしてゆっくりしていられる―――のに眠れないなんて不思議なもんだ。
仕方ねえから散歩に出た。少し体を疲れさせれば眠れるかもしれない。昼間あんだけ暴れても疲れ足りないなんて笑えねーけど。(後から気づいた話だが、俺はこのころ不眠になりかけていた)
白銀の髪はさして自慢じゃないが月明かりによく栄える。夜に狙われる時はきっとこいつが目印なんだろう。突然変異種が生き残るには、強くなければならない。だから、俺が強いのはそのせいだと昔聞いた。その人は冗談でいったのかもしれないが、馬鹿な俺はまだそれを信じている。つきがまぶしい日はいつもその言葉を思い出す。
これ秋はたまらねぇ。ひどく感傷的になる。たまに吹いてくる涼しい風も落ち着くし、風に吹かれながら行き先もなく思想を巡らせつつ歩くのはなかなか風情があって楽しいものがあるけれど。ほらだって遠くで鳴くフクロウの声すら聞こえるくらいの静かさで「…っ…」
(…?………今、何か…)
「―――は…っぐ…っ」
………なんか、いる?え、これ、人間?というか人間であって欲しい。切実に!(恐怖の選択肢はコンマ一秒で消した)いやでもまて、人間も怖いかも。出来れば空耳で「…っ……はっ…」
…空耳ではなかった。
声はちょうど月明かりが差し込まない物陰の方から聞こえてきている。よく聞けば―――どうも、あの、その、行為の最っただ中のようで、だな。散歩なんかしなきゃよかった!
「……っく、はっ」
その時、聞いていないフリをして戻ればよかった。けれど戻らなかった。否、戻れなかった。その押し殺した苦しげな声は、どこかで聞いたことがある、から。足音をわざと大きく立てザリザリと、石畳を歩く。
「…ふ、っ…ん…」
気づかないほど夢中とかやめてくれよ…とは思うが足は止まらない。なぜって?
なぜって、この声は。
「……ヅラ…?」
人影が見えた、と、同時に鼻につく青臭い匂い。長い髪のヤツが座り込んでいる。どう考えてもアイツだ。
気づいた瞬間、足の先から頭の先まで痺れるほどの何かが貫いた。
気づかなければよかったと後悔してももう遅い。俺はぐちゃぐちゃになった頭で一体なにを考えていたのだろうか。わざと大きく足音を立ててすぐ後ろまで近付いたのに、俺に対しての反応は何もない。そして異様な光景に絶句した。
彼はひとりだった。
虚ろな目で、自慰行為に没頭している。手が添えられたそれは出し尽くしたように、薄い精液を流していたがそれでも彼は手淫を止めようとしない。俺にも気づかない。
つい叫んだ。
確かに名前を呼んだ。
しかし完全に聞こえていないようだ。反応がない。正常な意識もどこかへ飛んでしまっているようで、彼は行為を続ける。
「ヅラァ!」
思わず彼の手を掴んだ。
「、あぁぁぁああ!」
彼は一瞬、大きく体を揺らして息を飲んでから大声で叫んだ。なにか幽霊か物の怪でも見たように叫んだ。
「おいっ、桂、桂!」
目の焦点は定まっていない。少し間違えれば、恐怖で舌でも噛みそうな勢いで、彼が刀を持っていなくてよかったと心底思った。彼は叫び続ける。五月蠅いのと同時に悲痛なその声を聞きたくなかった俺は桂を押し倒した。
瞬時に口の中に指を突っ込んで最悪の事態を防ごうとしたが、ガリっと嫌な音と共に指に痛みを感じた。コイツ、本気で舌噛む気でいやがった。
「っの…目ぇ覚ましやがれ!」
平手か拳か迷ったあげく拳で一発頬を殴ると、桂は目を見開いた。数秒してから、焦点が俺に合って体中の力を一気に抜いたようだった。はあはあと肩で息をしている桂は抵抗する様子もない。もう大丈夫だろうかと彼の口から指を抜くと彼は盛大に咽(むせ)た。きっと血に咽たのだろう。
俺の指から血が流れていた。
「……っぎん……?」
「バカかてめぇは!」
ようやく俺に気づいた桂に罵声をひとつ。しかしこんな弱ってる相手に悪い気も、した。そうして沈黙。殴った手前、こちらから話しかけていいものか迷っていると桂が口を開いた。
「…すまないが…退いてくれないか」
確かに、俺は桂の口から指を抜いたが右腕は頭の横で押さえて、左腕は体と一緒に馬乗りで押さえつけた状態のままだった。さぞかし重いだろう。
「あ、ああ、わりい」
桂の細い身体から退くと彼はゆっくり起き上がり着衣を直し始めた。
「っ……すまん…見苦しいところを…見せた」
「いや、いい、んなことよりどうしたんだ…よ、」
と、盗み見た彼の肌が白くて絶句した。その色は見たことがある。血の気の引いた死人の肌の色だ。俺は思わず―――彼の腕を引いてその体を抱き止めた。…冷たい。
「…何だ、銀時」
「いや…なんでも…」
「なら離せ」
「嫌だ…」
桂は黙った。俺はその長い髪に顔を埋めた。
どくどくどく
心臓の音がする。
妙に速いそれは俺の心音か?
人は戦場で正しい思考を無くすと言うが、俺は大丈夫だ。…そう自負していた自分が、こんなにも、こんなにも腕の中の男に陶酔しかけているなんて―――狂っているの、か?
「ヅラ、オマエどうしたんだよ…どうしてあんな」
「わからない」
無視されるんじゃないかと思っていた俺の予想に反して桂はすぐに答えを返してきた。
「っ…脳が溶けてしまいそうで、苦しくて…熱い、し……気付いても…止められない。銀…俺はもうずっと前から血の臭いしか分からなくなっているんだ…味覚も…血の味以外わからなく……っ!く、そっ…こんな…こんなっ………っ!!」
こんなにも取り乱す桂は初めて見るような気がする。そりゃあ塾生時代に高杉とやってた取っ組み合いの喧嘩みたいなのは別として、だ。こいつが自分を卑下して話す様は本当に初めて見た。俺は何もいえず彼の腰に回した腕に力を込める。暖かい人間の熱を少し、感じた。
「…頼む、離してくれ」
「無理だ」
離したら彼が壊れてしまうような気がしていた。今日ほど、彼が弱々しく見えたことはない。彼はいつでも我慢を重ねてきたのだろう。誰にも何も告げずひとりで全て抱え込んで。不安と恐怖の積み木を毎日積み上げてきたんだ。そして俺はその不安定な積み木の崩壊日に出くわしてしまったのだ。―――彼は今まで何度積み木を崩したのだろう…。
「…ヅラ」
「ヅラじゃない、かつらっん…っ」
彼が反論しようと俺へと振り向く。その瞬時に唇を塞いだ。我ながら馬鹿だと思う。どうしたら彼が安心するのかわからないし、どうしたら不安を溜め込まずに済むのかもわからない。狂わずにいられる方法など尚更だ。何故て、俺も狂ってしまっているんだから。
この感情は同情というよりも、愛情だと気付いた。先ほど感じた痺れはきっと、どす黒い愛が具現化したものだ。もしここで俺が「好きだ」と告げたら彼は壊れずにいてくれるだろうか?
ちゅ、と音を立てて唇を離せば放心したような桂の顔が目の前にあった。「なんて顔してんだ」と言おうとしたのに声は出なかった。
(今更ながら気づいた。)
(俺はずっと昔からおまえが好きだった。)
(俺は今まで自分の気持ちを誤魔化してきたんだ。)
「ぎん」
「ん?」
「熱い、…頭が痛い」
腕の中で、桂はぐったりとしている。
「大丈夫、かっ」
言葉は途切れた。桂が俺に口付けてきた。それはすぐに離されたが、
「……抱いてくれ」
と、超至近距離で紡がれた言葉に俺の方の頭が痛くなった。桂は直した着衣をまた自分で乱し始めた。後ろから抱きすくめていたはずなのにいつの間にやら対面している。その上、俺の着流しまではだけさせ胸元に顔を埋められた。胸に舌が這う感覚がして俺のぼやけた思考は覚醒した。
「……っヅラ!待て!」
俺の声に顔を上げた彼の眼は欲情している。頬も赤い。正直これは女より魅惑的だ。
「…銀、頼む…」
今にも泣きそうな顔だった。心理的に追いつめられ、自制心が崩壊しかけているのだろうが、抱くわけにはいかない。
なぜって彼が好きだから。(ここで抱いたら壊れてしまう。なにも、かも)
「小太郎、」
普段呼ばない呼び方をして、再び顔を上げさせた。そしてまた唇を塞ぐ。
俺はこんな口付けをしたことがない。激しいのに、切なく甘い。舌を絡めれば桂は必死で縋ってくる。下手したらこっちが持っていかれそうだ。
まつげが長い。整いすぎた顔が、美しく歪む。口の端からは二人分の唾液が溢れ出る。それにひどくそそられる。だけど有り得ないだろ、相手は男だ。しかし体の芯から揺らぐものがあった。(桂は桂であって、女ではないのだ――)
「んっ」
彼のくぐもった声を聞いた瞬間、ドクっと心臓が跳ね、危うく己の雄が反応するところだった。嘘だろ。
そういえば何で俺はこいつに接吻なんか。
そうは思ったが、止める事なんて無理だった。角度を変えて深く浅く、全て―――そう、魂まで全部引き出せるんじゃないかと思うほどの口付けだった。ああ、
震える手で必死で俺の服を掴んでくる、やめてくれ、決意が崩れる。それでも唇を放す事は出来ない。たまに漏れる悩ましげな艶やかな声だけがリアルに脳に響いて。
くちりと淫猥な音を立てて唇はまた離れた。長いまつげは水滴を含んできらきらと月に反射する。きつく抱きしめた、彼の体温は暖かい。はだけた肌にこんなにもリアルな暖かさが。声を上げて泣いてしまいそうだった。
「こ、たろ」
髪を撫でれば柔らかい柔らかい。それがこの腕の中にあると思ったら愛おしすぎた。撫でているうちに、彼は静かに眠っていた。自分も相当眠たい。ただこんな場所で眠るのはさすがによくないと、彼を抱き上げた。
明日目覚めたとき何と言おうか。俺は平常心ではいられないかもしれない。このまま気づいてしまった想いを無視することが出来たらいいのに、それはもう出来ないかもしれない。
抱き上げた彼の軽さだけが今俺が感じられるリアルだった。


どうかその手を握らせて

眠りに落ちる寸前の声、が
あまりにも優しくて
そこに亡き人の面影を見た
気がした
けれど、足りない
それでも、足りない


目が覚めた時、股間に嫌な感覚がした。というか逆だ。感覚で目が覚めた。そんなことより今はとりあえず厠へ直行しなければ。
隣で眠る桂を置いて俺は部屋を出た。瞼の裏にはしっかりと昨日の光景が焼き付いている。男と言うのは時にやっかいな生き物だが、俺は昨日初めて桂を男として認識した気がする。(今までなんだと思っていたのやら)
白濁を吐き出して、身体的にはすっきりしたが、精神的には全くすっきりしていない。部屋には問題の彼が残されている。俺は一体どうしたらいいのだ?どうしようもないのか?とりあえず今は戻るしかない
桂は起きていた。俺におはようと言った。そこまでは正常だった。そこまでは。
「銀時」
桂は凛とした声で俺を呼んだ。
「んぁ?」
俺は血生臭い戦着を着込む最中で彼に背を向けていた。何事もなかったように過ごせているはずだ。と、自負していた。が、それを崩したのは彼だった。
「…昨日はすまなかった」
そうしてザッと不自然な布ずれの音がしたのだ。おかしい、そう思って俺は振り返った。(そして激しく後悔した)
小さく丸まる背、揃えた両手の指先、畳についた額、つまり土下座。
振り返った先に桂はいなかった。彼はその45度下に居た。土下座で。
「すまなかった」
束ねられていない長い髪が肩から滑り落ちて畳についている。なぜ、土下座。そのまま俺が放っておけば腹を斬ると言いかねない深刻な雰囲気で、彼は俺に謝った。
反射で、駆け寄った。
「ヅラ、顔上げろ、何も謝ることなんてねェだろ?」
それでも彼は顔を上げない。
「見苦しい所を何度も見せた、その上縋った」
「んなこと………!」
俺にとってはどうでもよくて、本当に些細なことであって、しかし本人にとっては重要で『そんなこと』では済まされないのだろう。
「…俺は武士としてまだ未熟だった。自制心すら持てないなんて最低だ」
彼は顔を上げずに言った。俺といえば何故彼がそんなにも思い詰めているのかわからずにいた。こいつはこんなにも弱かったか?
「すまなかった」
言い終わる直前に、桂の着物の首を掴みあげた。猫のように。
「ふざけんな、目ェ見て言えよ…それに俺は何も怒っちゃいねェっ…って何で泣くんだ」
「泣いてなどっ…っ」
泣いていないわけがない。どう考えても彼の頬を伝うそれは涙以外の何物でもない。彼は嫌々をする子供の様に頭を振った。
「もうお前には縋らぬと決めたのだ!手を離せ!」
「そんでまた独りで狂うのか?」
「……っ」
昔からくそ真面目で、馬鹿みたいに溜め込んで!人に頼ろうとしない。ただの一度も泣かない。(もしかして俺はこの歳になるまで彼が泣くのをみたことがなかったのか?)
「もう泣くなよ」
「だから泣いてなど…」
目尻に口付けを落としてやると彼が目を見開いたのがわかった。そんなに驚かなくてもいいのに。
「同情など」
「ちっげーよ馬鹿!おまえ、」
あ。ヤバい。このまま言って良いのか?さりげなく恥ずかしい、気がするんだが。
「………なんだ?」
桂は俺の変化なんか気づかないんだよな。変に天然で変に勘が良くて…なんだよほんと、気づくなら気付けよ!
「俺は、お前のことが、好きだ。こたろう」
「嫌いなら友人などしていない」
「………テメーこの後に及んで誤魔化すなんて卑怯な上にかなり酷いぞ」
「………………」
やっぱり、な。
俺だって、出来るならこんな時にこんな事で気付きたくなかった。
否、こんな時だからこそか。
「なあ、」
細くはないが決して強くもない肩に手をやる。ああ、こいつは昔からこんな肩だった。抱き締めるのは躊躇われた。俺は何が正しくて何が正しくないのか分からなくなっていた。こんなにも近くにいる人が好きなのに、ただ同性ってだけでこんなに揺らぐ。その上気づかないように目を逸らしつつ来たのに。昨日のアレで今日のコレだ。だけど本当、こうなってしまうと止まらないし、止めたくない。
目の前の彼はこんなにも、
…こんなにも
指を肩から頬へ滑らせ小さな唇に触れた。
口付けたい。
自覚してしまえばこんなにも容易く、理性は崩れていく、のに。
布団になだれ込むように抱き止める。完全に鎧を来てしまわなくてよかった。重さで彼を潰してしまわないから。

愛してるよ馬鹿野郎、陳腐な言葉で悪かったな

すべて夕暮れのせいにした3Z

桂がようやく日誌を書き終えた頃、時刻は下校を過ぎていた。季節が変わってきたのか、日はまだ完全に落ちていない。耳にキンとする空気が入ってくるほど静かな教室には彼ともう一人、鍵当番だった銀八がいた。
「…ねぇヅラ君」
銀八に日誌を渡して、さあもう帰ろうかと桂が鞄を用意していると窓際に立っていた銀八が思い出したかのように声をかけた。
「ヅラじゃありません。桂です」
訝しげに視線を向けると、銀八は外を見ていた。(オレンジ色に染まった髪が綺麗だと桂は思った)
「お前、前世って信じる?」
「なんですか藪から棒に」
「信じる?」
「…まあ人並みには信じてますけど」
「人並みって…」
「あるかもしれないですけど、実際自分は覚えてないし、信じようがないじゃないですか」
「そーだね」
「で、前世がなんなんですか?」
「……俺がさぁ…前世覚えてるっていったら驚く?」
その時になってようやく銀八は桂の方へ振り返った。その目は少し寂しそうで、しかし桂は目を見開いて、大丈夫かこの人はと驚きを隠せないようだった。
「あの、…病院に」
「行かなくたって正常だっつの」
「すいません。余りにも脈略がなかったので」
桂は何度か瞬きをして銀八に先を促した。
「夢にお前が出てくるんだけど、俺と同い年くらいでさ…で、戦争してる」
「戦争?」
「俺もお前も強くてさーばったばったと敵を斬ってくわけよ、」
「メルヘンですね」
「どこが?こんな殺伐とした夢もなかなかみないと思うけど」
「悪夢ですか?」
「……いいや?」
桂はまた瞬きをする。自分が戦争の夢なんか見たときはすごく嫌な夢を見た気になるのに。たっぷり間をためて否定された言葉の真意を桂はつかめなかった。
「そんな悪夢じゃないんだけど」
「けど、なんです?」
「俺の夢は戦争の真っ最中で途切れてるから」
「はぁ…、」
「だから……死なないでね?」
「?」
「…………以上!銀さんからのお言葉でした!はいはい、もう暗いから帰った帰った」
突然大きな声を出し、桂の方へと歩み寄った銀八は、さっと鞄を持たせ背中を押した。そう、だから彼の顔が一瞬赤く染まったのに桂は気づかなかった。
「先生」
それでも桂は扉の手前で踏みとどまると、くるりと振り返って言った。
「僕は死にませんよ」
「…どっかのプロポーズみてぇ」
銀八は目を細めて笑った。
その夢を前世だと確信したのは
神様なんて信じていないような君が、妙に確信めいて言ったからだ。

『地獄に逝かねば来世で逢おう』

なんて君らしくない言葉だと思いつつ、夢の中で頷いた。

ロベリア

「恋愛対象としてお前が好きだ、」
「…前々から変な奴だとは思ってたけど。そこまで…?」
一世一代の告白というものをした。
「…はっ、何を真面目に答えているんだお前は。冗談に決まっているだろう?それと俺は変な奴じゃない」
桂だ。

告白とも受け取ってもらえなかったそれは、ただ俺の心に傷を残して消えた。
しくしくと、左肩の傷が痛んだ。そこに右手を置いて力を込めて握ると、まだ塞がりきっていない傷に亀裂が入ったような気がした。自分はなんて自虐的なのだと今更になって思う。また力を込めた。爪を立てて抉ってやった。心の傷に気付かないように。
なんて 女々しい。


告白をされた。
「いいや、お前は変な奴だ」
一蹴してやった。
俺は、気付いていた。(アイツが俺をそういう目で見ていることを)
普段は本当に上手に隠しているのに、ごくまれに俺を見る目が違うのに気付いてしまったのはいつからだったか。人から好かれていると分かって嫌な人間はいない。相手が誰であろうと、「もてる」と言うことは誉である。だから俺も嫌な気分ではなかった。
昔からの友で、仲間で、腐れ縁で。そのまま気付かないふりをして生きていけば良いんだと思っていた。だから俺はアイツから告白されたとき、当事者のアイツにわざわざ助け舟を出してやったのだ。そうして彼はそれに乗った。それでよかった。
(なぜって俺は健全で一般なるノーマルだからだ)



会う度に、会う度に心が痛む。それを無視しようと肩の傷を掴む。いつまでたっても傷が癒えない一番の理由がそれだった。襦袢にはまた血がつくだろうが、もう気にはしない。
「あ、」
銀時が歩いていた。街中の雑踏でも目立つあの髪は目印だ。声をかけようかとも思ったが、遠くから見ただけで砕けそうになる心がまた粉々になるのが怖かった。心が砕けるのは防いだはずなのに、それなのに、
銀時の隣には女がいた。
リーダーではない女性で、腕を組んでいた。どこか他人事のようだと思った自分は強がっていただけで、実はグラグラとゆらついた世界が見えていた。頭が痛い。俺はまた傷を握った。血は着流しにまで染みていた。


貧血?
なんてお前らしくない。

こういう時に一番に世話を焼くのは高杉だったが今は離れている。俺以外の誰がアイツを看てやればいいんだ。俺はくだらない責任感を振り回して、ヅラの見舞いに行った。
彼は見て分かるほど痩せていた。ああ、俺のせいなのかもしれない。良心が少し痛んだ。
細った身体をまじまじと見ているとヅラが目を開けて、俺を見て、何か言いたげにして(けれど何も言わず)、そうして左肩を掴んだ。
あ。
その日はよく勘が働いた。ヅラの布団を剥がして、肩を掴んだ手を除けて、着流しも剥がしてみたら貧血の原因がわかった。嫌な色に変色した肩の傷は膿んでこそいないが赤黒い血をじわじわと流している。内出血もある。
「…馬鹿か」
「……」
きっと言い返すだろうと思っていたのに彼は何も言わなかった。ただ少し苦く笑った。(何笑ってんだ)
ああ。本当に馬鹿な奴。



ぐらりぐらりと視界が揺れるくらいはまだ大丈夫だと自負していた。血が足りないのもなんとなく分かっていた。けれど俺は倒れた。そうして、来ないと思っていた彼がきた。
「なに倒れてんだァ?」
「…高杉か、久しいな」
「テメーがくたばったって聞いたからよぉ、弔いの酒持ってきてやったのに」
「ふ、まだくたばっていなくて残念だったな」
「…元気じゃねぇかよ」
「そうでもないさ」
ん?と高杉は首を傾げて酒を俺の脇へと置いた。
俺も起き上がって鈍い痛みを鳴らす頭を抱えつつ高杉を見た。
隻眼になってしまった彼の目はいつ見ても美しい光を秘めている。そしてそのときもまた例外ではなくて、俺は少しその深い黒色に見惚れていた。
「なぁ高杉、俺は馬鹿か?」
「なんで」
「銀時にそう言われた」
「まぁ馬鹿っちゃ馬鹿だと思うけどよ」
「…どうしてだ?」
「昔のお前はそんなに弱い奴じゃなかった」
「俺は昔からこうさ」
「いいや、お前銀時に惚れてから弱くなった」
ああ、俺の事なんて全てお見通しという事か。なんて侮れない奴。(だって俺は一言も銀時に惚れたなんて言っていないんだ。本人にしか)
「弱いか」
「弱いな」
泣こうかとも思ったが、やめた。
「俺はどうしたらいいのだろうか」
「教えてほしいのか?」
「お前が知っているのなら」
なりふり構っていられたらそんなことは言わなかったのに。かまってなどいられるものか。
「もっと正直になれよ」
「正直に?」
「…まぁ今は何も考えねェ方がいいんじゃねぇか」
「そうかもしれない」
そうかもしれない。俺は静かに目を閉じる。微かに、酒の匂いがした。


「馬鹿はテメーだ。銀時」
「…うっせェ」
まさか高杉にまで説教される日が来るとは思っていなかった。
「全部知ってたクセによく言うぜ」
畜生、なんて勘のいい男なんだこいつは。高杉はアイツが俺に惚れてることも、俺がアイツを突き放すことも、アイツがこうなることすら知っていたのだろう。掌の上で踊る人形のようだとでも思っていたのだろうか。
「しかも盗み聞きたァ、」
「それは不可抗力だっつの」
桂を診に来たら、高杉が来ていた。俺はつい障子の前で立ち聞きしてしまった、それだけのことだ。
「馬鹿め」
高杉が俺を罵る。その言葉が何故か遠い。
「お前にとってアイツはなんなんだ」
友人で、幼なじみで、腐れ縁で、
「いつまで嘘を吐く?」
一生だ。
「…正直になるのはテメーの方だよなァ」
正直にはならない。なれない。



身体の傷は癒えた。心のほうは知らない。ただ思い出す度にチクチクと痛むのはやはり癒えていないという事なのだろうか。あれからまだ会っていないが、俺は万事屋へ行く決心をした。ただ今一歩進まねば俺は一生廃人であるような気がしたからだ。
「銀時、いるか?」
インターホンは鳴らしたが、中から物音はしない。出鼻を挫かれてつい溜め息が漏れる。帰ろうか?いや、もしかしているかもしれないと扉に手をかけてみるとそれはあっさり開いた。
(不用心な…)
そう思いつつも足は中へと向かっていた。
「銀時?いないのか?」
名前を呼ぶ度にチクチクする。しかしそれを気づかれてはいけないのだ。俺たちの関係は以前と変わらぬままであるはずだから。
「ぎんと…」
あ。
彼は赤いソファーの上で寝ていた。ぐうたらするなと一喝してやりたくなったが我慢した。
「…起きろ銀時」
起きない。分かっている。何年の付き合いになると思っているんだ。それに、今なら。
俺は静かに殺気を放って、刃を抜いた。そして寸分違わず、彼の心臓に向けて刃を突き立てる。
しかし刃は鈍い音を立てて止まった。
「起きたか?」
「…起きた」
それは彼の木刀によって止められていた。神業的なそれも彼なら許せる。そして俺は0.5秒前の彼の修羅の顔を瞼の裏に焼き付けた。(お前はその目がよく似合う)
「…俺の優雅な昼寝タイムを最悪の目覚ましで邪魔してまで何のよう?」
「先日の仕返しに」
「…仕返し?」
「よくも馬鹿呼ばわりしてくれた」
それまで見下ろす形だったが、彼が起きあがったことにより多少視線の差が狭まる。
「え、だからって俺命狙われてる?」
「狙われてるのは命ではないぞ」


え?と開いた口が塞がらなかった。当たり前か、キスされてたんだから。しかも深い。慌てて突き飛ばしたのに、力の差は有るはずなのに、悔しい事に彼が退くことはなかった。どこにそんな力があるんだと叫びたくなったが、それは唇が塞がっている為に不可能だった。しかも気付いた時にはソファーに逆戻りしてて、ヅラが上から覆い被さってきているし。息苦しいのは嘘でない。どこで仕込んできたのかと問いたくなるほど上手い口付けに流されそうだったが俺は必死に拒否していた。
暫くして唇は離れたが俺には永遠にも思われるほどだった。離れた瞬間突き飛ばしてヅラを睨んでやったら、むしろヅラの方がキレていて、俺を鬼の形相で睨んできた。
「好きだ馬鹿野郎、死ね、お前なんか」
後半二言が彼から発せられたとは思えない言葉で、俺は一瞬どうもくした。
「お前が好きだ、嘘でも冗談でもなく好きだ」
「い」
「お前が俺をそういう目で見ないのも分かっている。だから、いや、その、知っていてくれるだけでいい。俺はそれ以上望まない」
突然我に返ったように慌てる彼が、泣くんじゃないかとハラハラしていた。それもすぐに希有だと気付いたが。
「いや、冗談…」
「冗談ではない」
なんだったらもう一回口吸いしてやろうか、それともそれ以上の事をしてやろうか、そうしたら信じるだろう?
と、ヅラはいたずらっぽく笑った。やばいコイツは目が本気だ。
「わかるまで何回でも言ってやる、お前が好きだ銀時。」
好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ。
脳内で繰り返される言葉にくらくらする。やめろ、やめろ、やめてくれ。
「…無理だ」
「別に付き合えなどとは言っていない」
ざっくりばっさりあっさり。実際ヅラより俺の方が酩酊していたのかもしれない、そう思うほどヅラはあっさりしていた。だが俺はもう一度言った。
「…もうむり」
耐えられない。



夢なら醒めるな、とはこういう事か。と、妙に他人事のように感じたが、俺は確かに抱きしめられていて、その手は銀時のもので、…どういう事だろうか。
「ヅラのくせに、」
たのむから最期まで嘘を吐かせてくれよ。と銀時が言った。嘘、嘘、嘘?彼がどういう心情でそれを言っているかは俺には分からなかったがこの状況を甘んじることにした。(好きな人に抱きしめられている、それをなぜ振り払えようか)
彼の上に乗るような形になってしまった俺をギリギリギリギリ絞める腕は強まるばかりで、もしかしたら俺は殺されかけているのではないかとふと思った。銀時の顔は見えない。
そんなに告白が嫌だったのだろうか。それともキスか。ああ、起こした時のアレかもしれない。まあどれにせよ殺されてやる義務も優しさも俺にはない。
離せ、と声をかけようとしたら彼は突然腕を緩め俺の首筋に顔を埋め(髪がくすぐったいんだよ)、「ごめん」と言った。それに殺意は見られない。
「何故あやまる…?」
「ごめん」
「銀…?」
「ごめん、ごめん桂、好きだ」
「え」
ぐるりと視界は一回転して、俺の視線は天井に。
銀が上に乗ってきて重い。身長こそ違いはないが、体重には差がある。力で負けるかどうかと言えば短期戦では負けるかもしれない。いや、今はそんなことを考えている場合では…

泳がせていた目を彼に向けると、その瞳の中に俺が映っているのが見えた。きっと俺の目の中にも銀時が映っているに違いない。
ああ、やっぱりその目は好きだ。
「そんな目で俺を見んな」
平素よりほんのすこし低い声が俺の心臓を絞め上げる。目も声も怒っているような、昔、白夜叉と呼ばれた彼のものだった。
「何、弱くなってんだ」
弱くなったとまた言われた。そんなに弱いか俺は。
「昔のお前はどうしたんだよ」
昔の俺とはいつの俺だろうか?俺はいつでも俺なのに。銀時はまだ俺に抱きついたまま、少しずつ言葉を紡ぐ。
「好き、だ」
瞳の中の俺は動揺していた。ただ、期待だけが体中に染み渡っている。彼は俺を好きだといった。この後はどうなる?その期待が俺を包む。


「…ぎ、ん」
潤んだヅラの瞳がまっすぐ俺を見ている。やっぱり好きだと思った。好きすぎて好きすぎて見失ってしまうほどに。好きだったんだよ、昔から。長い髪とか、優しい目とか、物腰とか、喋り方も、声まで全部好きだった。それまで俺はノーマルだったし、ヅラに向けられる感情が女のソレと同じだなんて信じられずにいた。それでも名前を呼ばれる度に、触れられる度に感じるのは確かに恋で。(信じたくはないが俺は嫉妬心というものすらあった)それを上手に隠してきた。好きだという気持ちは微塵も見せず。そうしている間に先生は死んで戦争になった。いつの間にか好きだという感情は流されたように薄れていった。
それなのに
赤い夕焼け空の中、死体の中で佇んだ彼を見たとき
やっぱり好きだと思った。全身に血を浴びて夕焼けの赤と同化する中、彼の瞳は黒曜石のような輝きを見せていて、吸い込まれそうだった。
それはむしろ愛に近い感情だった。
その狂気に取り込まれそうになる彼の目はとても綺麗で、強かった。
だから俺はずっとそれを見ていたかっただけなんだ。
ヅラが俺を『そういう感情で』好きだということに気付いたのは多分俺が彼と同じ『そういう感情で』彼を見ていたからだろう。だから気付いた。ああなんだ両想いじゃないか、と。
けれど、彼が俺に触れる度、話す度に彼は弱くなっていく。力ではない、心が、だ。(まるで恋する乙女のように)だから俺は彼を突き放す努力を始めたのだ。何故って、俺の好きなのは強いヅラで、この世界が望んでいるのも強い彼で。(確かに自己満足だったのかもしれない。世界を変えるというお前の願いを叶えるために、強いお前が必要だと思ったのは、俺の自己満足だったのかもしれない。)
だから避け続けた。
お前は俺を恋愛感情なんかでみちゃいけないんだ。
それなのにヅラは俺に告白した。
だから俺は茶化してやった。
ヅラも冗談で流したのに。
今またこうして告白されて
キスされて
彼の強い目を見て
弱い目を見てどうしてお前は俺を揺るがすようなことばかりしてくれるんだ。
好きな相手から好きだと言われて嫌だと思う奴なんていないだろう?それにつけても俺はヅラの最初の告白の時から後悔と、自責の念に駆られていて、また再び好きだと愛を囁かれることになろうとは思ってもいなかったのだから!
「ぎんとき…?」
呼ぶな。呼ぶな。呼んでくれ。
矛盾がのし掛かる。
それでももう止められなかった。
たとえば一生を籠の中の鳥の如く過ごせばいいんだ。もしくは人形のように感情を無くしてしまえばいい。この世界を変えるなんていう夢を見ないようにして、俺だけを見て俺だけを求めて、話す言葉は俺の名前だけで良い。



「小太郎」
熱を孕んだ声に期待はどんどんと膨らむ。銀時も俺を好きだと言った。それは友人として、だとか幼馴染みとしての好きではない、俺と同じ恋愛感情の『好き』だった。キスされるかもしれない、あるいはそれ以上。望んでいいのなら望みたい。
銀はまた顔を俺の首筋に埋めた。彼の指先は耳朶を弄り、唇は息の熱さが伝わるほど耳に近い。早く言え、言ってくれ、俺が好きだと、俺を――
「愛してる」
「――っ」
「愛してる、こた、お前は?」
「、俺も」
「お前を壊していい?」
ほらその目。
俺が求めている、その目。狂気に負けた目だ。ああ
「好きなように壊せ」

好きだ。お前が好き。
ただ愛してる。


ロベリア+

「傷、まだ残ってる」
そう言って銀は左肩を撫でてきた。
「俺はあまり気にしていないんだが」
傷くらいなんだ。俺の体は前々から傷だらけではないか。それにお前だって縫合の痕が肩にも腹にもあるくせに。
「お前の肌白いから目立つんだよ」
暗にモヤシと言われているような気がしてあまりいい気分にはならなかったが、撫でる指がくすぐったくてそれどころではなかった。
「ヅラの悪い癖は自分を傷つけることだ」
確かにこの傷がまだ消えないのは俺が治りかけのところを何度もえぐったからに間違いない。元々の傷は浅かったような気もする。
「…ヅラじゃない桂だ」
「…しつこい」
その言葉にカチンと来て言い返そうかとも思ったが、銀時の指がすっと肩から腕へなぞったのに驚いて何もいえなかった。
「もう傷つけんなよ」
(俺のモノなんだから)
耳元でこそりと囁かれた。ドクリと心臓が跳ねる。


「弱くなんなよ」
もう一度囁いた。
だって俺は強いお前が好きなのだし。
「お前が側にいるなら弱くならない」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねェか」
そうして落とした口付けは甘かった。

見つめる視線の先、白黒同級生弓道部パロ

ストンと軽快な音を立て、その矢は的に当たった。感嘆の溜息と拍手に会場が沸いた。一礼をして道場から去る彼の顔に笑みはなかった。


あの試合の日もそうだったが、彼が弓をひく時は楽しそうなのに楽しそうじゃない。だけど俺が「楽しいのか」と問えば、彼は必ず楽しいと答える。ワケわかんねぇ、けど、楽しそうじゃない顔を見ているのも嫌な感じだ。だから俺は茶化すみたいに言ってやる。
「あんなの、俺にも出来るだろ」
「試してみるか?」
彼が本当に少し笑ったような気がしたから、俺はやってやろうじゃないの、と差し出された弓と矢と手袋(のようなもの)を受け取った。刹那触れた彼の左手には少し血が滲んでいた。それに皮が厚くなってタコのようになっている。痛そう。
「少し練習し過ぎたかな」
俺が顔をしかめたのに気付いたのか、彼は苦笑して言った。弓を握る時に擦れて、それが悪化してこんな状態になっただけだと彼は言ったが、痛々しいのは変わりない。
まあ、それだけ練習をしてきたということなんだろう。努力は裏切らないな、とつくづく思った。
「この前も全部あててたしなー…」
「皆中(かいちゅう)と言うんだ」
「へぇ、」
俺が感心して呟いた言葉にまで反応してくれた彼は、堅くなった指を撫でながら少し笑った。でもやっぱりそれはどこか満足していないような笑い方で、何が不満かは知らないが全く楽しそうではない。
「なんで嬉しそうな顔しねェの」
「的にあてる事だけが弓道じゃないのさ」
「そ」
言いたいことはわかるけれども、だからといって俺にはどうすることも出来ない。人一倍頑張ってる奴に頑張れなんて言うのもアレだと思ったし、この競技を全く知らない俺に余計なことを言われたくはないだろうし。
しかし結局何も出来ないままというのは、嫌だと思った。好きな奴の支えになりたいと思うのは当然だろう。
「俺になんか出来ねーか」
「必要ない」
そう言ってのけた彼は音もなく立ち上がった。後ろで一つに結わえられた髪がさらりと揺れる。ほっそりと背の高い彼に、白の胴着と黒の袴は良く映えた。
弓を持つ手は痛々しくとも、凛とした場の雰囲気に飲まれれば痛みさえなくなるようだ。
彼はそのまま“座位”と書かれた札の位置に立った。ゆっくりと的を見据え、少し瞳を伏せると一礼をして“本座”と書かれた場所まで歩む。床と足袋、袴と袴が擦れる音がした。
的から一直線上の位置に立って、弓を左膝に乗せた。そうして矢を弦につける。
その動作一つをとっても、無駄がない。
弓を、引く。
キリキリと音がしそうなのに、無音で、風の音しか聞こえない。日曜の昼下がりに学校にくる奴なんていないからか、本当に無音だ。
ストンッ
と、音がした。慌てて的に目をやると矢は的の端にあたっていた。おお、すげえ、とうっかり感嘆の声を上げてしまう。
彼はその結果に満足したらしい。いつもの無表情が少し緩んで、目尻が柔らかくなった。きっと俺くらいにしかわからないだろうその変化に、少し嬉しくなった。
彼はもう一度弓を引く。その動作は素人の俺がみても綺麗で、丁寧だ。素直にかっこいいと思うのだ。
きりきりきり
また弓が鳴る。
今度はザッと音がして(そう、響かない音だった)的の方をみるとそれは土の壁に刺さっていた。的からはほんの少し離れている。
「うわ、おしい」
「見誤ったかな」
しまったという顔も見せず、彼は言う。俺はそんな彼のもっと沢山の表情が見たいと思って、それでも彼を見ることしか出来ず、ただ座っていた。また笑ってくれないだろうか。願わくば俺に笑いかけて。
「なあ銀時」
俺がぼんやりと思考に浸ったいると彼はふと口を開いた。
「なに」
「やらんのか」
「お前の見てるからいい」
「そうか」
見惚れる、その姿を目に焼き付けておきたかった。ただまあ欲を言えば無表情ではない顔が見たかった。
そんな想いを胸の中に押し込んで、俺はまた彼を見つめた。

(見つめる視線の先、白黒)

君は不器用すぎるのだ銀時視点

『君が私に永遠の愛を誓わなければ、君の側には居られない』
そんな事を言われた日には、小指一本捨てる覚悟で君に口付けを送る。

「死ぬまで、俺だけを見ていられるか?」
そう問われて直ぐに「はい」と言えない馬鹿正直な俺は、誤魔化すようにキスをする。心とは紅葉のように移ろいやすい。
正直に答えたら許してくれるのではないかと思って、「それは分からない」と、囁きながら耳朶を啄んだ。するとどうだ、みしりと音がするほど鳩尾に肘が入った。激しい痛みが局部を襲って、腕の中にあった温もりはいつの間にか三尺の距離をとっていた。あんまり抱き心地が良いもんだから忘れていた。彼は男で、死線を潜れるだけの力と能力があって、俺の背を預けられる存在だ。だから、今の鳩尾は痛い。息が止まる程だったからどれだけ本気で殴ったのが分かる。
彼は距離をとったまま、怒りを露わにして言った。
「ならば、俺に好きだと言うな。愛しているとも言うな。俺に期待をさせるな。そうしたら触れることだけは許してやる」
その言葉を聞いて、なんて豪気なお姫様なんだろうと抱き締めたくなった。殴られてもその愛を感じるだなんて、自分はマゾヒストなのかもと苦笑しつつ彼の言葉を反復した。
「抱いても、良いんだ」
「いい、が、優しくするな」
茶化すように言ったら、面白い言葉が返ってきた。俺がいつ優しく抱いたんだろう。行為の時はいつだってがっついて求めてしまう。優しくなんかない。
「抱きたければ俺を嫌って嫌って、酷く抱け。それが出来ないのなら他の女を抱いてくれ」
俺は彼が好きだし、彼も俺が好きだ。けれど俺と彼の考えは違う。俺は彼と今を生きたい。しかし彼は永遠を共に生きたいと願うのだ。
彼は言う。
「一生愛し続けてくれないのなら、俺に好きだと言うな。愛を語るな」
彼は気丈に振る舞ってそういうのだけれど、その言葉を簡単に言い変えれば、「俺がいなくなった時一人になるくらいなら今から一人の方がいい」ということだ。
俺がいなくなったり彼を嫌ったり裏切ったりするなんて到底有り得ない事なのだけれど、彼はいつだって怯えている。
きっと今、俺がここで彼に好きだと言って、一生愛すと言って、そうして抱き合ったとしても、彼は心の隅で疑い続けるのだろう。
この愛をどう君に伝えよう。
小指を一本切り落とし、それを君に渡そうか。片目を抉りだして、君に差し出せば君は安心して俺に抱かれてくれるだろうか。ああ、不毛な考えである。
「お前が俺に永遠の愛を誓わなければ、お前の側には居られない、銀時」
それははっきりと鼓膜を揺らした。だから彼の背に腕を回してきつく抱いて、大きく息を吸ってから唇を奪った。
今お前を殺したら、それは一生の愛になるだろう?
今お前を殺したら、それは一生を共に生きたことになるだろう?
愛していると言えやしない俺に無慈悲に永遠の愛を求めるお前。このまま窒息させて殺してやりたいよ。

ああ、叶うことならば。

(素直に好きだと言ってくれ!)

ああでも、好きでたまらないんだst.valentine!

なんで来ないの?
と、思っていても言えないのは言う相手が目の前にいないから。
世の中は携帯電話と言うものがあるけれど、大体、相手の電話番号を知りやしない。というか、携帯電話を持っているかどうかすら知らない。
(不毛だ)
こちらばかりこんなに想っているなんて、不毛だ。いつもいつもいつも待たされて焦らされるのは俺。やっと落ち着いたかと思うとふいっとどこかへ消えてしまう。
(…面倒な奴、)
もう会わなくて何日だろう。(こういう日位会いに来てくれたって良いのに)
「なんか銀さん、今日ずっと浮かない顔してますね」
ふと掃除をしていた手を止めて新八が聞いてきた。
「そりゃおまえ、バレンタインなのに貰ったのがダークマターとチロルチョコとか…浮かなくもなるわ」
「ああ…言うと思ってました」
「言うなら甘味をくれ、いや待てやっぱチョコをくれ」
「もー…仕方ないですね…」
糖尿病予備軍にほんとはいけないんですけどね、と少年は戸棚へ向かい、何かを漁り始めた。これは期待していいだろう、というか期待せざるを得ない。これで彼が出してきたのがチョコでなかったなら、何だというのだ。そして、彼が出してきたのはいくつかの箱。中身は言わずもがなだ。誰から?と聞くと僕と神楽ちゃんからです、と嬉しい言葉が返ってきた。
「あと…カマっ子倶楽部の人と、さっちゃんさんからの分もあります。あ、なんか知りませんけど坂本さんからも。でも今日1日で全部食べちゃダメですからね!」
あれ、あいつからは?とうっかり口が滑りそうになった。何も自ら墓穴を掘ることなどない。だが、その期待をしたのも事実で、やはりどうしようもない一方通行なのかもしれないと心中で大きく溜息を吐く。

しかし、新八から見せられたチョコレートの量を見てすこしは気分が良くなった。なんだ俺モテんじゃん、と素直に喜べない面子ではあったし、おかしなものが入っていそうな面子だ。しかしチョコレートに罪はない。何も入っていなければ、の話だが。
「はい、僕達からのせめてもの気持ちです。…でも今日はこれだけですからね。これ以上糖分とったら確実に糖尿ですから」
彼が差し出してきたのは小さな箱だった。残りは全て戸棚へ逆戻り。
ちょっとくれぇいーじゃねーか!医者かお前は!と拗ねてみるが、医者で結構!と、彼はさっさと掃除に戻ってしまった。まあ他は明日にするか、と渡された箱の紐を解く。中身は至って普通のチョコレートトリュフ、に見える。しかし問題これが手作りなのかどうかだ。手作りかどうか聞いていないし、そうであるならばそれなりに覚悟が居る。そんなことを悶々と考えていると、「中身は買ったやつですから安心してくださいよ」と笑い声。どうやら心の声がだだもれだったようだ。
「最初は作ってたんですけど、神楽ちゃんが姉上よりすごいもの作っちゃって結局……あれ、お客さんだ」
お前の姉貴よりすげーもんを作れる神楽のがすげーよ、見てみてぇよ、と突っ込もうとしたらインターホンの軽快な音。パタパタ足を鳴らして玄関へと向かう新八の背を見ながら、(もしかして、もしかするかもしれない。)なんて、ガキのように胸が騒いだ。
ギ、といつもの指定席の椅子にもう一度深く座り直して、玄関へと意識を向ける。
微かに新八の声は聞こえるのに相手の声が聞こえない。あの少し低いさらさらとした彼の声が聞こえてくるのではないかと思っていたのに、少し困ったような少年の声がするだけで、他には何も。
数十秒してまたパタパタ足音が聞こえてきた。あれ、早いな、と思っていると彼は右手に袋を持って戻ってきた。
「今の誰?」
「いや、桂さんだったんですけど、なんか様子が……あ、で、これって…え、ちょ、銀さん!?」
聞き終わる前に、足は玄関に向かっていた。既に彼の居ないその玄関から、少し奇妙な感覚。慌ててブーツを履いて、玄関を開けて、階段の方を見て。いない、下は?と、道を見る、が、いない。
慌てて階段を下りると、階段の一番下に座りこんだ長髪の男が居た。だるそうに、壁に半身を預けている。
「ヅラ!」
「………、」
ゆっくり振り返った彼はなんとなく虚ろな目をしている。顔色も良くない。
「な、おま、なに」
「別に…、」
そう言って視線を外し、目を伏せた彼に違和感を感じざるを得ない。何かおかしい。肩を掴んでこちらを向かせても、抵抗する様子はない。けれど、ぐらりと揺れて力の入っていないような身体は確かに弱っていた。肌にはうっすら汗が浮いていて、気だるそうに目を伏せて、苦しそうに呼吸をしている。
「何……風邪ひいてんの?」
いやいや、こいつが風邪でこんなに弱るはずが、と腹部を見ると、青い着物に黒い染み。
「ばっ…おま………なにこれ」
「傷口が開いただけだ」
「だけって」
「……………ちょっと黙ってくれ…喋ると痛い…」
「見たらわかるわ」
浅く早く息をする彼の手をぐ、と引っ張って立たせようとしたのだが、動こうとしない。
「ほれ、うちこい」
「いやだ」
「なんで」
「渡したからもういいんだ、帰る」
何を、と聞こうとしたが思い当たった。新八が持っていたあの袋、か。中身は多分、いや、確実に。
「なんで来たの…」
あんなに(何で来ないの)と思っていたのに、俺の口は矛盾したことを問う。
「……今日、は」
「ああ、いい、言わなくていいからこい、たのむから」
ああもうなんて情けないんだ自分は。コイツに頼むからだなんて言ってしまって!(弱ってるお前があんまり気丈に振る舞うもんだから俺が折れるしかないんだ、と心の中で言い訳をして)
「こんなヘロヘロになってまで来んな、俺が行くから」
「ぎ……」
「だから、次からちゃんと連絡しろ、どこにいるのか、住んでんのか」
なんだか逆に告白してるみたいになっていないか?とは思ったけれど口から出た言葉は戻せない。
「んで、今日はゆっくりしてけ!」
一気に腕を引っ張って立ち上がらせて、肩に担ごうかとも思ったが怪我が腹なのでそうも行かず、結局横抱きにして抱えあげた。
どれだけ俺が心配して焦れてたかも知らないで。まったく、ほんとはた迷惑で、馬鹿な奴。

(ああでも、好きで好きで好きでたまらないんだ)
(部屋についたら新八に頼み込んで、ヅラの分も食べていいように図ってもらわなければ!)

人魚はインクブルーの海に沈む3Z

確か、(コップ一杯のインクを海に入れて均一にしてから、その海水をコップ一杯分取り出したとき、そのインクの分子だか原子だかはいくつ入っていますか?)という問題だった。答えなんて忘れてしまったけれど、「海で死んだら、彼に還れる」という事を思ったのはしっかり覚えている。
(だってすくったコップの中には必ずそのインクが入ってる)


春の海は僕に冷たく、入るなと拒むように波打って足元を濡らす。冷たいそれがズボンを濡らして、じわじわと色濃い部分が上へ上へと上がる様子が、染め物のようで面白い。
学ランなんてもう着ないし、どれだけでも汚してしまおうと、バシャバシャ泥を蹴りあげた。
白い波が立つ度にそれを割るように蹴る。そんなことを繰り返していた時に、ふと、このまま深みへ行って潜って、溺れてしまったら、人魚のように泡になって溶けてしまえるのだろうかと考えた。(あれ、そう言う結末だっけ)
「……先生!」
水平線から地平線へと振り返り、僕は叫んだ。波に声を掻き消されないように精一杯叫んだ。けれど浜の奥、沢山のテトラポットの上で本を読む彼に、声は届いていなかった。一度きりで叫ぶのはやめて、僕はまた水平線を見た。あの太陽と同じ様にこのまま海へと沈んだら、彼は気付いてくれるのだろうかとつまらない事を思った。
つまらないと思った理由のひとつに、先生が人魚姫の中の王子様ではないことがある。ふたつめは、僕が悲劇のヒロインではないということ。それだけで答えは充分だ。どんな形でも彼は僕に気付く事ができるだろうし、僕も泡にはならない。(そう信じている)
ただ、泡になって消えるというのに胸がざわついたのは、心のどこかで、悲劇のヒロインになりたがっていたからに違いない。(でも、まあ、僕はヒロインではないけれど)
水の跳ねる音がバシャバシャと耳につく。けれど心地良い。足の感覚が消えていくほど熱く感じるのは何故だろう。

バシャ

ぐるぐると考えながら、迫ってきた波を思い切り蹴飛ばしたら押し負けた。体勢を崩した僕は、重力のまま、海底の砂へと尻餅をつく。顔にまで飛んだ塩水が口の中へ入ったのか、海くさい。
波は寄せて返して、僕の上半身を濡らして、風と一緒に体温をぐんと奪っていく。
「………このまま泡になれるかな」
手か足の先から溶けてしまえばいいのになぁ、と呟いた。希望というより切望に近かったかもしれない。

バシャ

「最後は風の妖精になるんだよ」
声がして、振り返ると、そこには足を濡らすのが嫌だと浜辺に居たはずの彼がいた。僕は両手を海底についたまま彼を仰ぎ見る。
「風になっても結局同じなんです」
「何が?」
「最後は貴方の身体になりますから」
僕は真剣だった。真剣だったから、彼の目を見た。髪が海水に浸かっているのがわかったけれど、かまいはしない。彼の白衣も同様に浸かっていたのだ。
(あれ、白衣はそんなに長くないぞ)
そう思うのと、彼が膝を折ったのを理解したのは同じ瞬間だった。
「そう思うなら、今抱きしめさせてよ」
「してから言わないでください…」
濡れた背中から体温が伝わる。学ランなんて厚い生地を脱ぎ捨ててしまいたかった。

(もし貴方の身体に還れるのなら、今この時が永遠でなくとも、一生貴方を思って生きていける気がしたのです)

good bye our school days!

多分、椿の花だった攘夷時代

庭に、椿が咲いていた。それは白い雪のような花弁を持った花だった。その花の垣根の先にいるものに、高杉は複雑な気持ちになっていた。折角の骨休め、縁側でのんびりとしていたいだけなのに。という想いに、つい言葉が出た。
「おおかみと、いけにえのひつじ」
抑揚の無いその言葉は、隣で横になっていた銀時にも小さくしか聞こえず、正に独り言のようであった。
「スケープゴートっちゅうやつじゃな」
しかし、坂本はその言葉を拾い、理解したように繰り返した。先ほどから坂本は、何が楽しいのやら椿を摘んでは高杉の髪に飾っている。(高杉がそれを嫌がらなかったのは、ただ疲れていて、坂本に割く分の気力がなかったからであった)
「ああ、桂はまさに生け贄の羊だな」
高杉は愉しげに口の端を歪めた。花が一輪、髪から落ちた。
「……何の話?」
桂、という単語に簡単に反応してしまうのは、あの世間知らずな幼なじみの事が気になるからであって、高杉と張り合っているわけではない。心中でそんな言い訳をしながら、銀時は問うた。
その寝転んだままの態度が気に食わなかったのか高杉は不機嫌そうに片眉を上げ「あれ」と、短く答えた。
顎で指したのは庭先の椿。銀時はさっぱり訳がわからないという目をして起き上がる。
「そん奥じゃ」
ぬっと近付いてきた坂本が、秘め事を話すように小さく銀時にささやき、視線で先を示した。そこにいたのは数人の男に囲まれる桂の姿だった。
「またお誘いかのォ」
「そりゃそうさ、あいつは唯一の華だからな」
言いながら、髪からひとつ椿を取り、銀時へと投げた高杉は、物憂げに笑う。
「何が言いてぇんだよ」
その表情が気に食わなかった銀時は、先程の高杉の様に眉を上げ、問う。
「ちゃんと見といてやれよ、お前、あいつが」
好きなんだろ、といいたかったのだが、高杉はそれ以上の言葉を止めた。
桂が、こちらに気づいて駆けてきたからだった。
ひとつに結った髪は未だ艶を持ったまま。戦中の食料不足の状態でよくもまぁ美しいままだ、と感心する。そんな三人の想いを他所に、桂はその髪を解くと、柔らかく笑ったまま銀時の前へと立った。
「いま、砂糖菓子をもらった」
その嬉しそうな口調に銀時が苛立ちを覚えたのは他でもない、自分ではない他人からの施しに笑って欲しくなかっただけの話である。簡単に言えば、嫉妬。苛苛するなぁ、と妙に他人事の様に感じていた銀時に、桂はその手を出してきた。
「お前が好きかと思って貰って来たんだ」
桂は銀時の手をとると無理矢理持たせるように、それをその手に握らせた。その行為は無邪気な子供のようで、しかし何か別の思惑を秘めたもののようで。一瞬にして胸に広がった嬉しさを抑えて、いつもの顔で「おう」とだけ答えた銀時の頭の中には桂の言葉が、頭の中で繰り返していた。
「ヅラ、俺にはねぇの?」
「ヅラじゃない桂だ。後で、酒でも持っていくか?」
「いいやつな」
銀時の機嫌を悪くしようとした高杉は、わざと桂に尋ねた。高杉に対しても笑顔で答える桂に銀時の気分は下降したが、やはりそれを顔に出すことはしなかった。
「ほいだらヅラは皆にあげっぱなしじゃ」
「ああ、じゃあこいつやるよ」
気を効かせたのか、それが地なのか、坂本が陽気な声を出す。その言葉に乗った高杉はすっと立ち上がると、自分の髪についていた花を取り、そっと桂の髪へと絡めた。
白く小さい椿の花は、坂本に摘まれなければもう少し長生きできたかもしれない。
「似合うじゃねぇか」
黒髪に染みひとつない白の花。高杉は納得したような顔でそれを見つめる。
「綺麗な白だ」
桂は銀時に視線を向け、どうだ?と楽しげに問うた。
「お前の色だ」
銀時がドキリとしたのは、言うまでもない。それでも悟られたくなくて「俺ァ銀髪たっての」と言い返した。
「そうではなくて…」
桂はその言葉を否定しかけたが、言葉を切った。それ以上を言うには少しだけ足りないものがあった。
ぱさり、と静かな音を立て、垣根から椿の花が落ちた。
(煮え切らない奴等だ)
思ったのは誰でもなかった。

(多分、椿の花だった)

あなたのぬくもりが消えません

「…お帰り」
「………ただいま」
柄にもない言葉をかけたら、同じように柄にもない言葉が返ってきた。久しぶりに会った彼との会話は、妙な沈黙で気まずくなってしまった。
万事屋の玄関先に座り込んで、縮こまっていた彼を見下ろすと、彼はこちらを見上げて苦笑した。
その少しやつれた顔が、彼と俺との世界の違いを決定的にしているようだ。
「…入れば?」
玄関を開けながらそう言って彼を誘う。彼もそれに無言で応えて立ち上がる。これからの行為を分かっていても尚その一連の流れを繰り返す俺達は、誰も居ない部屋へと足を踏み入れた。


それは志村家で夕食を食べている時の出来事だった。
「銀ちゃん、またヅラが脱獄したアルよ」
テレビのニュース速報で伝えられたのは『攘夷志士 桂小太郎、真選組獄内より脱獄、現在も逃走中』というたったそれだけのニュースだ。
「あ?いつものことだろ」
「きっと戻ってきてるネ、行かないアルか」
「………」
すぐに答えられなかったのは、こんな子供にも気を使われている自分が情けなかっただけで、他意はないのだ。動揺しているなど誰が認めるもんか。
「どうしたの神楽ちゃん」
「ヅラが」
台所から戻ってきた新八がこちらに声をかけるのと同時に俺は立ち上がった。そのせいか神楽はそこで言葉を切ってしまったが、新八はそのニュース速報に気が付いたようだった。
「…あ。じゃあ今日は神楽ちゃん家に泊めますね」
ちらりとテレビを見ただけで察したなんて、どれだけ勘のいいヤツなんだと内心苦笑してしまった。微妙に苦い顔をして笑う彼に、神楽のことを頼んだと手を振って部屋を出る。悪いことはしていないはずなのに、何故か子供を捨てる親のような心境になる。それもこれも全てアイツが悪いのだと頭を振って思考を捨てると、後ろからおやすみと少女の声が聞こえた。
やっぱり変な気分だと、俺は少年と同様に苦笑した。


「今回は1ヶ月だっけ?いっそのこともう一生入ってたら?あそこじゃいい御身分なんだろ?」
「阿呆か、誰があんなムサいところに1ヶ月もいるか。今回は2週間だ」
どうだすごいだろう?と言わんばかりの声で答えられた俺はそうだっけ、ととぼけるしかなかった。彼が気づいていないから言ってしまうが、俺はちゃんと会えなかった日を数えていた。だから今日が正しく言えば13日目だと言うのも分かっていた。
「それでも最近時間かかってるんじゃねーか?つか、どうして脱獄したら毎回ここに来るんだよ」
「……足りないから、」
玄関に座り、下駄を脱ぎながら彼は意味をこめて言う。ゾクリと背中をなぞった何かは、あまり焦るなと言う建前と、がっつきたくなる本音が交錯したものだった。
「足りねぇって、なに?真選組で輪姦(まわ)されたりでもしたの?」
嫌味のひとつもいいたくなるのは、俺と同じであるはずの彼が妙に澄ましているからである。
「なんだ?妬いているのか?」
ふふ、と笑うその背を見つめていた俺は、その言葉には特に反応せず、視線だけで細くなった身体を確かめていた。真正面から見た彼は2週間前と変わらないように見える。抱きしめたらわかるかな、と彼が足を一歩踏み出す前に抱きしめた。少し痩せただろうか。
「あ、風呂に入りたい」
久しぶりの彼の抱き心地に浸っていると、耳元で小さく声が聞こえた。
「なに?抱かれたアトでも残ってんの?」
「おまえ以外に俺を抱くような馬鹿な奴はいない」
「おま……俺がどんだけ悪の手から守ってきたのかわかんねぇの?」
「そんなもの誰も頼んでいない」
「じゃあ、そこらへん裸で歩いてみたら?お前の望みどーり抱いてもらえるぜ?」
「誰が望んでなどっ」
不毛な会話を繰り返すが、それもそろそろ飽きてきた。
「…じゃ、俺もいらねぇ?」
「あ、ちがっ…」
すっと身体を離すと、彼は慌てたように腕を掴んでくる。
自分から墓穴を掘ってくれるこいつを追い詰めるのはとても簡単なことである。だからつい意地の悪いことを言いたくなる。
「なんで俺なの」
これを訪ねるのはもう何度目だろう。
「お前が好きから」
そのはっきりとした答えを聞くのも何度目か。答えと同時にまた抱きしめると、彼が息を飲むのが聞こえた。
「っ……」
「……………」
もっと沢山、言いたいことがあったはずだ。けれど何も言葉がでてこない。好きだとか愛してるとか離さないとか、そんな陳腐な言葉を並べるくらいなら、きつくきつく抱き締めて、全身からわき出る感情を感じて欲しかった。彼を無くしてしまいそうだと焦る気持ちが怖い。
永遠を信じている人間は強いけれど俺は永遠が無いことを知っている。
だから弱いというわけではないけれど、偶に、永遠を信じてみたくなる。お前と死ぬまでの縁で居たい。2人で歳を取りたい。昔は生きることをあれだけ拒否していたのに、今はそう思う。(その簡単な心変わりも、永遠を信じられない原因の一つなのだけれど)
昔に愛した人間を、愛せなくなるように、お前の事も愛せなくなったらどうしようか。今はただそれが怖い。
「……銀時?」
「あ……わりぃ、考え事してた」
「………」
「あれ、なに?寂しかった?寂しかったの?そんなに目ぇ潤ませて……欲求不満ですかこのやろー」
「そう思っておけばいい」
「今日はやけに積極的じゃん」
「寂しかっただけだ」
一瞬視界が悪くなって、唇に柔らかい感覚が当たった。それから、人の体温より熱を持ったものが口内に入ってくる。
「ん…っ」
「は、何…?お前、そんなに寂しかった?」
「うん」
こんなに素直な彼は貴重な気がする。いや、いつもこんな感じだったかもしれないが、二週間も会わないままで忘れてしまっているのだ。
いや、でも、彼が何ヶ月もいなくなることなど今まで何度となくあった。
要するに、俺は、彼に依存してしまっているのだ。
(重症だろ、これ)
彼に関して余裕が無くなる自分が恐ろしい。
そんなことを思って色々と考え込んでいたのだが、彼がまたキスをしてきたのでそれ以上の思考はやめた。
ただ、もう一度強く抱きしめた。

(自分も寂しかったのだと言えたらよかった)

指先に星

数万の星は空にあるけれど、きっとそんな星の中ではあり得なかった話だ。
小さく光る地上の星たちが、君を(僕を)素直にさせたのだ。


街のネオンを通り抜け、山の方へ歩いていくと、そこには小さな川がある。その川ではこの時期、星が見られる。
「うわぁ!銀ちゃん!これ全部蛍アルか!?」
「あっ!神楽ちゃん!走ったら危ないよ!」
少女が、両手を広げてくるくる回りながら走っていくのを止めようと、少年も駆け出していった。その背中はその情景とあまりにもピッタリあっていて、素直に感動した。その時頭を駆け抜けたのは遠い日の思い出と同じような情景だった。(昔、こうして幼い背中を見つめていたのは自分ではないが)
「なんだか、微笑ましいな」
隣にいた彼がその呟きに答えてくれなかったので、横顔を盗み見た。銀色に光る髪と、白い肌。朱色に近い瞳、蛍の飛び交う闇のなかでぼんやりと見える端正に整った横顔。それは切り取られた絵画のようで、もっと言えば非現実的。胸の辺り(人はそこをこころとか言う)が何かを訴えるようにざわついて、多分その感覚を言葉にするのなら「気持ち悪い」が正しかった。
それほどに、好きだとしみじみ思うと同時に、少しだけ自虐的になった。
昔も、この星が光る闇の中で、今と同じことを思った。
幼い頃から、彼に伝えたい想い言わないままでいる自分は、それを言ってしまったことで自分が傷つくのが嫌だという、臆病者だ。
好きなのに、好きだとも言えない。だから、今の関係は十分で、不十分。
「すごいな」
呟いたのは、泣き出しそうな気持ちをごまかすためだった。


「すごいな」
その呟きが確かに耳に届いた。その言葉に軽いデジャヴを感じて、ふと彼の方を向いた。
闇に溶けるような黒髪と、貴公子と呼ばれるのが不思議ではない美しい顔、その瞳に写るのは点々と輝く星だった。デジャヴは、多分、昔こうしてこの星達を見たときと同じような状況だからだろう。
いつ見ても、彼は変わらず綺麗だ。魂に色が有るのなら、彼は何にも染まらない黒でいい。
そして彼の中で昔から変わらないものがあるとしたら、その芯の強さと美しさ、それと、何からも目を反らさない真っ直ぐさ。
(ああ、なんて、綺麗だ)
彼が好きだ。
けれど関係の変化が怖い俺はそれを言えない。来るもの拒まず、去るもの追わず。そんな自分が唯一壊したくなかったのは友情。親よりも誰よりも自分と一番長く共に居た、彼との関係。
出来ることなら、ずっと側に居たい。(それ以上は、望まない)
(少し感傷に浸りすぎたかな)
そう思い、目を閉じて首を横に振った。目を開けて、それにすぐ気づけなかったのは彼の瞳に見とれていたからなのかもしれない。
「……ヅラ、動くなよ」
ぼうっと川辺を眺めている彼に向かってそう言って、足を踏み出した。彼はこちらを向いて首を傾げる。
「動くなって」
二回目の言葉に、彼はピタリと体の動きを止める。そうやって俺の言うことをすぐに聞く彼を、所有したいという欲がまた沸く。(いけない、いけない)
邪な気持ちを振り切って、腕を伸ばした。もしかしたらこんな風に触れるのは初めてじゃないかと、少しばかり気恥ずかしくなった。
「ん?なんだ?」
「……ついてる」
髪に、触れた。指先が掠めたのはその小さな星。
「蛍」
ついてたから、と指先に乗った光を彼に向かって差し出すと、その瞳はゆっくりと細められた。
「まるで星だな」
「え、」
「これだけの数がいると、星のように見えないか?」
彼はそう言って繰り返した。
しかし、俺がその言葉を発したのは聞こえなかったわけでも意味がわからなかったわけでもなかった。ただ、彼と自分が、同じことを考えていたことに驚いたのだ。
「……どうした」
うっかり顔が熱くなって、慌てて、差し出した方と逆の手で顔を覆った。多分今、顔が赤くなってしまっている。そんなところは見せたくない。
「気分でも悪いのか?」
「いや……」
彼が覗き込むような仕草で、顔を近づけてきたのがわかった。顔を覆っていた手を離すと、とても近くに彼の瞳があった。瞬間に、その身体を抱き寄せた。(指先に居た蛍は、どこかへ飛んでいった)
「銀時?」
彼は、動じない。
慌てるくらいするかと思ったのに、そっと腕を回してきた。まるで親子か友情のソレのようだった。けれど本当に求めていたのはどちらでもなかった。
ぽん、ぽんと、背中を優しく叩かれて、たまらない気持ちになった。よく恥ずかしげもなく!と顔を上げると、心なしか彼の唇が震えているように見えた。
ああ、もう。( 好 き だ )


視界に、閉じた瞳と少し赤くなった頬が写っている。だから、ゆっくり目を閉じた。重なった唇が体温を交換していく。少し離れたところに少年達が居るというのに、唇を離せない。ただ触れているだけの行為なのに、こんなにも心臓が速く鳴る。これは、病気だ。
数秒してから、軽く唇が離れた。そしてまた彼がゆるりと近づいて、一度目より深く重なった。自分は今、、と触れ合っている。確認と同時に、頭が真っ白になった。どうしてキスをしているのだろう。
「………」
「……悪ィ」
ふ、と唇が離れてすぐに、気まずそうに彼に謝られた。何と言って返せばいいのかわからない程に、それはやさしいキスだった。
「銀時……」
名前を呼ぶべきではなかったと、呼んでから後悔した。余計に胸が切なくなったのだ。
「あー、馬鹿、んな顔すんな」
ふ、と彼が普段の顔に戻った。照れているのかいないのか、目を逸らして頭をかいていた。
「悪かった、今のは」
「間違いだなんて言ってくれるなよ」
はぐらかされそうだと思って、先手を打った。もしかして彼も、という気持ちがあったし、本当のところが知りたかった。いつもだったら怖くて聞けないのに。この星達がいけない。(あまりに明るい、ゆるやかな流れ星のよう)
「………だよ」
「え?」
「一目惚れだったよコノヤロー」
「あ」
「あァ?」
「俺もだ」
はは、と笑って見せたのは、いままで通りの関係のままでいたかったからだ。(それは自分が一番望んで、そして望まなかったことなのに)


キスをした。あと、告白(のようなもの)もした。それから?(それから)
「桂」
名前を読んだ。普段の呼び方をしなかったのは、確かめたかったからだった。見つめてくる目が、何かを訴えている。
「ああもう、んな顔すんな」
その瞳に向かって言うと、彼は「うん」と一度頷いた。関係性に怯えていたのはお互い様だったのだろう。
「ヅラ」
「ん?」
「もっかい」
言って、腕を引いた。今度は、もっと、とねだるように髪に手を差し込んで深く口付けた。
柔らかな髪が指に絡んで、それが暗に離すなと言っているようで。

「好きだよ」

零れるように、声が出た。
( ほら、願いが叶った )

甘すぎるにも程がある

ここ最近の話だけれど、僕が朝、万事屋に行くと何故か僕よりも先に桂さんが居る。万事屋の玄関の鍵は僕と銀さんしか持っていないから玄関は開いていない。けれど僕が玄関を開けると、そこにはきちんとそろえられた下駄が置いてあって、しかも台所からは、いい香りがしてくるのだ。
「…おはようございます桂さん」
僕は台所に立つ彼に声をかける。長い髪を一つに束ね、白い前掛けをかけた彼の後ろ姿はお母さんと呼んでも良いくらいだ。
「おはよう新八くん。朝食が出来ているからリーダーと銀時を起こしてきてくれないか」
「あ、はい。わかりました」
どうして彼が朝ご飯を作っているのだとか、そもそもどうやって入ったのだとか言うのは、彼が突然万事屋に現れた一日目にひたすら突っ込み尽くしてしまった。だからもう、放っている。ここの店の店主にしても、彼にしても、謎が多すぎる。
そうやって突然何の連絡もなしに現れる桂さんは、いつも朝食を作るだけ作って帰っていってしまう。だから銀さん達がのそのそと起きてくる頃には帰ってしまっていて、なんだか素っ気ないとも思う。いや、そんなことはどうだっていいんだ、とりあえず銀さん達を起こしてこよう。そう思って、台所に桂さんの方をちらりとみる。
その時にふと彼が手元のお椀の中にどばどばと白い粉を入れていることに気付いた。
「ちょっ…桂さん?」
「ん?どうした新八くん」
「それ……何ですか…」
「砂糖だ」
「砂糖!?」
つい声をかけてしまったのは、その調味料の量が尋常じゃなかったからだ。慌てて近付いてお椀の中を覗くと、黄色い卵の半分程が砂糖で埋まっていた。いくらなんでも入れすぎだろう。
「まあ心配するな、銀時用だからな」
「……でも流石に入れ過ぎじゃ」
「甘党だから気付かんだろ」
いやいやこれは気付くでしょう!と突っ込みたかったけれど、そう言えば確かに銀さんは桂さんの作った朝食を残したことはないし、文句を言ったこともない。
「で、でも銀さん糖尿病予備軍なんで気をつけないと…」
僕の少しの注意、桂さんは手を動かしながら楽しそうに言う。
「新八くんはどうして銀時が甘党なのか考えたことがあるか?」
「え、いや…ないですけど」
「俺がそうさせたのさ」
どういうことですか、と聞く前にと笑いながら彼はまた砂糖を入れた。
「調味料というのは時に毒になる」
「毒?」
「昔から徐々に徐々に味覚を壊していけば気づかない」
桂さんは突然に言う。ふふっと笑うその声が、恐ろしいくらい低く響いた。いつもの柔らかい物腰の彼がみせた狂気に、僕は一歩後ずさった。
「どういうことです?」
「それはまあ、銀時に聞いてくれ」
僕は沈黙した。ジュウジュウ、と焼けていく音だけが響いている。
「……さて、俺は帰る」
僕の沈黙の間に全て作り終えてしまっていた桂さんは、前掛けの紐を解きながら玄関へと向かった。少し機嫌が良いように見える。
「ちょ、ちょっと待ってください桂さん」
「なんだ?」
「今のどういうことかやっぱり分かりません」
僕は去ろうとする彼を追いかけながら問うた。彼も歩きながら答えてくれた。
「……俺はあいつが糖尿になってしまえばいいと思っているんだ。糖尿病は怖いぞ?目が見えなくなったりな」
話が終わる頃にはもう玄関に着いてしまっていて、桂さんはさっさと下駄を履いて扉に手をかけていた。
「じゃあな」と言って一度だけ振り返り、髪紐を解いた彼の髪が風になびく。
その後ろ姿が、やけに鮮明に焼き付いたのはやっぱり彼の狂気のせいだったのかもしれない。


「はよー」
「…おはようございます」
だらけた声で挨拶をしてきた雇い主にじっとりとした視線を送りつつ返事を返す。
彼は寝間着のままソファーの定位置に座ると、目の前に用意されている朝食に手を伸ばした。
僕はぼんやりとその箸の動きを見つめながら、桂さんとの会話を思い出していた。
「……あ」
「あ?」
うっかり声を漏らした僕に、彼はいぶかしげな声を出した。が、時既に遅く、彼が掴んだ卵焼きと言う名の毒は既に彼の口の中だった。あーあ、と思いながらも、彼の反応が見たくて、嚥下までの動作を見ていた。
黙って食べていた彼がふと何かに気付いたように「ヅラ来てた?」と口を開いた。食べて気づくなんて、もしかしたら桂さんが何か砂糖以外のもの(例えば、毒、だとか)も入れたんじゃないのかとドキリとした。
「よ、よくわかりますね」
「新八の卵焼きは甘くねーしなぁ」
もう一口、それを口に運んでしみじみと言っているのに水を差すようで悪いとは思った。けれどどうしても聞きたかった。
「……銀さん、何か桂さんに嫌われるようなことしました?」
「あ?」
彼は箸を止めてクエスチョンマークを頭に浮かべたけれど、すぐに表情を変えた。それは笑顔ともなんともいえない複雑な顔だった。
「ねーよ。つかありえねーだろ。あいつ昔から俺のこと大っ好きだから」
僕は一瞬、何と言って返事をしたらいいのか迷ってしまった。「妙に自信があるんですね」とでも言えばよかったのだろうか。
「銀さん、その卵焼き」
「やんねーぞ」
「いりません。っていうかそれ、食べない方が良くないですか」
「はあ?」
「だって砂糖の量が普通じゃないですよ?このまま糖尿になるつもりですか?…っていうか桂さん故意にやってましたけど…」
「ああ、知ってる」
「知って…え、知ってるって」
あんまりさらりと流されたものだから、僕は戸惑って聞き返してしまった。
「ヅラが俺糖尿にしようとしてんだろ?昔からだし」
「昔って……」
「聞きてーなら教えてやるよ。まぁまずは座りな、ぱっつぁん」
いつのまにか僕は立ち上がってしまっといたようで、なだめられてようやく気付いた。
すいません、と謝ってから座ると、銀さんはピッと箸の先をこちらに向けて聞いてきた。
「新八は俺とヅラのカンケーをどう思ってる?」
「親友…?じゃないみたいですよね。腐れ縁?みたいなものですか」
「ま、そんなもんかな、ほんとはちょっと違うけどな」
「?」
「ヅラは俺が好きなんだ」
「嫌いだったら関わらないでしょう?」
「そういう好きじゃねぇことくれぇ、わかってんだろ?」
僕は一瞬目を泳がせてから頷いた。わかるからこそ戸惑いは強く、その続きを聞いていいのかと迷った。けれど好奇心はあっさりと自制心を越えてしまって、気付けば続きを促していた。
「昔ヅラに言われたけど、無理っつったら、次の日から砂糖めっちゃ送ってきてよ。元々甘いもん好きだったから貢いでくれてんのかとも思ってたんだけど?途中であいつが完全犯罪で俺を殺そーとしてんのに気付いちまった」
「完全犯罪って…」
「砂糖、毎日増やしてきゃまず味覚が壊れる。それから糖尿、んで身体壊して死ぬだろ?完璧な完全犯罪だ」
「気付いてるのになんで食べ続けるんです?」
「あーだからダメガネ童貞はダメなんだよ、ちっとは勘を働かせてみろよっ」
本当は気付いていた。銀さんも桂さんが好きなのだ。その想いを桂さんに伝えない理由なんてのは僕にはわからないけれど。(だって桂さんは気づいていた)
「銀さん」
「あに?」
「それ一口下さい」
もぐもぐと口のなかをいっぱいにしたまま返事をする彼に、問うてみる。指した先にあるのは卵焼きだ。
「ちっとならな」
そう言って渡してきた箸を受け取って、僕はその見た目の美しい毒を少しだけ切って口に放り込んだ。一瞬で口の中に広がった味は、卵の味もわからないほどの甘さを持っていて、僕はつい口元を抑えて箸をおいた。
「……………初めて銀さんを尊敬したかもしれません……」
食べれる分は姉上の卵焼きよりはマシだけれど、これを平気な顔で食べる銀さんは相当すごいと思う。
「おーい、なんだそりゃー、目上のモノには尊敬しとけって習わなかったのかコノヤロー。“銀さんすごぉい”とか言ってもいいだろーが」
「それこそ意味がわかりません………」
グダグダとした説教モードに入りながらも、僕が返した箸を受け取った銀さんは、その卵焼きをもうひとつぱくりと食べて微笑した。

(甘すぎるにも程がある)

不器用な彼の器用な手攘夷時代

彼はあからさまに不機嫌な顔で俺を、否、俺の身体を見た。
「誰がやったのそれ」
「そこらにいたヤツ」
「馬鹿じゃねぇの」
着替えている最中だった。先日つけられた肩の傷が痛んで、確かめていた所に彼がやってきた。彼は俺というか俺のその傷を見るなり顔に影を落として酷く怒った顔をした。先程の声にまで怒気を感じた。彼は相当怒っているようだ。ちょっと待ってろ、と言う声にすらとげとげとした怒りを感じて、何もそこまで怒らずともと思ったが『さわらぬ神に祟りなし』だと思い、大人しく座っていることにした。
「……一回取るかんな」
しばらくして戻って来た彼は手に様々な物を持っていた。これからするであろう事を考えれば当たり前なのだが、少し大袈裟なのではないかと思った。
俺は彼と対面して座る。施術がし易いように彼は俺の腕の中へと入る。その距離は殆どない。そしてすぐに耳の近くで、パチンと鋏で縫合を切る音がした。痛みは耐えるしかないし、だいたい、痛みなんてもうわからないくらい麻痺している。

パチン、もうひとつ切る。
一度縫われた傷口を、もう一度縫い直す。
もしかしたら彼は、自分が施術をしないと気が済まなかったのかもしれない。いや、そんな独占欲めいたものが彼にあっただろうか。もし、あったとしたらそれは少し嬉しいかもしれない。
パチン、と、もう数度それを繰り返すと、半分も塞がっていない(いや、全く塞がっていないと言う方が正しい)創傷がパクリとしていた。
「なんでこんなになるまでほっといたかな」
彼は独り言のように呟いて、手際良く薬を塗り、すぐに縫合を始めた。
「……薬があるだけ、まだ、マシだっ…」
いくら麻痺しているとは言え痛い。それに耐えるように奥歯を噛みしめて、しかしあまりの痛さに力は抜けてしまう。変わりに意識だけはしっかり保とうと口を開くが、やはり痛いことに変わりはなかった。
「じゃあ適当な奴にやらせてその薬を無駄にすんなよ」
その声はまだ怒っている。謝るしかないと思った。
「…すまない」
謝っても償えるものではないのかもしれない。彼はこういうことを酷く嫌っていたし。ジクジク痛む肩と同じように心が痛んだ。彼はそれきり黙り込んでしまったから俺も黙った。
沈黙の中に、俺が痛みに漏らす声が響く。そのうち心臓の音まで聞こえてしまいそうだ。
無駄に器用な男は、すすすと縫合を進める。ひとつひとつを縫うのに丁寧だ。

パチン

鋏が鳴った。
「終わり」
包帯を巻きつけ終わると、ふと彼の怒気が下がったように思った。
「ありがとう」
感謝を述べて、身体を離した彼の顔を見ると、彼はふっと顔を緩めた。
「どういたしまして」
軽い口付けは首元に。血流の流れが激しくなった気がした。傷跡が、痛んだ。
「明日まで休んどけよ」
もう夜なんだから、と言った彼はふと思い出したように懐を探って手を出した。
「ん?」
「明日誕生日だろ」
その手には二つの飴玉が乗っていた。可愛らしい包みのそれをこの甘味の少ない戦場の一体どこで手に入れたのやら。
「…ありがとう」
二度目の礼を述べると、彼が少し笑った気がした。普段、彼の表情はあまり読めないのだがその時は確かに笑った。
「誕生日過ぎたらもっとちゃんとしたのやるよ」
「…それは期待したいな」
暗に「死ぬなよ」と言う彼は不器用な人間だ。直接そう言えばいいのに、と俺は思うしか出来ない。
何故ってまた俺も不器用で、彼にまだはっきりとした思いすら告げられないのだから。

io te u

抱きしめて欲しい時にお前は居ない。だから今ここにお前が居るときだけは、と甘えてみる俺が居る。女々しいと言われようが、独りの時の寂しさを思えばそれも戯言だと流せてしまう。
(独りは嫌だ。だからここにいる)

名前を呼ばないまま、指を絡めてみた。隣に座る彼は半分夢の中だったが気にはしない。もう一度深く、指を絡めた。体温が高いなぁ、なんてことを思っていたら彼がゆっくり寄りかかってきて、その頭を俺の肩にもたげかけてきた。柔らかな銀髪が頬に当たってくすぐったい。高い体温同士がくっつきあって少し熱い。
それでも隣にいたかった。(離れたくなかった)
言葉はいらなかった。(ただ隣にいるだけで)

夜が明ければ、またそれぞれの1日に走る。
お前は万事屋で(可愛らしい子供達と共に)
俺は攘夷党を率いて(殺伐とした地下の中へ)
正直、偶にお前が羨ましい。護るものをいくつも見つけて、駆けて、自由に生きていく姿はあの頃からちっとも変わっていないのに、今では遠い気がする。護るものも有る、生きるのも辛くはない、真っ直ぐに歩けているのに何故かお前が遠い。
何が足りないのかな、と目を瞑る。すると繋いだ指に力がかかった。

「何考えてんの」
彼は聞いた。
「お前の事を」
俺は答えた。
嘘ではないから心は痛まない筈なのに、少し胸がちくりとしたのは何故だろう。
「……ごちゃごちゃ考えんのなしな」
一瞬、何か言いかけてやめた彼は結局そう言った。
「ごちゃごちゃ、ね」
復唱して言葉の意味を噛み締めて「そんなのは考えてはいないと思う」と、言えば、簡単に「嘘、」と見破られてしまった。流石にかなわないのは幾年からの付き合いか。
「俺の事だけ考えて」
目を瞑ったまま照れくさそうに言った彼の手は先ほどより熱く、俺の顔を赤くするのにも充分だった。
「お前は?」
「ヅラの事だけずっと考えてる」
「ヅラじゃない、桂だ」
「じゃあ小太郎ちゃん」
「“ちゃん”は……」
「こたろー」
「好きに呼べ…」
ふと気付いたら、彼の顔は目の前で、触れる唇は甘い香りがした。
抱きしめて欲しいと思っていた俺はそっと腕を回してしまった。温かくてほっとして、ずっとずっとこのままでいたいと思った。

(甘い香りに溶けてしまいたい。)