交わらない、混じり合う

大体の始まりは桂である。
「ごめんくださいー銀時くん居ますかー」
今日も今日とて、彼は万事屋の玄関に立っていた。チャイムを鳴らし、声をかける。その左手には手土産も持っていた。彼が何をしにきたかは、きっと中にいる万事屋の住人も分かっているだろう。
少しして扉は中から開かれた。
「攘夷勧誘ならお断りです」
そうしてすぐに閉まる扉。
「ちょ、まて銀時!土産もあるぞ!」
桂は扉を閉めさせまいと瞬間的に隙間に足を差し込んで止めた。細い身体に似合わず力のある彼は、閉めよう閉めようと働く力に反抗すべく手も差し込む。
「話くらい聞け天パー」
「それが勧誘の態度なら俺は断固として屈しねーぞ!」
「勧誘じゃない、お誘いだ」
「同じじゃねーか!」
バシンッと大きな音を立て、扉は開かれた。今回の力比べはどうやら桂が勝ったらしい。
「…とりあえず中に入れろ。真選組に気付かれる」
「…お前捕まっても脱獄しまくってんじゃねぇか」
桂が声を潜めて言えば、銀時は呆れ顔で返す。桂はそれに不服だったが、黙って(半分強引に)中へと入ろうとした。
「ちょ、中は駄目だ汚ねーから」
先程の桂の言葉などどうでも良いというように、銀時は桂の腕を引いて外に出た。万事屋に通うようになって、汚い等というような理由で中に入るなと言われたことのなかった桂は不服で、また、勘ぐりもした。いつもは天然と言ってもいい位なのに、妙なところで勘がいい。
それに気付いてか気付かずか、銀時は何も言わず歩き続けた。
「ああ…どこぞの女でも囲っているのか」
ポロリと零れた本音だった。足元の小石を蹴って銀時にぶつけてもむかむかした気分が治まらず、桂は銀時にわざと聞こえるように溜息をついた。
実はそれがあながち間違ってはいなかった。桂が目にとめる前に引っ張り出したが、玄関には万事屋の従業員のものとは違う見知らぬ女下駄がひとつあった。しかしそれも実際やましいことなどなく、ただ橋田屋の娘と、銀時にそっくりだというその息子が来ていただけのこと。
ただ、桂の妄想力を持って余計な思い込みされても面倒だと思った銀時のその判断がまずかったらしい。桂は納得のいかない顔で銀時の後を歩いていた。
「…そんなんじゃねぇって」
それまでだんまりだった銀時が静かに口を開いた。
「じゃあなんだ」
「ま…前の依頼人?」
「どうして疑問系なんだ。」
大きくため息をつく桂に、こっちがため息つきてぇよ、と呟く銀時。
「真選組の誰かか」
「何であんなむさい奴らが俺んちに…」
「最近真選組と仲が良いじゃないか」
「誰が好き好んであんな奴らと」
言っても聞く耳を持たないだろうと思いつつも銀時は言う。それでは桂の不機嫌は治らないと分かっているのに。分かり合えないのは要らない意地のせいだ。
「攘夷活動に乗り気じゃないのだって真選組に肩入れしているせいだろう?」
「そういうオメーも無駄にゴリラと仲良いじゃねぇか。俺がパソコン持ってねぇ間に2人は深い仲、ですか?」
「貴様、」
言い返そうとして桂が前を見ると遠くに黒い真選組の隊服が見えた。ちらっと見ただけだったが、それは沖田のように見えたし、瞬間的にこちらを向いたような気もした。相手の視力が良ければばれたかもしれない。しまったと思う前に彼の視界はぐるんと半回転して、気付けば銀時の腕の中に収まっていた。
「っぶねぇ…」
「おいっ!?」
「気付かれる前に逃げっぞ」
どうやら銀時にもその隊服が見えていたらしい。彼は俺もお前も目立つんだから、と付け足して、桂の手を引いた。
「お前の髪と格好の方が俺よりずっと目立っているじゃないか」
光る銀髪と和洋の混ざった服を後ろから眺めて、桂は呟いた。
そのまましばらく歩いて、銀時はハッとしたように立ち止まる。
「あー、しまった。おめー捕まったら当分勧誘なくて済んだのに」
そう言って振り返ると、残念そうな顔で桂を見つめた。しかしどこか楽しそうな雰囲気でもあっあ。
「…そう思うなら手を離せ」
あえて目を逸らさずに見つめ返すと銀時は少しも考えずに「嫌だ」と言ってまた歩き出した。
「…離しても俺は逃げないぞ」
「ハイハイ」
桂が言っても銀時は無視で、そのまま手を繋いだままだ。
居心地がいいのか悪いのかわからないな、と桂は銀時の後ろで少し苦笑すると、銀時はまたぴたりと足を止めてしまった。地面(と前を歩く男の足)ばかり見ていた桂は、何事かとまた上を向く。
そこは万事屋銀ちゃんと書かれた家の前だった。
「…家には会わせたくない奴が居るんだろう?」
結局、万事屋間で戻ってきてしまった2人は階段の前で停止したままだ。
「別にいいんだけど…、ただ」
「ただ?」
「俺の子供はお前にしか生ませねぇってこと覚えとけよ」
「…意味がわからん」
「すぐにわかるって」
にこ、と普段では見せない笑顔を見せて銀時は言った。そしてそのまま階段をあがっていってしまう。(勿論、手は離さないままだ)
「…俺は男だというのに」
桂は、カンカンと大きな音を立てる階段の音に消えるように本当に小さく呟いて、空いた手で顔を覆った。(手土産はいつの間にか銀時の手にあった)
熱くなった顔と目頭、どうやって今の笑顔を焼き付けておこうかとおかしなことを思いつつ、彼は繋がれた手に力を入れた。

(近すぎる“好き”は、届いたら逆に恥ずかしいだろう?)

視線の先に、キミ攘夷時代

初めて聞いた彼の声は予想より低くて、少し驚いた。そんな事を思いながらも俺はその少年にどう接すればいいかも解らないまま俯いていた。目を合わせるのが怖かった。いつも後ろから見ていた彼は強く見えたから。
「その髪…」
ああ、また言われるのかおかしな色だと。きっと顔を上げたら瞳についても言われるだろうと言うことは簡単に予想できた。だから、顔はあげないで居よう。そう思ったのに彼の口から出た「綺麗だな」という言葉に驚いて、顔を上げてしまった。俺の赤い瞳に彼が映る。初めて正面からみる彼は、後ろから見ていた姿より端正な顔立ちをしていたし、育ちも良さそうだった。
「瞳も紅玉で綺麗」
ふと彼の顔が緩む。その顔に俺は一目惚れしたと言っても良い。
「…紅玉?」
「赤い宝石の事だ」
妙に大人びた口調さえ、彼が使えば何故かそういうものだと思えた。もっと話してみたい。
そう、思った。


「寒いんだけど…」
「駄目だ、まだとれていない」
それは叶った。
仲間とも親友とも言える存在の彼は今、俺の上を脱がし、上半身裸のまま縁側に座らせている。俺は夜特有の肌寒さに身を震わせながらも、彼のされるがままぼうっとしていた。
彼は髪をとく。俺の髪を。戦場で付いた赤い赤い血を取り去る儀式のようだ。ぬるま湯で髪を濡らしながら細目の櫛で髪をとく、彼の手つきは相変わらず丁寧だ。
今まで何度も髪を洗えば済むだろうと言ったのだが、それでは全て綺麗にならないと譲らない彼に俺が折れる形でこの行為は毎夜続いている。
「自分の髪はいいのかよ」
「黒髪と銀髪じゃ銀の方が目立つだろう?」
まあ確かにそうだが、と息を吐くと、彼は微笑した。
「紅はお前の瞳だけでいいさ」
そう言ってまた髪をとく。俺はここが戦場だということも忘れて、投げ出した。(何をって、そりゃ、全てを)
今この時だけは俺という存在を消して(勿論白夜叉なんて存在も、だ)世界中から隔離された2人でいたいと思った。この心休まる、瞬間だけでも。
「この髪を銀色だって言ったのはお前が2人目だ」
「ひとりめは先生だろう?」
彼は何でもないように答えたが、俺は驚いて「なんでわかったんだ」と聞いた。すると彼は「俺は何でも知っているんだ」と笑った。
「…目の色は初めてだったけどな」
「綺麗な紅玉だな」
そしてくすりと笑う彼。天人のようだと嫌われた瞳の色さえもこいつにとってはただの宝石色にしか見えないらしい。
昔から変な奴だと思っていたが、今も相変わらず変な奴だ。
「綺麗になった、もう一度髪をすすいでこい」
「はいはい」
逆らえば当分触れさせてはもらえないな、と俺は大人しく彼の言うことを聞くことにした。
きらり、と目立つ自身の髪が少し自慢に感じた、瞬間。

(ありがとう、君よ)

Mi piace!攘夷時代

「あかんいうちょるき!」
叫んだのは、坂本だった。ガタンという音と共に「まだだめだっての!」と銀時が叫ぶ声もしている。
「大丈夫だ!」
低めのテナーボイスが彼らの声よりも一段と大きく叫んで、同時に薄い紅の障子が開け放たれた。桂は瞬間駆け出そうとしたのだが、その前には高杉が仁王立ちをしていた。
「行かせねェよ」
静かなその声は妙に苛立っていて、いや、苛立ちというより呆れだった。高杉は嗚呼と溜め息を吐くと、「姫さんはわがままでいらっしゃる」と薄く笑った。
ニヤニヤと言われたそれが気に召さなかったのか、桂はむっとした。
「お前達は俺をどうしたいんだ」
「明日も明後日も戦に出るのは駄目だってこった」
「何故!」
「自分が一番わかってんだろうが!」
「………っ」
「そういうこった」
声を荒らげた高杉に腕を捕まれた桂は痛みに顔を歪めた。白かった包帯にじわりと血が滲む。
「ああ、オイ、何やってんだよ」
悔しそうに唇を噛む桂を横目に、銀時は高杉に目を向けたが、そこにはもう誰も居なかった。閉められた障子戸の向こうには影すらもなかった。
桂は数歩後ずさると黙って畳に座り込んだ。それと同時に銀時が座り、坂本は気を利かせたのか何も言わずに出ていった。
「何故皆…俺にばかり言うんだ…」
ぽつりと独り言のように呟いて、不機嫌な顔のまま畳を見つめる男。銀時はかける言葉を探すためか明後日の方向を見て何か考えていた。
しん、と沈黙が耳に痛い。
「貴様等、俺にだけ妙に過保護すぎやしないか」
口を開いたのは桂で、まだ畳を見つめたままだったがその声ははっきりと銀時の耳に届いた。
「約束しただろ」
「それは貴様の一方的な約束だろうが」
「いいや、指切りまでした」
この指で、と差し出した小指。
「知らんな」
「ああそう」
じゃあ俺は誰にそれを約束したんだ、高杉か?と銀時は笑ったように呟いて、小指をひょこひょこと動かすとまた言った。
「お前が傷付くと皆が傷付く事くらい、いい加減わかれよ」
「…………」
わかる。わかるから嫌なんだと桂は思った。だが声には出さなかった。声に出したら皆が離れていく、そんな気がして。
「だが銀時、お前は傷ついていても戦に出るのだろう?」
「……守るもんが、あるからな」
「俺にもある、だから」
だから行かせてくれ。桂はそれを言葉にしなかったが銀時はわかったようで黙り込んだ。桂は、不公平だと叫びたかった。しかし結局言わなかった。それほどに傷は深かったし、自身も酷く疲れていたのだ。しかしそれでも、と考えていると、銀時が小さく口を開いた。
「……1日だけでも、休め」
本当に聞こえるかどうかの声だった為、桂は最初彼がなにを言っているのかわからなかった。頭の中で反芻し、意味は通じたが、あまりに似合わない態度に桂は少し吹き出してしまった。
「……わかったよ」
桂は痛む身体を伸ばして銀時の方へ小指を差し出す。銀時はふと顔をゆるめてその指に自分のそれが絡めた。

(「きっと神よりも強くなろう」)

その代わりといってはなんだけど攘夷時代

痛いと小さくつぶやいた彼にバカだと言ってやった。赤・赤・黒たまに白・赤また黒と白。視界の中にチラつく戦場。
「ヅラの馬鹿」
「バカじゃないヅラだ。あ、違った桂だ」
「馬鹿だよおめーは」
彼の肩に痛々しい打撲の痕がある。奇妙に変色した痕の他にも、細かい擦り傷や切り傷。まったく打撲でよかったものを、斬られていたらどうしたんだ馬鹿。お前に何かあったら、俺は俺でいられない。今だってこんなにも不安定なのに。
そんな事を思いながら白い肌を見つめていると彼はまた痛いと言った。

(何度も何度も繰り返される赤い光景も、飛び交う銃弾も、背に感じる熱も慣れてしまってもう何ヶ月だろうか。)
俺は日付を数えなくなったが、どんどん傷ついていく彼の身体を見ればかなりの時間がたったことだけはわかっている。
「ヅラのバカ、アホ、オタンコナス、」
「思考が幼児並だな」
消毒液は染みるらしく、彼は顔を歪める。ゆっくりと傷ついた身体に消毒液を塗布してやる。相当痛いようだ。彼のその痛みに握り締めた拳を解けたら、と思った。
「ヅラの悪いとこなんてそんなに言えねーし」
結い上げた髪から、項まで軽く口づけを落とすと彼はくすぐったそうに身をよじった。
「馬鹿言ってないで交代だ」
本当は彼にだけ消毒して終わりだったのだが、俺はなんとなくその提案に乗った。この背の傷を見たら彼は何というかな。馬鹿だと罵るだろうか、心配してくれるだろうか。そんなことを思いつつ上をはだけた。
「…―銀時、なんだこの怪我は」
今日ついた真新しい怪我の痕に反応した彼の声は怒っているように聞こえた。正直謝るしかなかったが、つい押し黙ってしまった。自分では見えないが俺の背には酷く鬱血した青痣があるに違いない。あまり覚えてはいないが今日思い切り蹴りが拳かが入って、今でも痛むから。
俺が傷がつくのを嫌う彼は、いつも俺の怪我を見て悲しむ。背中だと特にそうだ。預け合っている背が傷つくのがどうしても嫌らしい。
「馬鹿はおまえだ」
「い゛っ」
彼の指が背を這って、痛むその場所を思い切り押した。俺は痛みに飛び上がって、振り向いた。
「何すんだよヅラ」
「ヅラじゃないっん―――」
なんとなく五月蝿い口は塞いでおいた。
咥内をくまなく舐めて、ずさんな食生活からか口内炎があることに気付く。ああ可哀想な、果物がいるかな、なんて思いつつ押し倒した。
「ちょっと待て阿呆」
後ろから声が掛かった。
「んー?」
口付けたまま返事をしてみた。
「余所でやれ」
「目に毒じゃー」
ちらりと目だけ動かすと少し離れたところに2人が呆れた顔をして座っていた。
「えー我慢出来ないー」
「ふざけんな公害、」
高杉に一蹴されて、俺は溜息をつく。桂は桂できょとんと続きを待つような目で俺を見てくるもんだから困る。
乾いた赤、流れる黒。
戦場の中のきみ。
「阿呆だって俺ら」
「阿呆なのはお前だけだ」

(そっと瞼に口付けた)

結局嘘つきなんだって攘夷時代

風を切る音がした。
刀の切っ先が、首元で震えている。
彼は刀を抜いた。俺に向けて刹那の殺意を込めて。彼もそこまでやるつもりはなかったらしい。だから剣先は震えていた。引っ込みのつかなくなった刀身を動かさないまま彼は言った。
「ふ、ざける、な」
切れ切れの言葉が何を表していたのか俺は知らない。
「悪かったって」
軽く答える俺は、馬鹿みたいに冷静だった。
そのまま沈黙が続いた。突きつけられたままのそれが引く気配がないので手で押し返してやる。すると彼はゆっくりとそれを鞘に収めた。やっぱりタイミングを逃していただけらしい。
そのまま黙って踵を返した彼を引き留める術なんて俺にはなかった。


「珍しい」
嫌らしく口の端だけ歪めて、高杉は笑った。
「一体何したらヅラをあんな怒らせられんだよ」くつくつとのどの奥で笑う高杉は、面白い事を見つけた子供のように目を輝かせている。
「正義感の塊だからなァ…」
俺がそう呟くと、高杉は嗚呼、と納得がいったような顔をした。高杉はそれだけで俺が彼に何をしてしまったか大体わかったらしい。
「向こうも大して怒っちゃいねぇよ。多分引っ込みつかなくなってるだけだろ」
高杉はそう言って、出涸らしのような茶を啜った。
「そんなんは俺だってわかってんだよ」
必要なのは、きっかけ。それがないことには仲直りどころか口もきいてもらえないだろう。彼のことだから1ヶ月は平気で俺と話さない。これは一体どうしたことやら。
「………情報料はお前の隠してる甘味でいいぜ?」
頭を抱えていると高杉が言った。なんのことだと顔を上げたらそこにはやっぱりにやにや笑っている顔があった。


彼はいない。街へ行ったみたいだ。きっとまた僧侶のような格好をして。だって彼の刀は置いてある。まったく危なっかしい奴だと溜息をつきながら俺は自らの刀をとった。
「じゃあ行ってくるわ」どこに、と高杉は言わなかった。俺が行く場所は桂の元だ。街へ行くときはなるべく2人で行くようにと言ったのは桂本人なのに、彼はひとりで行ってしまった。だから迎えに行くのは、当然。ということにしておいて欲しい。本当の目的は仲直りなのだけれど、それを彼に気付かれたくはなかった。
街へ出るとやっぱり賑わしかった。高杉の言った通りだと思いながら、何であいつは来なかったんだろうかと疑問に思った。小さいとはいえ立派な祭りなのに祭好きのあいつがこないなんて珍しい。まあきっと何か考えがあったんだろう。理由はあとで聞けばいい。それよりも今は桂だ。彼を捜さないことには始まらない。
見渡しても人だらけでよくわからない。髪を隠すためにかぶってきた笠が邪魔くさいとは思ったが取るわけにもいかなくて、苛つく。
ああ、そう言えば何で俺があいつに謝るためにここまできてんだろ、悪いのはお互い様なんじゃねぇか?と、またいらいらしていた時だった。目の前で男が三人、女を取り囲んでいた。いや、女じゃない。それは桂だった。なんで気付いてないんだろうかあの男達は。酔っぱらいか?そう思いながらも気付いた時にはその場所に立っていた。だって彼の手が男達の手を振り払ったのが見えたから。
男達は俺と同じくらいかそれより少し背が高いくらいだった。それで気付かなかったのかこいつらは、と呆れながら、俺は桂の腕を引いた。バランスを崩して俺の胸へ倒れ込む瞬間笠の中で目があった。彼は俺の顔を見て少し驚いた顔をしたが、すぐに胸に顔を埋めてきゅっと胸元の着物を掴んだ。
「悪いねオジサン、これ俺のなんだ」
男達は一瞬不愉快そうな顔をして、斬りかかってくるようにも思えたのだけれど、俺は無視して、彼を連れて走り出した。面倒事はたくさんだ。今だってまだ解決していないことがある。
しばらく走って、祭りの灯りも届かない場所まで来て、ようやく走るのをやめた。俺は少し息をあげたまま彼に聞いた。
「なんで女装なんだよ」
「祭りに僧がいるのもどうかと思ってな」
「女装した男もどうかと思うんだけど」
「美人だろう?」
「……」
そうだとは言いたくなかった。一応、喧嘩中なのだ俺たちは。だけどどうでもよくなってきていた。喧嘩の理由も原因も、日々の命のやりとりの中では取るに足らない下らないことだから。
「貴様は何をしに来たんだ」
けれどそんな風に聞かれちゃ、仲直りに来ただなんて言いにくい。しかし言わない限りこのままだと笑う高杉の顔も浮かんで俺はまた頭を抱える。
仕方なく俺は未だに彼の腕を掴んだままの左手を引いて、歩み始めた。
向かう先は、帰る場所。彼もそれがわかったのかどこへ行くのか聞かずに俺に連れられるまま歩いた。いつ謝るかのタイミングを俺も彼も計りかねて、居たように思う。ふたりして歩く道は暗くて彼の表情も読みとれなかった。
すると突然、ヒュルヒュルズドンという爆発音がした。俺達は驚いて空を見上げる。あんまり一瞬のことすぎた。脳内に駆け巡った敵襲の二文字を消すのに時間がかかるくらいだったから。
それは桂も同じだったようで、繋いでいた手から力が抜けたのは三発目の花火が上がった時だった。

赤青黄緑橙
花がいくつも咲いていく
ああそうだった。俺はこれを見せたいと思っていたんだ。高杉は今日街で祭りがあると言った。それから花火が上がるから、まあいい雰囲気になったら謝れや、と笑っていた。高杉はそこに桂が行ったということを知っていたからそう言ったのだ。(実際桂は祭りではなく他に用があったのだろうが)
バンバンと軽快な音が花の散った後に遅れて聞こえてきている。
「ヅラァ」
「ヅラじゃない桂だ」
「…小太郎」
「……なんだ突然気持ち悪い……ん、」
本当に軽く口付けをした。それから至近距離でごめんと謝った。彼も目を伏せて、俺もやりすぎたしもう怒っていないと言った。それからまたごめんと言った。
「帰ろ」

大輪の花火が咲いた。音はまだ届かない。

(風を切って、もうすぐ届く)

朝な夕なに謀らずR15

ソファにすわったまま俺は「え、」と言ったきり固まってしまった。とびきり可笑しな顔をしているに違いない俺の前には、酷く苦々しい顔をした愛しい人が立っていた。
つい数秒前に俺は彼から別れの宣告を受けた。理由もなくたった一言「もうここには来ない」と言ったのだ。彼はそれ以上何も言わず、くるりと方向を変えると万事屋の玄関へと向かおうとした。俺は待てよ、と叫ぼうとしたが叶わなかった。何故って、背を向ける寸前に見た彼の悲痛な顔。ああ、例え呼び止めたとしても彼は振り返らないだろう。
瞬間的に立ち上がってそのか細い腕を掴んでいた。彼は振り返らない。声も出さない。抵抗もしないまま立っていた。
「もう此処に来ないってどーゆーことだよ」
数秒の沈黙の後、俺は聞いた。もしかしたら彼はこうやって俺に引き留められることを少し期待していたのかもしれない。だって、彼はさほど驚いた様子もなく、用意していたようにもう嫌なんだとはっきりと言ったから。
「…意味わかんねぇよ」
「お前が一番わかっているだろう?」
「何の話だ」
「……銀時、俺はお前の何だ?」
また沈黙し、少ししてから彼は聞いた。俺はその突然の問いに面食らって、は、と間抜けな声を出してしまった。
「何、言って…」
彼の腕の震えが止まった。
「…なぜ女と出会茶屋へ行った」
「え」
「俺は、お前が俺の知らない誰かと親しげにしているだけで腸が煮えくりそうになる。それだけならまだしも我慢できるものをお前ときたら…っ、」
俺の気も知らないで、と彼は今にも消えそうな泣き声で言った。俺は意味が分からず彼の言葉を反復していた。
(出会茶屋…?)
思い当たる節なんてない。そりゃ歌舞伎町内に住む身としても万事屋として働く身としても入ったことがないなんて断言できないが。だが断じて言えるのは、女と入ったことはないということだ。
ただ、彼が俺を見間違えたと言うのもにわかに信じがたく、うううと頭を回しているうちにふと思い出した思い当たる節。
「ああ、ありゃ新八助けにいこーとしてだな」
俺がそう言うと彼は訝しげな顔をした。それは俺の言葉を信じていない表情。それに少し苛ついた俺は彼の腕を引いてソファーに押し戻した。すぐその隣に座って、逃げないようしっかりと肩を抱いて。
「離せ…」
「離す理由がねーもん」
彼はふいっと顔を逸したが、泣いているようだった。
「俺と一緒にいたのはお妙だ。新八がネコミミ女に騙されてるからって助けに行っただけだっつの。神楽も居たし、やましいことはなんもねぇから」
早口でそう言うと着物の裾を強く握り締めている彼の手をなぞる。硬いその手を開いてやるとふと力が抜けたようだった。
「嫉妬、したのか?」
彼はぴくりと肩を揺らした。
(なんてわかりやすい)
「嫉妬した?」
「だっ…だれが、」
「うそつき」
言葉を遮って怒ったように言うと桂はまた体を揺らして反応し、そのまま俯いてしまった。ああ傷ついてしまったかな、と他人ごとのように思って抱き寄せた肩に力を入れた。なんとなくそれ以上の会話は無駄だと感じて、俺はそのまま彼の唇に自分のそれを重ねることにした。
彼は一瞬目を見開いたけれど、嫌がる様子はなかった。知っている。お前は俺が好きだから嫌がらない。
ちゅ、と音を立てて唇を離すと彼の頬がほんのりと赤く色付いていた。
「俺も、おめーが誰かと話してるだけで駄目」
殺したくなる。なんて言ったら流石に危険人物だろうか。うっすら頭の端で考えつつも快楽に沿って口付けを増やせば、いつの間にか彼の指は俺の着物を掴んでいた。
お前はわかってくれたのだろうか、俺のこの愛を。お前は気付いてくれたのだろうか。(俺が言葉にしない感情に)
「ん、」
隙間から漏れた声が甘い。このままの雰囲気に流されてしまえ、と、俺のなかの何かが蠢いた。
身体を向かい合うように動かして、きっちりと合わせられた襟から手を差し込む。彼は、息を呑んで俺に縋ってくる。左手は彼の胸板を撫で、右手を背に回し帯を解き、唇は顔の周りで何度も音を立てる。
ただ俺と彼の吐息しか聞こえない筈なのに、俺の耳の中ではどくどくと心臓の鼓動が響いていた。
解いた帯を放って、差し込んだ手を下へずらして合わせを割っていく。そこまでして狭いと感じて俺は彼を抱き上げ、寝室へと向かった。軽い彼の身体にひらりと掛かった布は先程まで着物であったのに今は彼を美しく魅せるためのただの布だ。布団の上に少し強く彼を放って、その上に覆い被さった。彼の黒髪と黒色の瞳が俺を吸い込んでいくようだ。

「こたろ…」
名前を呼ぶと、彼は身体を震わせた。
俺はまた唇を奪って、舌を絡めた。目一杯彼を感じたくて、両手は彼の頭を抱いていた。何度も角度を変えながら、歯列を舐め、ざらつく舌の先をつついた。彼は互いの舌先が掠める瞬間が一番感じるらしい。快楽に従順に身体が動く彼は、鼻から抜ける甘ったるい声を出して俺を誘っている。
ああ、わかった、やるよ。
俺は抱き込んでいた手を放し、合わせを割って肌を露出させた。腕を抜くように言って、完全に裸にさせると身体中に触れていく。指先で乳首に触れる。いや、掠めさせる。何度も行き来させ何度も掠めさせれば彼は全身をびくびくと震わせ、声を出した。
その姿が可愛くて、可愛くて俺は身体の奥から何かが沸き上がってくるのを感じた。嗚呼。離してやるものか。
すぐに身体をずらして彼の下腹部に顔を埋めた。半勃ちになった性器に息を吹きかけて遊べば彼の腕は俺の頭を力無く掴んでねだる。可愛い。俺は震えるそれにそっと口付けて口に含んだ。
「…ふ……っんぁ」
上から押し殺した声がする。彼は空いた手で口を抑えて声を我慢していた。そのいじらしさに俺の熱はまた上がる。熱棒から袋まで舌先を使い舐め回し、熱が完全に勃ち上がるように吸い、射精を促した。口いっぱいに含んだ彼の味に俺は倒錯感を覚えつつそれでも止められない快感を求めた。
彼が、もう限界だというように俺の身体に足を絡めてきたので、根元に少し歯を立てた。
「…はっぁ…」
悩ましげな声を出し、彼は俺の咥内で果てると力を抜いた。苦味のある精液が口いっぱいに広がるが気にせず飲み込んだ。喉の奥にに張り付くその味が彼のものだと思うと堪らなく、全身から歓喜が溢れた。
ただ、ただ、熱い。
着ていた服を全て脱いで彼の腕をとって布団に伏せさせた。綺麗な背中にゾクリとした。(これだけは、俺が守ってきたんだ)そう、思った。
彼の前に指を差し出せば理解したようにゆっくりと舐めた。それがあんまりにも気持ちよさそうに舐めるもんだから、俺は、つい、意地悪をしたくなる。
「俺のなんて要らない、か?」
背に覆い被さって、耳元で問うとフルフルと首を横に振った。必死に布団を握り締めている、その手にそっと自分の手のひらを重ね、唾液に濡れた指を秘部へ当てる。
「っ…あ!」
柔らかな蕾を解して、指を中へ沈めていくと押し殺していた声が霰もなく出た。ただただ愛しさが募るのは何故か、早くひとつになりたいと思うのは何故か。答えなど言葉にしなくてもここにある。
早く早くと急かす気が、速度を上げて彼を詰る。
「いっ…はァッ、銀っ、銀時………っ」
俺を呼ぶ、声
「……愛してる」
不安にさせて、ごめん
瞬間指を抜いて、代わりにはちきれそうな自身を突き立てた。
奥歯を噛みしめ声を耐えた彼の顔をこちらに向かせ、優しく口付けると安心したのか余計な力が抜けた。
後は、白んだ、意識。

外の明るさに目を開けた。すぐに時間を確かめるのはもう染み付いてしまった癖だ。7時半。
腕の中にある温かさが生きている人間のそれで、俺はひどく安心した。この心地よさは、誰に変えられる物ではない。
お早う、とその艶やかな髪を撫でると彼は少し身を捩って俺にくっついてきた。何も身に纏っていない肌と肌が触れ合って、なんとなく心地良い。柔らかく滑らかな肌は男でも女でも良いものだ。
「銀、」
俺を呼ぶ小さな声に首を傾げる。彼は俺の背に腕を回してぴとりとくっつくいた。長い髪、綺麗で、大好きだ。
「不安になるなよ、」
俺は言ってやった。が、それ以上が恥ずかしさで言えない。
「銀時…?」
「………言えるか」
こっそり呟いて、少し強く抱きしめた。
その肌は、俺に吸いつくような艶をもっていた。

(ああ、お前以外を愛することなど)

恥ずかしいから内緒にしてね?金魂/金桂

出会う度、出会う度彼は俺に言う。
「   」
そのたった三文字が鎖のように絡み付くのは、隠しきれない想いが俺を呼ぶからだ。

「ズーラー子ーさんっ」
陽気な髪の色をした男が俺に笑いかけてきた。その笑顔までが陽気な雰囲気だが、それが上辺でしかないと言うのは俺が一番知っていた。
スナックの入り口の前でニヤニヤと笑っている男にひとつため息をつくと、西郷殿に目配せしてからその男を連れて外に出た。
「貴様、営業妨害だぞ」
「だって店閉まってからじゃ逃げられるし」
馬鹿みたいな金色の髪が闇の中で目立っている。ふわふわキラキラとネオンに反射するそれに目をとられてしまう。
「仕事は終わったのか」
「ちょっと抜け出してきちゃった」
「仕事を舐めているな貴様は」
「いーよ別に」
さらっと言ってのけた彼はどこか遠くを見て居た。ネオンと雑踏と愛憎と何かよくわからないもの達が交錯するその場所のどこかを見つめて居た。
「あんたより大事なものが見つからねぇし」
「………自分よりも?」
「勿論」
そこでようやく営業スマイルではない笑みを見せた彼に安心する自分が居た。彼の妙に慈愛めいた瞳が好きだった。誰よりもお前が好きだと語るその唇が好きだった。ネオンに紛れるその金の髪が好きだった。たまに俺に見せる無防備な表情が好きだった。だが、その気持ちは言ってやらない。
「で、仕事終わってからヒマ?」
「……暇だといったら」
「遊ぼーよ、オネーサン?」
クスクスとまた普段の営業スマイルに戻ってしまった彼に少し落胆しつつもまあ良いかと思ってしまうあたり、俺は彼の事が好きらしい。
そうして少し気を抜いていると彼は笑って俺の手を引いて、こう言うのだ。
「好きだ」
ただこの行為がなんなのか俺にはわからない。俺は「そうか」と答えるだけだし、彼も「そうだよ」と言うだけだ。
言うだけだった。
なのに、今日は違った。俺が「そうか」と答えても彼は何も言わないままで、俺の手を握っていた。え、とかあ、とか言う事も出来ないままの俺など無視して、彼はするりと指を絡めて、痛いくらい強く握った。
「…ズラ子さんの、番」
「………は」
「今日こそは答えてもらいたい。俺の事どう思ってるのか」
「…はぁ」
なんとも間抜けな返答しかできない俺は赤い瞳を見つめたまま、固まっていた。彼は俺を好きで、俺の感情を知りたがっていて、そこまでは分かるが、なぜ俺なのかはわからない。金髪に紅の瞳、すらりとしたバランスの良い身体に巧みな話術を持つこの男に、惚れぬ女など居ようか。
むしろ、俺はそんな上辺の綺麗すぎるその男が嫌いだった。
だから、そう。
今、目の前で必死な形相で揺れる瞳や、汗ばんだ掌から伝わる熱や速まった鼓動の切羽詰まったような彼は好きだ。
「今のお前は好きだよ」
「今だけ?」
「今だけだ」
「…今だけ両想いなら、」
言葉が途切れて何事かと問い詰める前に、顔が近づいて、唇が触れた。突然過ぎて瞳すら閉じられなかった。
「キスしても良いかな」
その手は少し震えていた。
「してから言うか普通」
「両想いなら問題ないでしょ」
「勝手にしろ」
言い終える前にまた顔が近づいて、今度こそ俺は目を閉じた。

(こんなやりとり、不毛すぎる)

二丁目通りでキスをして?同級生銀桂

「ちょっとヅラ、そこ立て」
「ヅラじゃない、桂だ」
「なんでもいーだろ、ほら早く」
「ああもう…なんなんだ」
放課後、彼からの呼び出し。妙な期待をしながら、指定された場所へ向かった。彼はもうずっと待っていたというようにしゃがんで地面にじりじり絵を描いていた。俺を見つけた彼の一言目が『そこに立て』で、一体何のことかと疑問に思うと同時に、一体自分が何に期待していたのかわからなくなった。まぁ、なんやかんや言いつつ、言われつつ、結局従ってしまうのだけれど。
彼に指定されたのは地面に描かれた円で、それはぽっつりそこにあった。どうやら、その中に入れというらしい。そこに立って何があるというわけでもなさそうだが、彼が言うのだから、まあ立ってみるくらいは。
もしかしたらもしかして、円の中に入っ瞬間にどこかへワープが出来たり、するかもしれない。
(しなかったけれど。)
結局俺は本当になんの変化もない円の中でぼけっと立っているしかなかった。
「何なんだ」
「なぁ、俺と別れたくなった?」
「はあ?」
何を突然突拍子もないことを言い始めたのかと目を開いた俺に、彼は続けてこういった。
「その円に入るとカップルが分かれるってジンクスがあるんだってさ」
「へぇ」
そうなのか、初めて聞いた、と返すと、彼はまた聞いた。
「で、どう?」
「どうも何も、俺たち付き合ってたか」
「付き合ってないっけ」
「付き合おうと言われていないが」
「ばっ………そういうのは雰囲気でだな………」
彼は(ああ、)と額に手を当てて空を仰いだ。何か考えている証拠だ。俺が馬鹿な事を言ったから悩んでいるのだろうけれど、俺は彼から面と向かって(付き合って)と、言われたかったのだ。
円の中、黙ったまま、なんとなく気まずい雰囲気に耐えきれなくなった。
「銀時」
「何だよ…」
視線があった。ドキリとした。(好きなのだから当たり前か)
ああ、もう、駆け引きなんて嫌いなんだ。
「俺とお前は…付き合ってる、よな」
瞬間、彼の顔がぱっと明るくなった。なんてわかりやすいんだと思うと同時に、嬉しくて頬が緩んでしまった。
「何笑ってんだよ」
「いや…別に」
「あ、で、別れたくなる?」
「お前……そんなに俺と別れたいのか?」
しょげてみる、慣れないことをしていると自分でも思う。すると彼はわたわた焦りだした。(だって座っていたのに立ち上がるし、)
「ちげぇ!ちょっと愛を確かめたくなっただけだ!」
正直嬉しくて抱きつきたくなった。しかしそんなこと出来るわけもない。恥ずかしい。
俺も彼も正直ではないし、意地っ張りだ。言葉に出すのが互いに苦手で、だから、こうして試したがるのだ。

別れたくなった?なんて遠回りに聞かずに、素直に好きと言ってくれればいいのに。そうしたら俺だって付き合ってたか、なんて確認せずに素直に好きと言えただろう。

(今からでも遅くない。その噂に流されたフリをしてやろうか。そしたらお前はどんな顔を見せてくれる?)

ハロー優しさのかえる家金魂/金桂

パスポートはどこですか、と、鞄を探りながら眼鏡君が言ったので、そんな物はないし何で突然海外出張ですかと聞いてみた。
「神楽さんのお迎えです。っていうか金さんパスポート持ってましたよね」
「まてまて、中国とか近くね?行かなくてもよくね?むしろぱっつぁんが行きゃいいじゃねーか」
俺である理由を言えよ、と言ったら、あの人の用心棒なんてあんたにしか出来ないですから、と簡潔に答えられた。
「いや、あいつは1人でも大丈夫だって、な?」
「……行きたくない理由があるんでしょ」
俺の鞄の底からパスポートを見つけ出した眼鏡君はこちらを見てニヤッと笑った。わかってるなら最初から出張なんて野暮なことを言わなければいいのに。
「虫が湧くんだよ」
「頭の中にですか」
「ちょ…それは辛辣すぎんじゃねーの?」
酷い!とかわいこぶったポーズをしたら本気で引かれた。気にはしない。
「愛しのハニーに悪い虫が付くって意味だっつの」
ふうん、そうですか。と信じていないような口振りで流してから、じゃあ早く連れ戻してこればいいじゃないですかと突き渡されたパスポート。お前が行けよ!と叫んでみても無意味だとは知っていたが、とりあえず抵抗だけはしておいた。


「土産はブランド物より酒が良い、珍しいやつ」
あの眼鏡を今日ほど恨んだ日はないだろう。なんでこいつのこと知ってんの、なんで教えてんの、あいつは俺の母ちゃんか。
「行かねーからな」
「行かないのか?」
そうやって頭に疑問符付けて、首を傾げる様は正に女で、倒錯的なそれに俺は目眩すら覚える。そんな美しい彼が俺を遠ざける理由、そんなの知ったこっちゃない。いつでも隣にいろよと言えば、困ったように笑う。そんな近づけば離れるような距離に今日こそは終止符をつけたいところだ。
「行って欲しいのか?」
「土産は欲しい」
「俺は、いいのか?」
静かに告げる、自ら冬の朝の靄をかけてしまったような気がした。
「そういう意味じゃあ……」
カツンと階段の上から音がした。見上げると高杉が立っていた。
「立ち聞き?」
「聞こえただけだっつの」
鉄の階段を鳴らしながら降りてくる彼はニヤニヤ笑いながら煙管を取り出す。癖なのか、桂は火を取り出した。2人が自然に隣に並んだ事に瞬間に苛立ちが沸点にまで達して、それから一気に覚めた。火を器用に乗せる桂も、すこし背を丸めて火を貰う高杉も、一枚の絵画を見ているかのように綺麗で。
ただ、一瞬沸点まで上がった俺の手は、桂の手をがっしりと止めてしまった。
「………」
手を引っ張って、連れていけたらいいのに。
(本当は連れていきたい、でも行けない。それはあまりにも危険なのだ)
朝、焼け行く空は、高杉を正しく街へ向かわせるが、俺達を溶かす。出来るならば俺は、桂を明るい方へ行かせたかった。(だが、闇の中だからこその美しさと気付くべきなのだ)
(いいやきっと彼は昼間でも美しい。と、信じている)
そんなことはいい、とりあえず新八の言うとおり俺は神楽を迎えに行かなきゃいけないし、(拒否権が俺にあるはずはない)それから、すぐに戻ってこなければ。桂が高杉に取られたり、ちょっかい出されたりする前に。
「ああもう、お前、今日は俺んち来い」
「は?……は?ちょっ…」
彼の動揺なんて無視だ。俺は腕をつかんで、駆け出す。いや、駆け出すどころか、猛ダッシュだ。
家に帰ったら愛を語ってやるしかない、そんな事を思いつつ。

title:夜空にまたがるニルバーナ

kiss you kiss me金魂/金桂

キスして、と言われて、躊躇わずその頬に唇を落とす。何で唇にしてくれないの、と文句を言う女達に、俺は最高の笑顔で答えてやるのだ。
「唇は、特別な時に」
同時に手の甲にキスをしてやれば文句が出る事はない。そんなやりとりをもう何回繰り返しただろうか。本当に唇にキスをした女は何人いたかな。


「…んっ」
くぐもった声が漏れる理由は、そのキスで舌まで絡めているから。少し苦しそうに、両手でシャツを掴んで震えている`彼`の頬を両手で挟んで求められるまま、キスを送る。いや、求めているのは俺かもしれない。女のようなわけでもないが、確かに彼の唇はふっくらと柔らかくて、つけている紅の香りなのか、砂糖菓子の甘い香りがする。もう良いかな、と唇をゆっくり離すと銀糸が伝った。それに羞恥を感じてかぎゅっと彼が服を掴む力が一層強くなった。
「足りない?」
聞けば首を横に振る、それから、その長い指で俺の唇についた紅を拭う。その仕草が余りに綺麗で、耐えられなかった。紅のついたその指をとって舐めると、やっぱり甘い味がした。
「甘い、」
「……お前が好きだと思って」
その言葉に、抱き締めたくなった。だってそれって俺のため、だろ?
「それって自惚れていいの?」
「そっくり同じ言葉を返してやろうか?」
何のことかと問えば、ギリギリだった距離は少し離れる。
「唇は特別な時に、だろう?」
まだ微かに紅の残った唇を指で撫でながら、首を傾げて再び問うて来た。その仕草の一挙一同から目が離せない。それほどに俺は彼に傾倒してしまっているらしい。(ああ、歌舞伎町の指折りにも入る俺がなんてことだ!)
「自惚れて よ」
大きな声で言えないなんて、どうなんだとは思ったが。彼にだけ聞こえるようにそっと呟いた。
(俺達は多分、互いに本気の駆け引きが苦手なだけなんだよ)

その言葉が精一杯でした逆3Z銀桂

(まさか高三の担任にもなってこんな小学生のようなことをすることになるとは)と、このクラスの誰もが思っているだろう。
週に一度のLHR。本当は学校祭の出し物について決めるこの時間が、こんなに淀んだ空気になるなんて誰が予想できただろうか。ゆっくりと教室全体を見回して、苦々しく言葉を発する。
「誰もこんな事で時間は取りたくないだろうが、だからと言って放っておける問題じゃない」
まあこの状態を簡単に説明すると、隣のクラスの女子に脅迫状まがいのものが届いたという話で、噂が背鰭尾鰭をつけるうちにこんな大騒ぎになってしまったようだ。だから今日はどのクラスもこんな授業。
うちのクラスで被害者がいなくてよかったという安心感と一方、加害者がいたらどうしようかという思いもあった。そしてクラス中が静かなのは「そういう空気」が流れているからで、このままでは絶対生徒からの発言は望めない。沈黙だけでは授業にならない。だから俺が話していた、そういうことだ。授業は残り20分。それ以上道徳的な話を続けても眠いだけだということで、思い付いた俺は全員に真っ白の紙を配った。
「後ろまで配れたか?これにお前達が他人に言ってはいけないと思う言葉を三つあげて理由を書いて提出。期限は放課後までだ」
それだけ言うとクラス中が筆箱を開け、ペンを走らせる音が始まった。皆が書き始めたのを確認してから教壇まで椅子を持ってきて座って、本を広げた。うちのクラスは問題児が少なくていいなと思いつつ、本の隙間からちらと彼の方を見る。と、彼は既にペンを投げ出し机に突っ伏していた。ああ、ここにひとり。

その紙はその授業のうちにクラスの皆が殆ど提出して放課後には全員分が集まっていた。意外と皆まじめに書いていたことに驚きつつも、その長々としたのを読むのかと思うと少し胃が重かった。自分で提案した事とは言え、正直今日は早く帰りたかった。
「今日遅いの?」
突然後ろから若々しい声が聞こえ、驚いて振り返る。と、閉めたはずの戸は開いていて、そこには銀髪の男が立っていた。
「ぎ……坂田……」
「やだなぁ銀時って呼んでよ」
俺と殆ど背の変わらない生徒がヘラヘラと笑って立っている。
「何の用だ?」
「一緒に帰ろーかと思って」
にこっと笑う、それは子供のようなあどけなさはみられない、どことなくしたたかさも含んでいた。
「今日は遅くなる」
実は俺と彼にはただならぬ関係というのがある。教師と生徒なんてどこの漫画の世界だ、しかもそれが男同士だなんてもう何度頭を抱えたことか。今はもう半分開き直っているのだが、それは彼の強引さと頭の堅い大人にはなりたくないという思いが関係していた。それにこの関係が悪いことだとは思わない。非道徳的だと言われたら声をあげて反論できる。
さて、そんなことを考えている内に彼はそこにあった丸椅子に座っていた。「はやく終わるかもしれないから待ってる」と、またにっこりと笑うと、どーぞ作業して、と自身の携帯を取り出した。多分作業が終わるまでいるんだろう。駄目だと言っても無駄かな、と諦めの溜め息を吐いて俺は作業を始めることにした。

《死ね、殺す、ウザい、キモい》
書かれた言葉は痛みを持って、人を射す。皆わかっているじゃないかと感心しつつも、ここでこうやって書いたって結局の所、彼らがこの言葉を使わなくなることはないと知っている。まあ理解しているだけでもマシなのだろう。ぺらり、ぺらり、紙をめくっていくが、似たような言葉が並んでいる。皆思っていることは同じかとパラパラ紙を見ていると、ふと、大きく一文、理由すら書いていない紙があった。
《あいしてる》
と書かれた、その一枚。
その見慣れた文字を辿って名を見ればやっぱり坂田銀時と書いてあって、それに少し頭が痛くなった。
「銀時………」
「何、センセー」
「……再提出、書き直しだ」
振り返らず短く告げ、紙をひらりと煽ると、後ろで椅子を引く音がした。
「言ってはいけない言葉、なんですよね」
「ああ」
「じゃあ、あってるよ」
「どういう…?」
振り返ってしまった。
「言えない、俺は先生意外に」
その言葉の意味を理解した時に、俺の心臓は締め付けられた。彼の目は真剣だった。しかし、だ。俺は彼からその言葉を聞いたことがないような気がする。好きとは言う、大好きとも言う、けれど愛してるは言われたことがない。多分、一度も。
「………聞いたことがないんだが」
俺以外に言わないといいつつ一度も聞いたことがないその言葉が欲しいわけではないが取りあえずは聞いてみた。
「愛してるってなんか安っぽい気がするから言いにくいんだよね」
「………そんなことはないだろう」
《愛してる》が最上級だと考えていた俺はそれに面食らってしまう。
「愛はあるよ、でもなんか違うんだって」
「それは……俺が嫌いなのか?」
この質問はひどく勇気が必要だった。もしも「ハイ」だなんて言われたら俺は絶望で目の前が真っ暗になってしまう。
「んなわけ、」
彼は焦ったように立ち上がった。距離は一瞬で詰められて、手首にきつく指が絡みついた。
「愛してる、よりもっと好き、です」
「馬鹿か……」
「超真剣、言い表せないくらいすき」
痕がつくんじゃないかと思うくらい、きつく握られて、それでもその真剣さに痛いとも言えず、ただ、ゆっくりと唇を近付けた。
「……ッ、再提出、しろよ…」
「えーヤダー」
そのどうにかこうにか言えた言葉もすぐに消えた。長く舌を絡ませて、確かめ合うように抱き締めた。ここが学校だなんてもう意識の外。軽く上がった息と甘い空気と、刹那の胸の痛み。真っ直ぐに好きだと、愛していると言いたい。
「苦しい…」
「え、」
「言葉が見つからない位、好き、だ」
切れ切れになってしまったがそうやって正直に言うと、彼は薄く笑った。

(その大きな感情の前に人は言葉を無くすのだろう)

答えは貰わなくても攘夷時代

血濡れの大地に片膝を着き、祈るように右手を胸に。スローモーションで閉じた瞼は、神々しくさえ見えたのだ。
何をしているのか、聞くことは叶わない。そこには、彼以外の言葉を存在させてはいけないような雰囲気が漂っていた。到底俺なんかが話しかけてはいけない、ピンと空気の張った中で、逃げ出したくなる腐臭に囲まれながら、一人その地に跪く彼。
「何の用だ?」
俺は黙っていた、だから声を上げたのは彼。問われたならば答えられる筈だったが、俺はあえて答えなかった。声を出した瞬間に、その美しい情景が消えてしまうような気がしたからだ。
「銀時?」
ああ、呼ぶな。俺の名を呼ぶな。その場所が美しくなくなってしまうじゃないか。一面の血、そこに死体はないが、俺は何かを踏まないように、そっと彼に近づいた。
「どうした」
彼はまた俺を呼ぶ。
「……雨が」
そう何度も問われて、流石に答えねばならないような気がして、そのときようやく声を出した。それは意外と低くて、自分で驚いた。
「…降るかな」
すこし空を見上げてからふ、と顔を曇らせてもう一度地面を見つめたその先は、やはり血の海だ。
「……綺麗だな」
俺が言うと、彼はこちらに向かって胡散臭そうな目をしてきた。
「血が好きなのか?」
「お前がだよ」
「ああ……」
ああ、そう。と彼は目を伏せた。軽口にすら乗ってくれないのかと肩を落としていると、「血濡れの俺は嫌いか?」と微笑と共に問われた。
どうだろう、と考える。血は好きでも嫌いでもない。けれど彼は好きだ。もっと言ってしまうと、返り血を浴びた彼というのは人間に見えず美しい。
「好き」
だからこんなにストレートに言えるのは今だけだ。こんな可笑しな空間でなければこんな正直な気持ちがいえるものか。
「俺もな――――」
振り返った彼の顔には、微笑が浮かんでいる。そしてひとつ間をおいて言う。
「血濡れのお前が好きだ」
柔く、笑う。
「普通の俺は嫌いなわけ?」
「まさか」
驚いた。と言うような顔で、彼は続けた。
「もっと好きだ」
ははは、と俺は照れ笑いを隠すように口を押さえて俯き笑った。軽口かとも思ったが、彼がそんな冗談を言うような人間でないことはよく知っていた。ああ、彼の真っ直ぐ過ぎる瞳は、たまに誰の眼光よりも鋭く、俺を射抜く。
ぼつり、大粒の雨が地面に落ちた。もうひとつ。血に濡れた身体が洗われる。徐々に強くなる雨足が、身体を冷やしていく。彼の髪から溶けた血が、服に染み込んで濃く影をつけた。
「愛してる」
その言葉に彼は答えなかった。いや、答えたのかもしれない。ただ、強く打ちつける雨の音で聞こえなかっただけなのかもしれない。

ひどくぬかるんだ泥の中、沈んでゆく足。それはもうここから抜け出せないのだと、示しているようだった。

宙に浮く、魚の夢を見たんだ子供時代

(水池の中のあれは今どうしているだろうか。俺が救えなかったアレは。)

桂はその賑わしい騒がしさに気持ちが高揚していくのを感じた。冷静で居たいと思うがやはり祭りという独特の雰囲気に飲まれてしまいワクワクとしてしまう。祭り独特の匂いが、桂を包み込む。人混みを分けるように隅を歩いて、屋台を回る。田舎の祭りとは言え、娯楽性のある屋台はいくつもある。ふと、桂はその店の前で足を止めた。
何も書かれていないその店には水の張られた大きな桶がおいてある。その中には赤と黒が光っていた。橙色の電球が、少し妖しげにそれを映し出す。
「欲しいのか?」
後ろから高杉がひょこりと覗き込む。桂はいや別に、と短く答えると歩みを進めた。


古びた社の端に座りこんだ三人はその音にふと顔を上げる。
「花火始まっちまったな」
ぽそりと銀時が漏らしたが、桂は特に何も言わなかった。ただ、高杉は「もっかい回ってくる」と言い残して社を離れた。す、と人混みに消えていく姿を確認してから桂は空に視線を向けた。
風はなく、花火と煙がかぶってい美しくないなと思いながらふと足元のそれに気付いた。
金魚が一匹、死んでいる。大方、掬った金魚をこれからどうするか考えあぐねて捨てられたのだろう、と桂は思った。その命の抜け殻の赤と白の鱗に艶はなく、少し気味が悪いほどだった。
(でも結局、)
桂は思う。
(あの息苦しい桶の中でも早く死んでしまうだろうに)
ああ、と溜め息をつくとそれに気付いたように銀時が振り返った。その手には赤く艶やかなりんご飴が握られている。
「何、つまんねー?」
「いや、金魚がな」
「金魚?」
そうして桂は今の思いを話した。すこし声を潜めて。
「俺はあの命すら救えない」
桂が、先生の言うようにはいかないな、と苦笑し上を仰いでいる間に銀時は社から居なくなっていた。一人残された桂は黙って花火を見続ける。大きな破裂音の後にガサガサと草を分ける音がした。桂はそれが銀時だとすぐに気付く。下駄の軽快な音や腰の刀が草を分ける不規則な音は確実に彼のものだった。
「どこに行って…」
黙ってどこに言ったんだと文句を言ってやろうと振り返った桂は、開いた口が塞がらなかった。
差し出された水の袋。中には赤と黒の魚が泳いでいた。
「お前が救えねーもんは俺が救う」
そう言って銀時はまた差し出し渡そうとした。桂は差し出されたそれを拒めず渋々受け取ると溜息を吐いた。
「一方的だな」桂はそう小さく漏らして、手中の金魚を見つめた。
「俺が救えねーもんがあったらお前が救えばいいじゃねぇか」
それで貸し借りはナシだ、と銀時は嬉々として言った。しかし桂はまだ納得できていない様子で黙っていた。
が、ふいに口を開く。
「家の池にでも、放しておこう。おまえの救った命が、いつまで生きるかみていたい」
そうして、笑った。
だが銀時は笑わなかった。その短い命を知っていたのかもしれない。

そして桂は、赤い魚を見る度にあの小さな命を思い出すのだ。

(宙に浮く、魚の夢を見たんだ)

最終的に俺達は

霧が酷かった。だからそれに紛れて彼はやってきたのだろう。何時もは無駄に堂々と、玄関やら窓から訪ねてくる男がこんなにひっそりと現れてくるなんて珍しい。
ソファの上で俺の着流しにくるまって眠っている彼は昔聞いた童話の姫のようだ。長い睫は乾いていない。
珍しいと言えばもう一つ、彼が起き出さないことが珍しい。何時も平静な顔をしてはいるが、何か妙な気配があればすぐに起き出す彼が、いつになく深く眠っている。それ程にこの家が落ち着くのか、それともまた別の理由なのか。真相は分からないが寝ているなら起こすこともないと思った。今度は俺の「珍しい」の番だ。いつもだったら彼をたたき起こしている。だけど今日はしなかった。霧のせいで頭にまでもやがかかったんだとでも言っておこう。
(嘘でも、『寝顔に見惚れてた』だなんて言いたくない)

そして俺はそのまま桂が眠るソファの正面に座った。深夜の3時。寝たのが丁度12時位だったからこの3時間の間に侵入したということか。一体全体こんな時間に何の用なのか、少しは色めいた期待をしていいのだろうか。そんな下世話な事を思って見つめていたのだが、ふと心配になった。
彼は動かない。呼吸すらも不安になる静かさだった。胸を見つめて呼吸を確かめたがよくわからない。胸は上下に動いているようには見えなかった。いやまさか死んでるわけはないだろう。そうは思うが不安は募る。若くして死ぬ人間は嫌と言うほど見てきたから余計に。
悩む前に行動を起こそうと座ったソファから腰を上げて手を伸ばした。
頬を人差し指でつついてみると、唇と目が一瞬動いた。それに少し安堵していると桂は目を開けた。
彼は俺に気づいてがばりとはね起きて、きつく握りしめていた着流しをぱっと放してしまった。

「……」
何の用だとか、どうして来たんだとか、もっともっと他に言えることがあったはずなのに俺は押し黙ってしまった。
「……どうした?」
そんな俺に気付いたのか彼は問うた。俺は首を傾げながらもそれには答えなかった。
「オメーこそ不法侵入してまで何の用だよ」
少し考えてから聞いたのだが、求めている答えは返ってこなかった。
ただ、彼は黙って両腕を広げた。

俺は吸い込まれるようにその腕の中に入って、彼の背に己のそれも回した。どうしてこうも落ち着くのかさっぱりだ。
しかし何となく自分が愛に飢えているような気がした。まあ、それも悪くはないと思ったのだけれど。

「ヅラァ」
「ヅラじゃない」
「キスしていい?」
両手を彼の頭に回して、肩にあった顔を離して唇を近付けた。彼は小声で「そういうのは雰囲気で流れて行くもので了解を得るものじゃない」と不服を漏らしたが、唇を合わせてしまえば後は無言だった。
柔らかなその感覚に歓喜の痺れすら覚える。しばらくそのままいたのだけれど、聞きたいことがあって、唇は離してしまった。正直名残惜しいと思った。(なんか俺依存してねぇか?)

「結局、何しにきたの」
「癒されに」
「なんだそりゃ」
「なんだろうな」
わかりにくかったが、彼はクスリと笑った。寂しかったのかと聞いてみたかったが、なんとなく俺にも同じだけ降り懸かってくる気がして聞くのをやめた。

最終的に俺達は寂しさを埋め合わせ続ける。

たった2文字が言えません3Z

何となくそういう雰囲気だったから流された。同性だなんて全く気にならなかったのはきっとその男臭くない顔と仕草のせい。
だから唇と唇が触れた。
触れただけじゃない。彼の乾いたそれを潤すように唇を舐めて、半開きになった唇に舌を入れてキスをした。
ようやく唇が離れた時、俺達は無言だった。俺の両手はまだ桂の頭と頬に絡みついていて、彼も俺のシャツの胸元を強く握りしめたままだった。
謝るべきか、もう一度誘うべきか、茶化すべきか。何にせよ俺と彼の関係は今ので変わってしまった。例えば此処で女達のように『ただのヤリ友』だとか言って割り切ってしまえれば簡単なのに、彼の上気して潤んだ瞳は確かに俺が好きだと訴えかけていた。

いままで気付かなかった俺は馬鹿だ。
桂はずっと俺のことが好きだったに違いない。自意識過剰だと思われそうだが、事実、桂は俺に好きだと言った。本当に小さい声だったが、それは到底冗談には聞こえなかった。
俺が逡巡していると彼がゆっくりと顔を上げた。慌てて目をそらしたのは言うまでもない。今彼の目を見てしまったら何かきっと押さえが効かなくなる。その確信があった。

「先生、」
その声が耳に残って何度も響いた。
同時に、俺と彼との社会的な立場を思い出したのだけれど、その関係はキスをした瞬間にずるりと滑り落ちてしまっている。
「先生」
彼はもう一度俺を呼んだ。目を合わせられない臆病な、俺。けれど彼の視線は真っ直ぐに俺に向けられていた。
その時の俺には覚悟が必要だった。それは重くてデカい。その上ハイリスクだ。それでも俺はその時既に彼に特別な感情を抱いていた。
「……、」
想いを言わない事はとても卑怯なことだと思った。けれど俺は何も言わず再び彼に口付けた。そのまま瞼をあけてみたら、彼はきつく目を閉じて、睫を震わせていた。
ああ、ヤバい、墜ちた。
そう思って両手を彼の背に回した。そのまま指で背をなぞる。横、左斜め下、右斜め下。横、横、左斜め下。たった二文字を繰り返した。
彼の腕がシャツから離れ、俺の頭へ回ったことは多分一生忘れない。

(伝えたいことを言葉に出来ない情けない大人です)