土方さんは今日も俺の部屋に来た。開口一番抱かせろって、まったく、発情期の猿じゃあるまいし。
「だめでさ」
やんわり断るのもそろそろ面倒になってきた。それにこんな断り方を続けたらいつかは押し倒されるね。絶対。
「理由を言え、理由を」
もう何回繰り返したっけこの会話。
「禁忌だからでさ」
理由だってもう何回も教えてる。(ま、上辺だけだけどさ)
神を汚してはいけない。それは真理。神との融合をしたがる男に全て明かしてしまおうかとも思ったけれど、やめた。これは秘密であって、秘密ではない。
僕は神の子である。人は皆そうであると言う人もいるが僕は『そういう意味』の神の子ではない。僕はゆるやかな荒廃を感じながら生きているただの人間である。それと同時に、神様でもある。正しく言えば上に『疫病』がつくけど。
「神様と人間は交わっちゃだめなの」
「ワケわかんねーっての。もうそれ、何べん聞いたと思ってんだ。耳たこだぞ」
はいはいはいはい、そうですね。だってもう数十回は言ってますから。
土方さんがいくらリアリストだからって、コレだけ言いつづけたらちょっとぐらい信じてくれたっていいのにね。
そして僕はまた同じ会話を繰り返す。
「なんで俺が抱きたいんでさ」
「好きだから」
サラッと言ってくれちゃって、まあ。悪い気はしないけどね、それだって耳たこだよ。もっと具体的な理由がききたいね。
「なんで俺?」
「お前だから」
神様かみさま、理屈がわかりません。あなたの子供が困っていますよ神様。
このままじゃ押し倒されるね。ほんと。
だって今、俺、床に頭打った。
しかも、土方さんの顔、めっちゃ近い。
抵抗?出来るわけねえじゃねえか。俺だって土方さん好きなんだから、さ。だけどダメなんだってば。触らないで。
「土方さん、祟られちまいまさァ」
「かまわねえさ」
あ、馬鹿だこいつ、信じてねえな。お前の大切な人を俺が殺したようなもんなのに。信じてないんだ。
「死ぬよ」
「……………何で泣いてんだ」
テメーが人の話を聞かないからだコノヤロー!いつも俺が死ね死ね言ってんのにあんたが死なねえのは俺のおかげだってのに!
俺が本気で望めばあんたは次の日にでもぽっくりさ。あんたが俺に、俺があんたに触れれば触れただけあんたの寿命は確実に減ってんのに!
「死ぬよ」
姉上は死んでしまった。きっと近藤さんも早く死んでしまう。山崎も。原田も。みんな、俺を、置いて。だってみんな好きだから。俺が好きになる人はみんなみんなみんな早くに死ぬ。(偶然な訳あるかよ、母上も父上も俺が殺してしまったんだ)
「俺が死ぬときゃ、お前も道連れにしてやるよ、総悟」
土方さんはそんな辛辣な言葉をいいながらも、ひどく優しく笑うんだ!ああ、もう、ごめん、土方さん。
題名はなくしてしまいました沖田が不幸を運んできてしまう少年だったら
無に帰すpromiseミツ←土←沖/暗い
僕の心臓はどくどく聞こえるけど、あなたの心臓はもう聞こえない。僕の心音は速くて、重くて、痛いのに、あなたの心臓はもう何も感じない。
(ねえ、100まで生きると約束したでしょう?)
*
今まで何回も参加してきたその儀式は、その日だけ、不思議なほどに重く感じた。その儀式ってのは葬式で、俺は若干18ですげぇ数のそれに出ている。、自慢できるほどだがあまり自慢できるものではない。
その日の空は灰色で、変に風が強くて、いつ雨が降ってきてもおかしくないような感じだった。火葬場に着いたときには風がビュンビュン吹いていて、ヤな天気だなぁ、と呟いたらすぐ隣にいた隊士も呟いた。
「彼女、焼かれるのを嫌がってますよ」
突然言われて、(だから何)と返事をしそうになった。だけどソイツは霊感があるって有名な隊士で、いや、俺は幽霊とか信じてないんだけど…だけど「だから何」なんて返事をしたら悪いなぁって思って、「そうかィ」と笑ってみせた。
ま、ほんとに笑えてたかどうかは知らないけど。
*
ねぇ、これ、火葬場にきてからもう何時間?
俺は時計を見ずに、手の中にある冷めた茶ばっか見て、その隣で彼女が焼ける機械的な音を聞いていたから時間なんて知らない。だってね、ずうっとぐるんぐるん、絡んだ毛糸みたいなのが頭の中で暴れてる。
それからかなり時間がたって、扉が開いて、熱と臭いが一気に放出した。あの、人間が焼けた臭いがぶあって。何回経験しても慣れないし、慣れたくもない臭い。彼女は俺にものすごい哀しみを突きつけたんだ。
確かにちょっと前まで、そう、確実に昨日までは姉上だったのに、そこにいたのはギリギリ人型の白いガイコツだった。
真っ直ぐに立っていられるとおもう?
無理。
頭の奥がガンガンしてきて、一歩下がった。さっきからずっと風が吹いてるのに鼻の奥の嫌な臭いが取れない。なんで?
でも泣かなかった。泣けなかった。ぐるんぐるんがどんどんひどくなってきてた。
火葬場のオヤジがまじまじと骨を見ていたけど、そのうちこっちを向いて得意気に言った。
ああ彼女、肺を患っていたんですね。ほらここ、肺のあたりの骨が黒いでしょう?生前悪かったところはこうして黒く骨にあらわれるんですよ。この仕事を何十年もやってきて気付いたんですけどねぇ。焼いてから死因がわかることもあるんですよ。と。
俺はぐるぐるした頭で、そうですかと答えただけだった。不機嫌に聞こえてないといいけど。実際不機嫌だった。
オッサン、人の気も知らないで。
*
少しぼうっとしていた。土方さんの煙草より嫌な臭いがずっと鼻の奥から取れない。嫌だ嫌だ。早く取れてよ。
カシャン、
聞き慣れない音がして、見たら彼女の骨を砕いてた。嘘、なにやってんのおっさん。あれ、ねぇ、今までの火葬もこんなことしてきたっけ?
リン酸カルシウムの塊がどんどん小さくなる。
おっさんが長い箸で小さくしたそれを拾い上げて渡してきた。何をするかなんて分かってたから俺は黙ってその儀式をした。
土方さんは一回骨を拾ってから俺の後ろに立っていたのだけれど、いつもみたいに煙草は吸ってなかった。(吸っててくれたらちょっとは嫌な臭いが消えたかもしれないのに、空気読めよ馬鹿)
なんだかイラってした、だからムリヤリ骨を渡した。
「…人間、灰が残らなくなるまで焼けねぇんですかねェ」
「ずっと焼いてりゃ火力であん中に飛ばされちまうだろ」
彼は視線だけで、さっき彼女が出てきた暗い闇の中を指した。
そんなら俺は骨が全部消えるまで燃やしてくだせェ。そう呟いたのは聞こえていたかなぁ?
それから、灰が骨壺いっぱいに詰められて、一番上に頭蓋骨の骨が置かれた。閉まんなくなった壺の蓋を閉めるために、火葬場のオヤジがまた骨を砕く。
もう砕くのやめろよ、かわいそうだから。なんていったところでもう彼女の意識は"無"であるから、そんなのはまったくのエゴだと思って、俺は何も言わなかった。
いいや、言えなかった。
怖かったんだ。
全部、怖かった。
あの骨が姉上?いや、違うよね、だってそしたら肌はどこ行ったの?髪の毛は?これ、俺も死んだら、あんなになるの?マジで?
またぼうっとしてた。
そしたら残りの骨はどうされますか、もって帰られますか、こちらで葬送致しますか、って聞かれたから俺はどうしようかと土方さんと近藤さんを見た。
土方さんは小さく好きにしろと呟いたし、近藤さんも総悟のしたいようにすればいいんじゃないかと言った。
ひどいなぁ、まだ俺を悩ませるの?
何かを考えるの、今すっごく辛いんだよ。いっそ勝手に決めてくれた方がよかった。
だから考えるのはすぐやめて、火葬場で葬送してもらうのを断った。
余った骨を貰って帰った。
骨壺は、墓に置いてきた。もし死後も意識的なものがあったならば、彼女は今頃寂しがっているのかもしれない。
ただそれは、仮定の話だ。
だって俺はそれがあったらなぁとも思うし、でもそんなもんは無いんだと心の奥底で確信しているから。実際死なないと分かんない話なんて、生きてる俺がしても無意味だ。
「行ってきます」
そして俺は誰に言うわけでもなく呟いて屯所の外に出た。
海へ行こうと思った。あとは丘、ターミナルのてっぺん、河原、色んなところ。
海、俺は骨をまく。砂浜に、海の中に。
流石に自分じゃ砕きたくなかったから、撒いたところどころゴロッと骨がある。これはいつか風化されるよなぁ。ああ、これで世界中に姉上の骨が回ったね。
丘、江戸がいっぱい見える丘。俺はまた撒いた。白いそれが散る。これが俺たちが守ってる、江戸の街だよ。汚いけど、おもしろい町だ。
そう呟いた。
ターミナルのてっぺんにつく頃には夕方だった。そりゃそうだ。俺はずっと徒歩で歩いていたんだから。
ターミナルのてっぺん。一般人が入れないそこに警察手帳見せて入ってさぁ。ごめんね姉上、僕は権力を振りかざすような人間になっちゃった。でもそこに姉上はいなくて、リン酸カルシウムはあった。
灰を撒いた。下にいる人間に当たったらわるいから、なるたけ粒になったやつを撒いて、すぐ帰った。
骨はまだ残ってた。それを残したまま屯所に戻る気はない。だからまた歩いた。
ここが僕の大親友、銀時くんの家だよ。
ここが近藤さんが女取り合って決闘した河原。
ここは駄菓子屋、姉上の好きなせんべいもありますよ。
心中で呟く度に灰を減らす。道の途中であの時のぐるんぐるんが襲ってきて気持ち悪くなった。
わざとフラフラ歩きながら屯所に戻った時には、めちゃくちゃ綺麗な月があって、明るくて、気味が悪いくらいだった。屯所の入口は見張りがいるから、明かりが必要なんだけど、その日はいらないくらいだった。何の色にも表せない光が、影を作ってた。
その俺の"家"の前で確かめたら、骨がひとかけらのこってた。おかしいな全部撒いたはずなのに。ああ、どうしよう。ここに持って帰ってくるつもりはなかったのになぁ。
仕方なく門をくぐった。
また誰に言うわけでもない「ただいま」を言ったら「おかえり」と誰かが答えてくれた。ただそれだけで泣きたくなった。姉上が死んだ時以来出なかった涙が出た。
俺にはまだおかえりを言ってくれる人がいる。そう思っただけだったのに…なんて感傷的になってたんだ俺は!
流れる涙は拭わずに俺は庭に行った。(だって拭ったら泣いているのが誰かにバレるじゃないか)
土方さんの部屋の前、わら人形が刺さりまくった木があるその庭に、最後の骨をまいた。
*
全部自己満足だよなぁ。
墓を建てるのも、お供えをするのも、骨をまいたのも、話し掛けるのも。
それでもその自己満足な行動をして少しでも救われるなら、好きなだけそれをしようと思った。だって何もしないで救われないよりいいでしょ?(あ、この"救われる"っていうのは"心の平穏"ってこと)
だから俺は彼女がいない日常を生きることにした。
(怒らないでね。薄情でごめんね。だけど先に約束破ったのは、姉上だからさ、これくらいのわがままは許して?あ、俺はいっつもワガママか。)
さいなら。僕はたまにだけ姉上を思い出そうと思う。毎日思い出したら毎日でも泣きかねないからね。さようなら、また思い出す時まで。
無感動な俺でごめん。だけど、俺、ちゃんと笑って過ごすからさ。ご飯も三食とるし、風邪も気をつけるから。
だから、バイバイ。次思い出して泣くのはいつかな?
もしも。
浄土とか天国みたいな所があって、姉上みたいな優しい人が"キレイな方"に行けたんならね、あの人斬り鬼は"汚い方"に行くことになっていると思うんだけど。
俺がなんとかして、そうだなぁ、閻魔やら神様やら騙してでもさ。
あの馬鹿を姉上のところまで送り届けてあげる。これ、勝手な約束。一方的にしとくよ。
俺は最後の骨を踏み潰した。
ざりりと終わりの音がした。
終焉は、きれいだったかい?
夢にkissの約束を
相当惚れてますから
「手ぇだしてくれやせん?」
沖田は面白いものを見つけたという顔をして土方に近づいた。もちろんその面白いものというのは土方である。
「またなんか企んでんだろ」
「ああ、わかりやす?」
「顔に書いてある」
「ありゃ」
ぱたぱたと顔を触って、どこに書いてありますかね、と笑った。ねぇよ、とぶっきらぼうに言う土方に少年は笑みを絶やさない。
「で、なんだって?」
「手ぇだしてくだせェ」
「ほらよ」
土方は手を出した。
沖田はその手の上に何かを握りしめた手を差し出して、その何かを置こうとした。しかし瞬間土方にひゅっと手をひっこめられて少年はあっと驚いた声を出した。
「今のひどくないですかィ?」
「…なに持ってんだテメー」
「秘密でさァ」
そうしてにこにこと目を見つめられた土方は訝しげに眉をあげた。
「変なもんじゃねェんで、手ぇだして下せェよ」
「……ほれ」
しぶしぶ出したその手に沖田はゆっくりと握った手を置いた。が、突然土方の手をとったかと思うと、そのまま下にぐっと手を引いた。不意をつかれた土方は前のめりになってしまった。だからその後すぐに唇に感じた甘やかな感覚に目を閉じることもできなかった。
ちゅ、と音がして離れた触れただけの口付けに土方は目を見開いたままポカンとしていた。
「奪っちゃったー」
「おまっ、」
にっこりわらったその顔が、ひどくひどく可愛らしい。土方は焦ったようだった。
「はじめてでしたかィ青少年?」
「馬鹿言うな、テメーが青少年だろが」
くすくすと笑う沖田はぱっと手を離したが、土方はまたその手を取った。何かと目を見開いた沖田は土方の顔が近付いたのに驚いて目を閉じた。すぐに瞼の上に感じたのは柔らかな熱。
「俺のこと好き?」
唇が離れて沖田はすぐに聞いた。
「嫌いだ」
土方はそのときに初めて笑った。
「天の邪鬼」
ミッドナイト宗教革命盲目になった土方と魔法使い(?)沖田
壱、そのカミサマはうすぼんやりと人の形をしている。性別は中性だがなんとなく男性的だ。
弐、カミサマは天国にいる、もちろん地獄もある。地獄にカミサマはいない。
参、基本的にカミサマは何もしない。見てるだけ。たまに地上に降りてくる。
四、生まれ変わりや前世はない。
伍、運命はあるようで実はない。
まだまだあるけどどうしやす?と可愛らしく訪ねる青年は確信犯だ。彼流の宗教論を聞かされた俺がその問いに対してなんと答えるか知っていて聞いてくるのだから。
しかし俺はそれに答える義務がある。
言ってしまえばそれは初めからオチのわかっている漫才みたいなもんだ。だから俺はそのオチである「いや、もういい」という答えを素っ気なく言うわねばいけないのだ。
そうして今度は俺が問う。「なんで俺んとこ来るんだ」と。彼は、星がきれーだったもんですから、と言った。この前は月だった。しかし俺には窓の外に月も星も見えていない。「近藤さんとこでも行きゃあ良いじゃねぇか」と問うても結局、あんたがいいと言うだけだった。
凛とした声が聞こえる闇の中で、手に触れた微かな熱を掴んでみた。いたいよ土方さん、と声が聞こえたから掴んだそれは彼の手なのだろう。何度も触れて確かめればそれは確かに剣を持つ者の手だった。(ねぇ土方さん、あんたに魔法をかけてあげようか。)彼はそう言って触れた手を握り返してきた。すぐに「非現実的だな」と一蹴したけが彼は引かずに、(基本見てるだけのカミサマでも時には気紛れを起こすらしいんでさァ、)と言った。
だから、そのまま動かないでくだせェ。至極近くで声が聞こえと同時に俺は延髄に一撃を喰らった。しまったと思うよりも前に息が止まって、意識は飛んだ。
畜生、
目覚めると、やはり一面闇だった。当たり前だ。魔法なんてないのだから、目はつぶれたままだ。どこが魔法だ、カミサマだ、俺は神なんて信じない、絶対に。一人心に誓って、手で周りを探ってみた。畳、座布団、机、なれた感覚にほっとした自分がいる。ここは俺の部屋だ。煙草を吸いたくなって手探りで灰皿を探したがなかなか見つからず、すぐに諦めて気分を変えようと障子を開いた。
いやに冷たい風と、微かに春の香。視界を奪われると他の感覚が冴える。ふ、と梅の香に心奪われるも束の間、どこからともなく鉄臭い血の臭いがしてきた。身構えて、腰の刀を探るが今そんなものは持っていない。しまったなと思うより先に、そんなにびくつかねーでくだせぇよと少年の声がした。「…取りものなんて無かったはずだ」俺は怒ったように言ってみたが、彼の声はちっとも色を変えずに、あんたに魔法をかけるための準備をね?と言った。「どういう意味だ」
こういう意味でさ
突然頭の上から生ぬるい液体が降ってきて、俺は慌てて飛び退いた。鉄臭い。血だ。
反射的に目をつむる。顔まで血が滴ってくる。誰のなんの血だこれは。気持ちが悪い。しかし何故だ。瞼の向こうが明るい。
「目を開けなせぇ土方さん」
あ。と声を上げそうになった。目を開けたそこに声の主がいた。こめかみを血が流れていくのがわかった。
「カミサマからのプレゼントでさァ」
無表情の少年の腕から血がだらだらと出ていた、いや、だらだらどころでは済まされない量だ。お前の血なのか、とか、失血死するつもりか、と叫びたくなったが、それよりも手探りしなくてもわかる位置にある彼の腕を掴んで、その首からスカーフを取って、止血して、山崎を呼ぶのが先決だった。
「……すごい効き目でさァ」
「何がだ」
馬鹿野郎、は飲み込んだ。
スカーフをきつく巻いて、血を止めてやるが、廊下は既に血だまりだ。
「…これで俺は心置きなくあんたを殺せまさァ」
「目が見えねーハンディは嫌いだったのか」
「いんや、あんたが臥せってんのを殺んのがね」
嫌だったんでねェと、少年は珍しくにっこりと笑った。
「大馬鹿野郎が」
俺は少年を思いきり抱きしめた。少しやせた気がする。
「いたいよ、土方さん」
その声はどこまでも透き通っていた。
神様との取引をしようか。代償は君の傷。得るものと比べたらそれくらい安いだろ?
きのうのぼくあしたのきみ3Z
『願いが一つ叶うなら?』
卒業文集アンケートと題されたそれは今日のロングホームルームの議題で、というよりも今日はそれしかしないらしい。この一時間使って書けよと言った気だるげな教師は教卓に伏して寝ているし、既にアンケートを書き終えたヤツらは立ち上がってはしゃいでいる。
願いがかなうなら?そのベタすぎる質問に戸惑ってペンを止めてしまった。
一つだけなんて無理だ。たくさんある願いに順位をつけることも出来ない。大体、真面目に答えようとしたのがいけなかったのかもしれない。"何度でも願いを叶うようにする"、とお決まりの答えを書こうかとも思ったのだが、ご丁寧にも(何回でも願いが叶うという回答以外で)と質問の後に記載されていた。
このアンケートの提出期限は今日まで。一時間使うんだからちゃんと書けよ、と銀八が言ったのを思い出して溜息をつきたくなった。溜息ではないが息を長く吐いて、教室の5分遅れた時計を確かめると授業はまだ30分も残っている。(もう少し考えてみる時間はあるかな)と、その項目は飛ばしてしまった。
「土方さん、書けやした?」
ふと話しかけられて気づくと目の前に蜂蜜色の少年がいた。笑いもせず、不機嫌でもない普段の無表情で前の席にちょこんと座っていた。いつの間にか前の席の本当の住人はいなくなっていた。
「みせてくだせェ」
駄目だという間もなく、あっさりと机の上から消え去っていた紙は彼の手の中でヒラヒラと揺れている。
「へー…、なぁんかフツー過ぎてつまんねェでさ。あり?この質問8は?」
この、と指差して空白を俺に見せつけて少し楽しそうに目を細めた彼の目ざとさに感心する。
「…1つに絞れねぇんだよ」
「真面目に答えようとするからいけないんでさァ、なんかテキトーに書いときゃいいと思いますぜ」
彼はそう言うと、ばんっと紙を机に叩き置いた。
「そういうお前は何て書いたんだ?」
「文集みたらわかりまさァ」
「んな大したことも書いてねぇくせにもったいぶんなよ」
「じゃあ土方さんのたった一つの願い事を教えてくれたら俺も教えまさ」
そう言って、どこからともなくシャーペンを出した彼は俺のアンケート質問8に「マヨネーズで世界征服」と書いた。後で消してやろうかとも思ったが…悪くはない。
「"願いがいくつでも叶うように"」
「ベタすぎでさァ!」
「そう言うお前はなんなんだ」
「"めっちゃ苦しい死に方しろ土方"」
愛くるしい顔を崩さずにさらりと恐ろしいことを言った彼が初めて俺と目を合わせてにこりと笑った。
「なんてね」
「嘘かよ」
「文集なんかに本当の願い事かいちゃいけませんぜ、書くなら七夕にでもしなせぇ」
「…七夕も同じこと書いてなかったか?」
「気のせいでさ」
彼はぷいっとそっぽを向いてしまった。それがかわいらしい仕草で、許してしまおうかと思った。
「あーあ、卒業かぁ、全く嫌になりまさァ。からかう相手がいなくなっちまうなんてなァ」
彼は少し遠くを見て言った。寂しそうな素振りなど微塵もない。
「よく言うぜ」
畜生、俺ばっかかよ。
きのうのぼく あしたのきみ
(もしも僕らが一対であれば別れなど知らなかったのに、叶わない願いを夢見るだけ)
この世の終わりが君の笑顔でありますよう結核になった沖田と余命を知った土方
「来るなって言ってるのに何で来るんでさァ」
馬鹿な男だと俺は苦笑するしかない。何回言ってもこの男は来るのだ。そろそろあきらめもある。
「…喋るな」
別に病気がうつるから喋るなって言ってるわけじゃないんだよなぁ、この人は。(そう思ってたら最初から来ないもの)
きっと喋る度に苦しそうな俺に対して言ってんだ。
「…じゃあ来んな」
それでも俺は喋り続ける。会話を止めたら死んじゃう気がして。
そしたら白髪混じりになってしまった頭を撫でられた。毎度のことだけど、これが一番泣きたくなる。
「…土方さん、俺の分まで生きてくだせェ。長生きしなくたって良いから、その分濃く生きて、最後まで近藤さんに心配かけないようにさ…それと、今まで」
ごめん、ね。
意識が遠のくのが分かった。次にまた目を覚ませるのか俺すら知らない。
(それを願うぼくは確かに人であったのだ、)
両の手のひら茜染まりし死ネタ
20億÷(一分間の心拍数×1440)÷365
これで寿命出るんだってさ。俺は計算苦手だからやらないけど、もし俺が毎日あんたをドキドキドキドキさせてたら寿命短くなるのかな?あ、ちなみに20億って一生の鼓動回数だから。
どうしてこんなことを突然言ったかって、そりゃあんたが俺をいつもドキドキさせるてから俺、早死にしちゃうんじゃないかと思って。
え、なに?平和ボケしてるって?確かにそうかも。だって俺らは剣を持つもの。いつ死ぬか分からない場所で生きてるもんね。でもなんとなくだけど、平和に生きて寿命で死んだとしても、一般人より早死にするって思ったんだ。
そう思う理由の一つ。
この視線の先のあんた。
(ねえ、今起き上がったりしないで。)
(めちゃくちゃびっくりするから。)
(でもお願い、起き上がって。)
(今あんたが目を開けたら、俺の鼓動すごいことになる。)
(早死にしちゃう。)
(でもそれでもいいから目を開けて。)
「…なんで起きないの」
なんで倒れてるの、
刀はどこ、
この赤いの何、
鉄くさいよ、
何、これ。
あんた、いつの間に20億回鼓動を打った?
(聞こえる声は恐怖か歓喜か後者であればと願うだけ)
知っているという背徳について3Z 土→←沖+神楽
「『人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。』」
低いテナーがゆっくりと読み上げる声がとても心地いい。
昼後の授業の眠たさに机に顔を伏したまま、そっと声の先に視線を送る。
墨で塗りつぶしたような、黒の髪と眼、近藤さんや山崎とも違うその黒さに、何かしら一種の安心感を感じてまた一層眠たくなる。
「はい、そこまでね」
けれどその声は、終業のチャイムと同時に銀八が止めてしまった。本日最後の授業は土方さんのはい、と答える声で締めくくられた。
「おい総悟、委員会にはでねーのか」
ガタガタと帰宅準備をする周りが騒がしい中で、俺の好きな低い声だけは妙にはっきりと耳に届いた。
「えー……面倒でさァ」
ただ、その声は俺の好きな声だったけれども、俺は、その声よりももう少し人間くさくない声のほうが好きだった。
それについて俺はうまく言えない。人間くさくないということは機械のような声ということにも取れる。けれどそうではない。
抑揚のない声とでも言おうか、とにかくそんな声が俺は好きだった。
「だめだ、今日は来い」
そういってぐしゃぐしゃと頭を乱されて、俺は少し不機嫌になる。
触れてもらったということにいちいち嬉しがっていたら体が持たないから、俺は奥歯をぎゅっとかみ締めて、面倒だ、ともう一度呟いた。
起き上がるのにはもう少し時間がかかりそうだ。
*
その色素の薄い、蜜色の髪は見た目からして柔らかそうだったし、触っても気持ちよかった。
幼馴染というか腐れ縁というか、とにかくなんともいいがたい俺たちの関係はいつまでたってもそのラインから超えることはない。それは、今も、これからも。
「眠ぃ……」
彼は授業中もそうだが、委員会に来てもやっぱり机に突っ伏して、眠い眠いと繰り返す。その声を聞いた近藤さんが少し困ったように笑うから、俺はその頭を掻き乱して起こす。
「起きろ」
「聞いてるから進めて下せェ」
本当は聞いていないのだろうけれど、そう答えられては仕方ない。
実際俺は少年にこれっぽっちも期待していなかったもんだから、それ以上のことは言わなかった。
ただ、小さく丸められた背中が、伏せられた瞳を覆う睫が、微風になびく髪が。
俺の胸の奥のどこかで言えずにひっかかったままの想いを湧き立たせる。
そろそろ潮時、我慢の限界、色々言葉は思いつくが、実際に“それ”を言う自分が思いつかない。
俺と彼は一生このままでいいのだろう。
それが、最善なんだろう。
*
「もどかしすぎるアル」
「何が」
「だってお前等、両思いなのに」
昼休みだ。何の因果かやっぱり始まった喧嘩(というより殴り合いに近い)の最中に彼女はそう言った。流暢に日本語を話す留学生とは、もう三年ほどクラスも一緒である。
「見てて気分が悪くなるネ」
彼女のカウンターをかわしながらも、一体何を突然言い始めたんだと一瞬考えて、ふと気付く。
「ああ…、あのマヨ中か」
「知ってたアルか?」
足蹴りの攻撃態勢に入りながら「しらねーのは、あの人くらいなんじゃねーの」と言ってやったら、彼女はピタリと攻撃を止めて、ぽかんと俺の顔を見てきた。
「何だよ」
「お前ってサドのくせにマゾアル」
「は?」
気持ち悪っ、と叫ばれて、一体突然何なのかと問いたくなった。いや、それよりも「オメーにとやかく言われる筋合いはねー」、とかなんとか言っておけばよかったのか。
机の上から下りた彼女はあーあ、と大きく伸びをする。と同時に親指を下にして地面を指した。お前、暴力はやめて精神攻撃に変更かよ、と俺は中指を天井へ向ける。
「なんでそれ、あいつに言わないアルか」
昼休みのいつもの喧噪で、きっと彼には聞こえていないから言えるものの、こんなこと本人の前じゃ絶対に言えない。
「好きだから、だよ」
「きもちわるっ!」
また大声で叫ばれて、彼の視線が少しだけ視線がこちらに来た。
その視線が俺を追うのを知っている俺は、それをわざと無視して彼女に向かって飛び蹴りをしておいた。
(ああ、それがかわされたのは俺の調子が悪かったせいじゃない!)
所詮、痴話喧嘩殺伐
普段笑顔を見せない少年が見せたその笑顔は、酷く歪んでいて、それから、憎たらしいほど綺麗だった。
そのか細い腕のどこにそんな力があるんだと思う。
精密器機など所詮こんなものなのだろうか。と、諦めのような何かを感じ、同時に買い換えるのが面倒くさいな、とひとつため息をついて、へし折られた携帯電話を見た。無惨な姿で放り出されたそれは、無機質に俺を責め立てる。
(あんたがこの世で一番憎い、)と断言されて数分、殴り合いにならなかった事が逆に奇跡のようだと、黙ったまま小さくの上下する肩を見つめる。彼は珍しく大声でわめき散らした後、また一言(殺してやりてぇ)と呟いた。
それなら、早くその刀を引き抜いて、切りかかればいいのにと自虐めいた事も思った。しかし彼はそれをしない。けれど、どうして殺さないのか理由など問う必要もない。
理由は至極簡単だ。俺たちは愛し合っている。互いに憎み、妬み、嫌って。それでも離れられない、最終的にそれは全て愛故だ。
俺たちは互いに裏切る。
俺は少年を抱く手で女を抱き、少年は俺を求めながら何かを断ち切ろうと狂ったように俺を殺そうとし、無表情に人を斬る。
簡単にまとめてしまえば俺たちは狂っているのだ。
(それでも愛しているものは仕方がない)
優しさを知っていればよかった。そうすれば、投げ出された携帯電話を踏み潰し、彼を抱きしめることが出来ていたはずだ。
正しく甘い恋愛などを夢見る歳でもないが、せめて愛する少年には夢を見せてやりたかった。
(最後の着信は見知らぬ番号だったのです)
愛ってこんなだっけ?
ああ、アイって難しい。と文机に向かう沖田が呟いたので土方はなんだそりゃ、と小さく聞いてみた。
「俺はアンタが好きでさァ、でも愛してるなんてムズ痒くて言えねぇ」
「俺は言えるぞ」
「聞いたことねぇでさ」
やっぱり恥ずかしいもんじゃねぇですか、ああでもあんたはその口先で何人も女を泣かしてきたんだっけ、と沖田は振り返って少し笑った。あまり良い笑いではなかったが、無表情よりかは良いと土方は思った。
「俺ぁ言えやせんよ」
沖田はもう一度繰り返した。
「別に言って欲しかねぇよ」
「おや、言って欲しいもんだと思ってやしたよ。だって、あんた、いっつも不満げな顔してまさ」
別に不満ではないが…と言葉を繋ごうとしたが、なんとなく面倒になった土方はそのまま刀の手入れを続けた。
「アイシテル。嗚呼やっぱ違う」
はは、と笑いゴロリと畳に横たわる沖田の栗色の髪は、焼けた畳と似た色をしていた。
「土方さんお手本お願いしまさ」
「手本?」
「アイシテルって言ってくだせぇ」
俺に。いや俺だけにくれる言葉で。くりりとした瞳が、どこか宙を浮いて飛んで土方を捉えた。刹那、反射に光った刀が沖田の顔の真横に突き立てられた。
ヒュゥ、と茶化したように笑う沖田を、土方は上から覗き込んだ。
黒の瞳に影が落ち、よりいっそう黒が増した。
「総悟、お前を、愛してる」
「痒い」
ははは、と笑って沖田は腕を伸ばし土方の頬に触れた。
「俺も、愛して…」
「…」
「…るなんて言えるか土方コノヤロー」
「言ったじゃねぇか」
「今のはうっかり」
「そろそろ正直になれよ」
「誰がするか」
刀を抜いた土方に、沖田は言い切って、畳に残った刀傷を手で探っていた。触れた傷跡、空いた穴に沖田はふと頬をゆるめた。
Happy birthday to you!土方birthday
「誕生日なんてガラじゃねぇだろ」
「まあそうですねィ」
朝開口一番に沖田が黒い笑みのまま誕生日を祝ったことに土方は少なからず驚いていた。しかし正直にありがとう、と言えば沖田が調子づく事も知っており、だから土方は柄ではない、と言った。
朝から紫煙が漂う副長室に、2人。
「あんたが生まれてきたことで何人が死んだんだろうねィ」
「そりゃお互い様だ」
全く祝う気のない沖田に溜め息を尽きながらも、今日が誕生日だと言う事を覚えていただけ良しにしようと頭の片隅で考えた土方はなんとなく煙草を消した。自分でも無意識下に消していた。
「それでも」
そのなんとなくに反応したかのように沖田はふと呟いた。
「それでも、あんたが生まれてきたことで、ちょっとでも幸せを感じた人は、いるから」
身体の横でぎゅっと拳を握りしめ、ばつが悪そうに目をそらした沖田に、一瞬亡き人の面影を重ねてしまう。そんな自分に嫌気がさした土方は逆に目をそらしてやるものか、と真っ直ぐに沖田を見つめた。土方は座ったまま沖田の堅く握られた手を取った。
「ありがとう」
ただ一言、沖田を見上げて言った。わざと視線が会うように、のぞき込んで。すると沖田は驚いたように目を見開いて、息をぐっと飲み込んだ。
「別にあんたなんて祝ってねぇでさァ、ただ俺は…」
「ありがとうな」
沖田も土方もそれ以上何も言わなかったが、土方はするりと手を解いた。刹那、名残惜しいと思ってしまった沖田はその気持ちに気付かれないようにきゅっと唇を噛んだ、その沖田の表情を土方は見逃さなかった。
だからもう一度手を取った。
冷たいその手は、剣を握るその硬さを持っていた。
affezionare3Z 土→←沖
正直見ていて鬱陶しい。
ああ、あんたらってなんて馬鹿なんだ!(って叫べたらどれだけいいことか!)
ハニーフェイス、ハニーボイス、ハニーブラウン(の髪)の蜂蜜みたいに甘く可愛らしい人ではある。見た目だけ。ね。そのハニーの中身は針を持った蜂そのもの。はっきり言ってミツバチなんて可愛らしいものではない。熊蜂、いや雀蜂か。
そんな我らが風紀委員のNo.3の彼はいつもふわふわとしている。(まるでたんぽぽのようだ)
そんなふわふわとしている彼が今、何かを思い詰めたような表情でじっと教室の窓の外を見ている。土砂降りの外をじっと。傘の華達が急ぐ校庭を眺める彼の視界には一つの華しか写っていない。そこには我らが風紀委員の副長が立っていた。
傘をさしていても、沖田さんにはわかっているのだろう。いや、自分も分かったのだけれど。
こんな雨の中校門検査、だなんて馬鹿みたいだけれど土方さんは「抜き打ちでやるからこそいい」と言って雨の中ずっとそこに立っている。
いつものように、その隣には風紀委員長である近藤さんが居て、でも、沖田さんはここにいる。そして俺も。
「気になりますか?」
つい間が差したとしか思えない。俺は禁句のようなそれをつい尋ねてしまった。しまった締められる、と思って身構えたけれど、沖田さんが椅子から立ち上がることも、窓から目を離すこともなかった。
「……ザキはいかねーの」
ただ微妙に会話になっているのかいまいのか、そんな答えが返ってきた。が、余計に困った。俺には副長達の方へ行けない理由があった。だがその理由を知られてはいけない人間はちょうど沖田さんだったから。どうしようか、なんと言おうか、と考えあぐねている内に、沖田さんの興味はそれたようだ。(というか俺のことなんか元々興味がなかったのかもしれない)
ポチポチと携帯を打ちながらなんとなくつまらなさそうにしていた。
俺は土方さんに言われて彼の側にいた。土方さんが何をどう思ってそんなことを言ったのか全てお見通しだったけれど、わざと気づかない振りをしておいてあげた。
あいつが遊ばないように見張っておけよ、だなんてね。笑ってしまうよ土方さん。あなたはそんなことが言いたいんじゃないでしょうに、と苦笑。2人とも想いが一方通行すぎるんじゃないかとも思った。溜め息が出そうだ。
「ザキ、みてみろィ」
そうして、急に話しかけてきた彼が指すのは窓の外。
仁王立ちの土方さんがこちらを見つめて叫んでいた。何を言っているかは雨音と距離からして聞こえないが、怒っているようだった。
「何したんです?」
「ちょっとねィ」
にやにやと笑いながら携帯を軽く振った沖田さんは酷く楽しそうだった。
沖田さんが窓から目を離しても、俺はちょっと気になって土方さんを見続けた。そうしたら彼も笑顔を見せて近藤さんと話していた。携帯電話を片手に。
(近くで鳴った携帯電話の持ち主は蜂蜜の君)
dolce come il mieleR15
女の着物の割って裾へと手を伸ばすと「厭」と小さく云われた。普段ならそれ位で冷めることはなかったのだが、その時、彼は確かに自分の中の熱が一気に引くのを感じた。
抱くなら喘ぎ声を出さない女が良い。
あの妙に色艶を含ませた高い声を聞くと萎える。
本当に抱きたい女はそんな声を出さないだろうし、色町の女のように色目などつかわない。
上品な女だった。
若造の考えだったかもしれないが、そいつはひどく好い女だった。
奇妙な女だった。
辛いものが好きで、異常なまでに何にでも唐辛子をかけた。身体に悪いと人に云われても、止めない。自分の信念を通す姿は尊敬に値した。
綺麗な女だった。
まだ幼い時に両親を亡くして、それからはひとり弱い身体を酷使して弟を育てた。
気丈な女だった。
全て過去形で語られる、女がもうこの世の人間ではないからだ。
土方が思想を余所へと飛ばしている内に、腕の中で女が果てていた。次に女を買う時はもう少し選ぶべきか。そう、思った。
「お帰りなせぇ」
土方が屯所の門をくぐると、その右から声がかかった。張りのある少し低めの声は沖田のもので。
「まだ起きてたのか」
普通の人間なら寝静まっている時間なのに、彼は起きていた。すすっと音もなく近寄る彼はまるで猫のようだ。
「また廊へ行ってたんですかぃ?」
沖田は機嫌良さそうに言って、土方の首元に顔を寄せる。
「女の匂いがする」
沖田はくすりと笑う。その顔に思い人の面影を見つけて、土方はぐ、と黙った。
「なんで土方さんは女郎を抱くのに俺を抱かないのかなぁ」
沖田は大きく溜息を吐いた。無垢とも言える笑顔を見せつつ殺意に近い物言いをする少年に、土方は薄ら寒いものを感じた。
「大して女と変わんねえじゃねえか。何が嫌なんですかィ?」
今までにも数度言い寄られている。が、土方は相手にしなかった。そしてその時も黙ったまま目を逸らした。しかし逸らした先に、沖田の白い女に似た肌を見つけ、土方はまた気まずく目をそらすしかなかった。
「ねえ、土方さん」
耳元で囁かれる。
声は似ていない。だが、ほんの少しの指の癖や、困ったような表情はそっくりだった。
(嗚呼、重ねて抱かぬと決めたのに。)
気付くと、土方は沖田を引きずり自室へと押し入れていた。体格差のためか容易く倒された沖田は抵抗もなくただ天井を見つめ、またひとつ息を吐いた。
「声出すなよ」
これは実験だ、と土方は自らに言い聞かせた。いや、それは言い訳に近かった。
廊へ行くのは単に己の欲を吐き出すためであり、そこに安らぎや愛は求めていない。また、廊の女を自分の惚れた女に重ねることもしなかった。その女は美しいままであって欲しかったのだ。
土方は沖田の着物を脱がしながら、彼の胸の膨らみがない事に気付き心中で苦く笑った。
実験だ。
土方はまた思った。男など、試したことがないのだ。陰間茶屋へ行こうかと誘われた事もあるのだが、男色は趣味でないと断った。世に女がいるならば、女で事足りるのだから、と。実際、女には不便しない。
土方はまた苦々しい想いになった。
そんな自分が今まさに男を抱こうとしている。それも昔馴染みで、惚れた女の弟ときた。一体どういう了見なら抱けるのかと、考えていた。
布団が鳴る。
土方は沖田をうつ伏せにさせ、彼の背中に朱をつけた。それだけで彼の身体が跳ねたのを見て少し気をよくした。
場末の娼婦は偽物のような反応しか示さない。女郎はプライドからなのか…反応が薄いか、やはり嘘臭い反応をする。(それで喜ぶ男もごまんと居るが)
しかしどうだこの少年は、唇を落とす度に初(うぶ)な反応を見せてくる。
たまらなく、そそる。
「総悟」
その日初めて、土方は彼の名を呼んだ。彼は目に涙を溜めて少し顔を上げ振り返った。
土方はその唇を奪った。色素の薄い肌に血色の良い唇がぷっくりとあってかわいらしいとさえ思えた。
己の中で目まぐるしく揺れる感情を抑えつつ、沖田の腕をつかんで身体を返せば、彼の顔から足の先までが露わになる。その白い肌には打ち身ひとつない。ある意味、恐ろしい事実だ。彼は剣客だ。一つくらい刀傷があってもいいものだが、それがない。
沖田は強いのだ。そんな強い男が今、自分の腕の中で声を殺し抱かれている。
それを思うと、土方の中で破壊欲に似た何か―――優越感とでもいうのか、それが生まれるのを感じ、彼はまた沖田に口付けた。
沖田は沖田で本当に声を殺していた。
女と男の性感帯の違いなど知らない土方は女を抱くように沖田を抱いたが、女と男にも共通はあるらしく、乳首をなぶれば身体がびくりと反応する上、女にはない性器を触ってやれば息を飲む。
激しく手淫を施してやるとクウッと喉を鳴らしたが、その日抱いた女のように喘ぎはしなかった。
沖田を抱いている途中、『自分はどうかしている』と、土方は思った。沖田を腕の中に引き寄せて抱くほどに、己も熱が上がり、快楽を得ていることに気がついたのだ。
土方は大きく頭を振る。
髪が揺れた。
少年はただ耐えている。
そんな彼を見つめていた土方は、何故に声を出さないのだろうと思って、ああ、俺が声を出すなと言ったのか。と、また頭を振った。言いつけを守る従順な犬のようだ。
例えば土方は、女が喜ぶ攻め技を五万と知っている。しかし、それが男に通用するのかは謎である。まぁ、沖田に関してはそれが通用しているようで彼は気をよくしていた。
もとより男性器の扱いはそこらの女よりは上手いはずだと自負している。どこを責められれば感じるか、どのようになぶれば感じるか、それら全てを自分の経験として知っているのはなかなか好都合であった。
「総悟」
また、呼んだ。
少年は手に血管を浮き立たせて強く強く布団を掴んでいたが、土方の声を聞いてそれを少し緩めたようだった。収縮した筋肉を、揉みしだく。まだ、沖田は耐えていた。このままでは息が出来ず死んでしまうのではないかと土方が心配するほどだった。
「声、出せ」
矛盾した命令だ。
沖田は困惑したように首を振って「駄目でさ」と小さく呟いた。土方はその言葉に動きを止める。沖田は優しく笑った。
「女のじゃねえ、から、無理」
低い声で言った。
土方は息を飲んだ。
熱い息を吐く、汗ばんだ肌が触れる。沖田の肌に土方の汗が、落ちた。
それは、あまりに扇情的だっ た。
女にない、引き締まった筋肉、肌、自分より強い男が屈している姿。独占欲、破壊欲、己のなかに沸々と沸く濃い感情が、四肢と五覚を支配した。こんなにも良いものだと知っていたらもっとはやく抱いていたかもしれない。
しかし、今宵一夜の劣情だと、誓ったのだ。
『なにに誓った?』と問われれば逡巡するだろう。誓いは突然現れるものだ。
沖田はまた抱かれることを望むかもしれないが、土方にとってそれは避けるべき事態だった。
(もしも安らぎがあったなら、また抱くのだろうか)
バチン。
鈍い音がしたと同時に、土方は己の右頬が熱いのに気付いた。
「よっそみ、すなっ」
沖田は上気した顔で土方に眼光を効かせて言う。それがあまりにも可愛らしくて、土方は「悪ィ」とあっさり詫びた。そうしてもうひとつ口付けを落とすと、彼はくすぐったそうに身をよじった。
(あ、幸せそう。)
「……じかたさん、土方さん」
布団の中で声がした。
女の声ではない、男の声だ。
「起きろ土方コノヤロー」
その瞬間、土方は覚醒した。
なぜなら彼の鳩尾に、ミシリと拳が入ったからだ。(覚醒だけであったのは、意識が飛ぶほど強く入らなかったためである)
「総悟?」
ああ、しまった。
土方はそう思った。
名前を呼んでしまったことも、そのまま寝てしまったことも、彼に手を出したことも。安らぎを求めたことも。
「ぶはっ」
突然、沖田は笑った。布団がゆれた。
「顔に『しまった』って書いてありまさァ…わかりやすいなぁ土方さんは」
ははっ、と笑って沖田は布団から抜け出すと、放りっぱなしの着流しに手を伸ばした。土方も起き上がり、枕元の煙草を引き寄せた。
「ったく、血迷いましたかね、土方さん」
俺を抱くなんてさぁ、と、何がおかしいのか沖田は笑っている。土方はそれが気に食わなかった。
「阿呆か、誘ったのはテメーだ」
「そうでしたかィ?」
そう言った彼がどんな表情をしていたのかは誰も知らない。彼自身でさえも知らない。が、その時には彼の足首は捕まれていた。無防備な足首を強い力で引かれれば誰だってバランスを崩して倒れる―――倒れる。そう思った瞬間沖田は目を瞑った。
痛みはなかった。
少しの衝撃とともに倒れた先は堅い畳でも布団でもない、人間の、土方の腕の中であった。
「ふざけんなよ」
数秒の沈黙の後、声がした。
「ふざけてんのはそっちじゃねーですかィ」
いやまてお互い様かもしれない、と、沖田は思った。
何にせよ、土方がとった行動がわからない。土方は土方で、沖田の顔をぐっと押さえつけて自分の顔を見られないように(もしくは沖田の顔をみないように)していた。
表情ないと何考えてんのかわかんねー!と、心中で少年は喚く。これがもし近藤さんだったら口調だけでおもしろいくらい心が読めるんだろうな、とも考えた。
「おい総悟」
「なんでさ」
依然、少年の顔を自らの胸板にし当てた状態だったが彼はこそばゆいとも言わず続けた。
「抱けと誘ったのはテメーだ。んなのに血迷ったかなんて聞いてんじゃねえよ」
「だってあんまり阿呆みたいな顔して俺を見てたんでね、あれはだれだって傷つきまさァ。正直言うと土方さん、『血迷った』んでしょ?それにほら、今までは抱いてくれなかった。なんで今日はっ――――」
ぐい、と後頭部と顎を取られた沖田が土方の顔を見止めて、続きを言おうと口を開いた時、彼の言葉は全て土方の唇に吸い取られていた。
舌が熱い。
慣れてやがる、と沖田が苦く思うのもかまわずに土方は行為を続ける。
身長だって体重だってちょっとの違いのくせしてなんでこうも力の差ってのがあんのかな、と、沖田は翻弄されながらも考えていた。
熱い。溶ける、そう思いながら下腹部にジワリと広がりつつある快楽を抑えていると意外にも唇は名残もなく離れた。
「…っなに、」
沖田が見上げた先にはいつも見慣れた土方の顔があった。
「…」
土方は黙った。というよりも何か言葉を考えている風だった。
数秒の沈黙に、口を開いたのは沖田だった。
「アンタはさぁ、死ぬ前に姉上を抱くべきだったよ、土方さん」
泣きそうな声ではなかった。それは、気丈な声だった。土方はくく、と笑みを漏らさずを得なかった。
「…何がおかしいんでさ」
「…いや?」
むくれて言っても笑い続ける土方に『この御仁はこれ以上言ってもおしえちゃくれねぇだろーな』と、沖田は思った。
そして同時に物悲しくもなった。
「…土方さん土方さん、姉上抱きたくなったらさぁ、俺の所においでよ。女買わなくていーし、土方さんの望みどーりに動いてやるし、だから、さぁ……」
またこうやって、俺と。
ばちん。
小気味良い音と共に沖田は両頬にやさしい痛みを感じた。土方の手だった。
「お前はお前だ、総悟。お前はお前の姉貴じゃねえよ」
「ならどうして抱いたんでさァ」
「テメーがあんまり可愛いからだろうが」
男相手に勃ったのなんてお前が初めてだっての。言葉は無愛想で態度も横柄だったが、沖田はその言葉が真実だと悟った。土方の顔は、赤い。
「バカだねぇ土方さんは」
「馬鹿はお互い様だろうが」
そうかもしれねぇ。と、土方はくつくつ笑った。
息を呑む魚殺伐微エロ
嗚呼、死ぬ。
これで何回目だろう、と。布団の上で考える。
息を吸う事が苦しい。もしかしてここは水の中なのだろうか。いいや、違う、布団の上だ。だってこの手に掴んでいるのはシーツだ。何でシーツは白なんだろう。その白に溶かされるかもしれないのに。何がって、この心臓が。
息は、出来ている。
声も、出る。
ただこの、死ぬような感覚、もしかしたら、死んでいるのかもしれない。青紫色になって冷えた指先が掴む力なんていうのは、殆ど無いのだから。情事後の気だるさと、情事の最中のような拍動と、水中で口付けられた時のような苦しさが一気に襲う。受け身になる情事の相手など独りしか居ないのだけれど。
嗚呼、ねぇ。
横には誰もいない。
頼れって、言ってくれた人に、頼りはしない。何で頼らないかって、そんなのは知らない。意地なのかもしれないし、もしかしたらこの死んでいく感覚に溺れるのが好きなのかも知れない。
溺れると言えばそう、その低い声。
「突然黙ったな」
は、として顔を上げると、俺は立っていた。布団の上ではない。掴んでいるのはシーツでもなんでもない。真っ黒い服、だ。違う、血を含んだ赤黒い服。そんなものを着て、重くはないかと思った。
指先はやっぱり冷えて氷のようで、それから、息苦しいのと、鼓動がバクバクしているのだけは、分かった。
死にそうだ、と。思って。
「気のせいですぜィ」
だけどやっぱり頼らなかった。いや、言っても良いんだ言っても。
「息がし辛くてねェ、ああ、あと鼓動が気持ち悪いくらい響いてうるせえんでさァ」
だってほら、言ったとしても彼はこの俺の死んでいく身体を止めることは絶対に出来ないし、この発作のような症状を止めることすら出来ないのだから。
だって、ねえ、みんな同じ事を言うんだって。大丈夫か、とか、病院行ったほうが良いんじゃ、とか。必要ないってそんなもん、だって検査じゃ万全なんだからっていっつも笑い飛ばしているんだけど、実は、本当は、何か恐ろしく厄介な病気なんじゃないかって思ってる。
「正直、それがどんなもんかわからねーが」
酸素が薄くなって、白く濁った脳味噌に、ちょっとだけ声が聞こえた。
「そんな阿呆な事で死ぬなよ」
阿呆なこととはどんなことだろう。この発作という意味だろうか。うあ、と、吐き気がした。多分同時に涙が出たんだ。
顔を上げれば返り血を浴びたその顔で口付けをしてくれるあんたは、何となく傍にいてくれる気がする。
「あんたを想って死ねれば良い」
あんただけが冷えた手を繋いでくれたから。
(俺の為だけに刀を抜くあんたは当に鬼だ)
(ああ、鬼に殺されるのって、絶頂に似ているのかな)
ヒトリノ夜沖→土
「土方さん、土方さん」
僕は素直に彼の名を呼んだ。
それが珍しかったのか、土方さんは僕の方を振り向いて数度目をしばたたくと、どうしたんだと驚きを隠せないようだった。
だから僕は間髪を入れずにその唇を奪ってやった。突然の事に驚いただろうな、と顔を放したら、そこには慣れた澄まし顔があった。
「驚かねぇんですか」
「別に?」
「慣れてますねィ」
すこしだけ寂しくなったのは、慣れと言う点で僕と彼が遠いから。経験すらも、歳すらも。
「俺ァ結構本気だったんですが」
「そうか」
その、ツンツンとした言い方はとても小憎たらしくて、でも好きで。
「ああ、寒ィ」
冬の匂いがした。どうしてか、僕の心が愛してと叫ぶので、僕はそっと後ずさった。
「なんだよ」
「いえちょっと」
普段なら、もう少し強い口調で憎まれ口を叩いたり、S心を出してみたりしていただろうけれど、その日は何故か甘えたいような気持ちになった。だから、そんな自分に気付かれないように彼から離れた。
だって彼が僕に与える愛は、他の誰かに与えるような愛と同じなのだ。
(このフェミニストめ!)
「おい」
僕の名前は「おい」ではないのだという主張よりも前に、彼はこちらに手を伸ばしてきた。
力の流れで僕はぐらり、と彼へともたれ掛かった。
おお、とわざとらしく驚いた顔をして彼の瞳を覗き込むと額を叩かれた。
「寒ぃつっといて離れんな」
それから、とても不器用な一言をくれた。だから、「僕だけ愛して」と、口パクで笑ってみる。言葉にできたらどれだけ良かったか。
彼は俺の言葉に気づくことはなかったが、自ら引き寄せた事に少し照れた風にしていた。
「まぁ、いいか」
「あ?何だ?」
彼は問う。だけど僕は答えないままでいてやった。僕がなげやりにではなくそう思ったのは、彼が少しでも僕を好きでいてくれるのがわかったからだ。
(ああ、ひとりで越さない夜がこんなにも暖かいとは)
つきさんリクエスト
沖→土(最後は両想い、基本甘)
bgm ポルノグラフィティ/ヒトリノ夜
染まるよ土方死後
暑かった真夏の日差しが陰ると、嵐が来る。
空を見上げると、雲の流れていく速度が早くて、焦燥感。
この雲はあの日見上げた空と、とても似ている。
見回りの時、彼の煙草の香りがしたからなんていう下らない理由でふらりとルートを変えたら、道に迷って夜になった。
多少は歩き慣れた道のはずだったのに、どうして迷子になんか。
神隠しにあったみたいで少し怖くなる。このまま歩いていったら三途の川にたどり着いてしまうのかもしれない。
強い風が吹いて、雨を呼んだ。あの人が居なくなってもう何度目の嵐が来るのだろうか。
(そういえばあの人が死んだ日も、葬儀の日も嵐だった)
空が泣いてるみたいだ、と近藤さんが言っていたのを思い出した。泣いているにしてはひどい嵐だったけどな、ど今になっても思う。
それを思い出したら少し面白くなって、笑ってしまった。と、同時に、またあの煙草の香りがした。
慌ててその匂いの方を見るけれど、そこに彼はいない。
転がった煙草の吸殻が、湿気を含んでへたっていた。
箱の中にきれいに並んだ煙草は、そうでもないのに。
そう思って胸ポケットにしまいこんでいたそれを取り出してみる。
もう幾分か古くなった紙巻煙草は、湿気てはいなかったが香らない。
俺はそれに火をつけると魔法のように香ると知っていて、火をつけた。
彼の香りがする。そう思って少し悲しくなった。
姉と同じでそう対して強くはない胸を今更かばう気など無くて、一気に吸い込んだ。
彼が居なくなってから何度か繰り返したこの行為も、今となっては弔いのようなものになってしまっている。
弔いだというけれど、所詮、自己満足。
一本を吸い終わると、全てが終わるように消える。それはひとつ思い出がなくなることのようで。魔法が消えるようで。
この肺と身体に刻み込まれたニコチンは俺を毒して、きっと今涙を流したら真っ黒なんだ。そう思っても泣けはしなかった。
マッチ売りの少女だって、こんな惨めな気分ではなかったはずだろうに!
(そういえば彼女には、帰る家があったのか?そして一応帰る家のある俺はどうやって帰ればいいのだろう)
足元に転がる火の消えた煙草は、ひどくひしゃげていた。
俺はそれを蹴り飛ばして、その転がる先を見ていた。
(向かうべき場所は知っていた、けれど向かってはいけないところだった)
どうしてあの日にもっと笑いかけてやれなかったのか、ああ元々自分はそんなにうまく笑える人間ではなかったけれど。
(貴方の香りについて行くほど馬鹿でもなかったのだ)
mouさんリクエスト
土沖で土方死後
bgm チャットモンチー/染まるよ