愛して欲しい。それは、昔からの切実な願いだ。
俺は愛されたい臆病者だ。だから人を好きになっても想いを打ち明けることは絶対にない。愛に飢えてる素振りもしない。だが、妄想癖だけは人以上。
もしも愛されたら、相思相愛だったら、手を繋いで、ハグされて、キスして、セックスして。そんなハウトゥまで考えるが、はっきり言って叶わないものは叶わない。そんな「叶ったら良いのに」と思っていたのは坂本(男)との恋愛だった。
俺は完全な同性愛者ではないが完全なノーマルではない。
簡単に言えばバイセクシャルだ。昔から女に憧れていて、服装や言葉遣いや遊び習い事まで男と女の中間地点にいた。(もちろん常識的に許される範囲で)
しかし身体が二次成長を迎える頃には声も筋肉も男としての成長を抗えなかった。俺は男だとはっきり分かってくれば、服装も行動も男のようになってくるが、ただ心の奥には中性的な俺が残っていたようで、男を見て憧れたりときめきを感じることもしばしばだった。
そんな俺は女から見たらかなり高得点のようで、女と付き合うには困らなかった。愛されたいという願いは叶っているが、俺はその相手を本気で求めていないのだ。だからすぐに別れてしまう。別れ際に嫌な言葉を吐かれ続けて見ろ。人間不信になるぞ。俺は愛の安売りなどしていないのに、人に聞けばそう見えているとのことだ。なんて迷惑。
そんな俺が、本気で人を好きになった。
その相手は男だったが自分の性癖はもうわかっていたからさほど驚きもなかった。その時点で男のハウトゥ妄想は全て叶わないと分かっていたから、それが教師だろうと関係はなかった。
ただ、寝ても醒めてもあいつを想い、目で追っている、嫉妬深くなる、手が触れただけで喜ぶ。だが俺には告白をするだけの勇気もなく、相手が相手だと遠くから見ているだけで精一杯だった。
実際、女々し過ぎる自分に吐き気すら覚えた。
そんな勝手な片思い人である坂本との共通点はあまりなかった。担任でもない数学教師で、理系の俺は確かに毎日一時間は会うが、それだけだ。職員室に行くこともないし、部活の顧問というわけでもない。
好きになったきっかけは何だったかな。 好みの顔だったと言うことか、教師としてアウトサイダー的な雰囲気を醸し出しているのが気になったことか、話していて面白かったことか。それこそ最初は憧れだったのかもしれない。
そんな、「ああ、なんかいいな」と思っていた相手をはっきりと意識したのは、二年の夏の掃除時間からだろう。 出席番号で振り分けられたのは職員室の掃除。そのメンバー中で印刷室の掃除をするひとりを決めるじゃんけんに負けた俺は1ヶ月間まるっと印刷室の掃除に任命された。
掃除場所の担当が適当な性格のやつなら、簡単に終わらせて終わりだったり、先生自体掃除場所に来ないときもあったりして、俺はそれを望んでいたのだが、その掃除場所にいたのは坂本だった。
坂本はいつも居た。怠惰な性格だと思っていたのにきっちりしていて、俺は1ヶ月、掃除時間の最初から最後まで印刷室にいた。その時、沢山の事を話した。掃除時間の15分間で話せる事なんて少なかったが、毎日毎日話を振ってくれるし、俺にとっては天国だった。
好きだという感情に気付いてしまってから俺はなんとも貪欲になる。
俺はあいつを欲した。 無駄だとわかっていても、想ってしまう。 好きだと思った。 愛して欲しいと思った。 それでも、どんなに好きでも、欲しても、俺は守り側に徹していた。それが俺だった。(俺から何かモーションをかけて厭がられるのも嫌だったし、)
そんな俺に機転。
休日、俺はなんとなく外に出てなんとなくコンビニに立ち寄った。
そこには坂本がいて、雑誌を立ち読みしていた。なんて運がいいんだ!なんて、内心ガッツポーズをしていたらばっちり目があった。坂本はにっと笑って、奇遇だとか何してんだとかそういうことを聞いてきて、そうして気付けば俺らは公園でお茶をすることになっていた。
(花見にゃ早ぇよ)
まだ蕾の桜の木が見える。
「春休み入ってから寂しくてのー」
「彼女とかいないんすか」
おらんおらん、と言いつつ、がしがしと頭を掻いていつものように笑う男の言葉にいちいち反応してしまう俺が居る。
「晋助はほがなことないろ?可愛い彼女がおるんやか」
「いや、俺、女に興味ないんで」
不器用な俺は可笑しな発言しか出来ない。
(もしかしたら気付いてくれたりしないだろうか)なんて考えてしまう俺の馬鹿馬鹿しさといったら。溜息ものだ。
「ほんなら男にゃ興味あるんかの」
クスクスと笑われたような気がして顔が熱くなるのを感じたが、事実だ。ああ、なんだかこの流れなら俺が先生の事が好きだといえそうだが、生憎そんな勇気を持ち合わせてはいない。
「冗談言うなよ」
そう、『男なんて興味ないんだよ』的な発言をしないとおかしいだろうといかにもらしく言ってみたが、それを言い終わるとなぜか空気が冷えるのを感じた。
「…それでも好きじゃ」
「は?」
「よお聞いとけ、わしはおんしが好きじゃ、晋助」
「え」
…夢か?これは夢か?何のドッキリだ?罰ゲームか?だれか銀八あたりがそこらで見てるんじゃないか?どうせこれからあのいつもみたいな馬鹿笑いをするんだろう?
パニックだった。好きな奴から好きだと言われて嬉しくないはずがない。しかしそれでも疑ってしまうのは、俺も坂本も男で…だいたい、教師と生徒だ。
……ない。何かの間違いだ。
「―――!」
何言ってんだ坂本、と笑おうとして、声が出なかった。彼は今までに見たことがないほど真剣な目をしていた。それこそ恐怖を感じるくらいに強い眼光だ。俺がそれに息を飲むと、坂本が俺に触れるだけのキスをした。
真っ昼間の公園で、俺は。
「場所変えるろ」
唇は離れたが、俺はフラフラしていた。何が起こっているのかわからないまま腕を引っ張られる。 そうしていつの間にか坂本の家(家はコンビニからも公園からもほんの数分しか離れていなかった)に連れ込まれていて玄関でまたキスされた。
嫌じゃない。 想像したことはあった。 坂本が俺を無理矢理に抱く妄想。(ああ、俺も大概マゾヒストだな)
二回目のキスは長くて深くて、俺は流されるまま感じて、坂本の服を掴んで膝が折れそうになるのを耐えていた。
「っ、」
しばらくしてから唇を噛まれ、離れた。
が、坂本は俺の腰に手を回したままで、俺は力のままに坂本の方へ引き寄せられてしまう。
埋まった胸の中、低い低い声を聞いた。
「道徳なんて関係なしに、お前の事を好いちょる…閉じ込めてわしだけのもんにしたいほどじゃ…、好きなんじゃ晋助、愛しとう。拒否出来のうなるくらいハマらせてやりたい…」
そんな熱い愛の囁きも、まだどこか疑いが抜けきれない俺は茫然としたまま聞いていた。が、視界が突然反転して、気付けば俺の視界には天井が映っていて、そこでようやく自分が押し倒されたことに気づいた。
「晋助…」
熱い吐息が耳にかかる。
「愛しちゅう」
その時ようやく、驚きとか疑念とかいろんなもんが吹っ飛んでくのを感じた。(だってその言葉は俺が一番求めていた言葉だ)
「…坂本っ」
否定ではない声をかけたつもりだったが、坂本はそのままぴたりと動きを止めて俺の顔を覗き込んできた。その目は酷く扇状的だった。
「坂本、俺…ずっと前からお前が」
「知っちゅうよ」
「え」
「だからもう我慢できん」
溺れるようなキスが、俺の視界を0にした。見えるのは、坂本だけ。
どう考えてもシングルじゃないベッドの上で、頭を抱える俺は未だ悶々としている。夢じゃないのは事実だが(もうそれは何度も気付かされた)、俺としては足りない。もっと馬鹿みたいに狂いたい。
「はぁ―…」
「何で溜息ついてんだよ」
そんな俺より先に溜息をついたのは坂本で、俺の方が溜息つきてぇよ。なんて思ったが、ちらりと表情を盗み見ると、さっきまでの真剣な表情はどこへやらいつものようなへらっとした笑い顔に戻っていた。
「好き言うたことを後悔しちゅう」
「……」
あえて何でだとは聞かなかった。いや、聞けなかったのが正しいのか。しかし余りにも坂本が聞いて欲しいような顔で俺を見てくるもんだから、俺は小さくどうしてだよ、と聞いた。
「壊したくなる」
モラルが必要な教師という大人が、アンモラルな行為に走った先にあるものは?考えているうちに俺の首に坂本の大きな手。少し力をいれられて苦しいが息は出来る。その時また夢かと思った。
「わし以外の誰とも喋らんようにさせたい。会わせんようにしたい。触れるのも」
「いいぜ」
何故って俺が一番望んでいたのは独占欲の強い相手。それこそ『手に入らないなら殺したいよ』くらい言ってくれる奴が良い。ストーカーめいた行為すら許す。それくらい愛して欲しいんだ。 だから俺は自分の携帯を出してアドレスもメールも履歴も全部消してやって、差し出した。
「教えてくれよ」
俺、あんたの事まだ何もしらねぇよ。
坂本は笑った。
「五分おきに電話して良い?」
ただそれだけのことですよ3Z ふたりともなんかおかしい
求め合うまであと三秒血の表現有り/暗い
破裂音がして、左脚に銃弾が食い込んで貫通した。一瞬の出来事に声すら出なかったが、滝のように流れる汗が命の危機を叫んでいた。
ふくらはぎから生温い血が流れる。骨が、砕けている。
這いつくばったままなのが悔しくて立ち上がろうとするが、痛みが生まれるばかりだ。それでも、俺を見下ろす視線を睨みつけたまま、俺は立ち上がろうとした。
しかしまたすぐに俺に視線を向ける男が銃を構えてハンマーを上げた。
ああ、そのトリガーを引けば弾倉が回って、また俺の脚を貫通する。(きっと今度は右脚だ)
次は膝の皿さえ割られかねない。
血は足を伝い、痛みに顔が歪む。これが愛の形だと?ふざけるな、俺を殺す気か。
33経口が俺を狙う。こいつの腕のことだ。「誤って」俺の心臓を撃つのではないかという恐怖に、指先が震え始めた。
「ああ、晋助、誓いを守ればこんな事はせんでよかった」
口調は全く笑っていないが、もしかしたら目は笑っていたのかもしれない。しかし彼はサングラスをかけているためそれを俺が知る余地などない。
「殺す気、か」
「まさか」
一生手放す気はないと言う声がやけに遠くから聞こえるのは、血がどんどんと失われていくからで。俺はそこでようやく腰から抜いた刀を坂本に向けた。
激しい音と共に頬を掠めていった銃弾。頬が抉れて血が流れる。耳近くを通ったため、耳鳴りがしている。今ので気絶出来なかったのは不幸だった。あと4発は生身の俺を狙い続ける。
くそ、死なばもろともだ。いや、俺だけでも生きてやる。脚から失われているはずの血がたぎるのを感じて、俺は本気で睨んだ。沸々と湧き上がる熱い感情にひとつ身震いをして、立ちあがった。
「その眼じゃ」
嘲笑うような低い響きに不覚にもぐっと来た俺も相当な重傷者である。
こんな愛があってもいいだなんて、思ってやるものか。
銃口は未だ俺を狙い続けている。
離れられない・離れたくない病弱高杉→→←辰馬
信じるものは自分だけだが気休めだけは貰っておく。そう言った数年前から全く変わっていない自分に吐き気がするのだ。
「……」
もうねぇな、と袋の中身を確かめて、ひとつ、大きく溜息をついた。薬をつまみ上げる指が痩せて見えたのは気のせいだろうが、なんとなく精神的に疲れたとは思った。
電話をせねばならない。ただそれは面倒過ぎた。立ち上がる気力はまだある、薬を飲み込む気力も、だ。ただあいつと繋がる手段だけはやる気が失せる。
(一度会ったら離れられないのは、俺が一番知っていた)
「………」
結局電話をかけた。気休めとは言え薬である。血液中に常に回っているその薬の成分が抜けてしまうと、たまに立てなくなるほどに目眩がするのだ。指揮をとるものがそれではいけない。いいや、その前に指揮をとるものが病んでいるのも如何なものか。
ハッ、と乾いた笑いをして煙管に葉を詰めた。呼び出し音はまだ続いている。
「…っもしもし」
妙に慌てたような雰囲気が電話口からでも読み取れた。何に慌てていたのか聞きたいような気もしたが、考えるのは止めた。
「辰馬か、もう薬がねェんだ」
「ほいじゃすぐ届けるきに、いつもと同じでええんかの」
「ああ、」
「ん、わかった、すぐ行くき」
用件のみを早急に伝え終わるとそれは虚しい音を立てて切れた。なにか少し悲しくなった。だがその前に聞いた彼の声が耳に残って、何故か安心した。俺という奴は酷く単純である。
煙管を軽く吸って、吐いて。
彼がすぐ来ると言ったのだから本当に直ぐなのだろう。きっと煙管を吸い終わるまでには彼はやってくる。
カタン、と、煙草盆に煙管を置いて外を見た。ぼんやりぼんやり窓の外は暗く、青く、そしてきらきらと輝く星。
「晋助ー!」
声がした。陽気なその声の主は知っている。今一番会いたくて、会いたくなかった人物だ。いつの間にか後ろに立っていた彼はにこにこと笑っていた。
「…薬は」
「ほい、これじゃ」
駆け寄って抱きつきたくなる気を押さえて、差し出されたその袋を取ろうと立ち上がった。また目眩がした。一瞬意識が遠のく気がしたのだがなんとか耐えて倒れることはなかった、が。
「大丈夫かの」
完全に一瞬の出来事だったのだが、彼はさっきの瞬間に俺との距離を0に詰めて俺に触れて――支えて、いた。
「平気だ」
身体の方はな、と付け足して笑ってやると、彼の腕は俺の背中に回っていた。
「そんな顔しとらんぜよ…」
心配そうに呼ぶ、声。やめてくれよ、と叫ばんばかりの感情が沸き立つ。力が抜けて、重力に反することが出来ない足は踏ん張る力すら与えてはくれない。(ずるり、と胸の中へ倒れ込んでいた)
「遅ぇんだよ……」
お前が来るのも、俺が理解するのも、世界がおかしいという事実に気付くのも。
「薬、飲むかの」
俺は一つ頷いた。離れたくない弱気な気持ちが溢れ出そうだった。いや、実際出ていたのだろう。俺は彼の服を掴んだまま動けなかった。
お前と共に居たい。自分を偽ることも、許しを乞うことも、お前の隣ならばしなくていい。
無理に気張ることもない。お前の優しさが俺だけに向けられていればいい。独占欲で固めて、愛してくれれば、いい。
きゅぽん、と軽快な音がした直ぐ後、唇に錠剤が触れた。掬い取って口に含むと水を渡された。それを一口。しかし錠剤は流れて行かない。もう一口。喉を通ったそれは無味だった。
ほう、と大きく息を吐くと、彼も安心したように髪を撫でてきた。優しい手つきに泣きそうになる。
俺の中で狂う何かが、崩れ落ちる。
心の奥底で好きだと言ってみた。きっと届いたはずだ。(何故なら彼は笑わなかったのだ)
臆病者のrubbish同級生設定
一瞬の選択と、すれ違いで人生は変わってゆく。俺はその人生の中でお前と出会えたことに、たまに不安になる。理由は単純明快。俺はお前が好きで、お前と離れたくなくて、お前とずっと共に居たいからだ。
(出逢わなければこんなこと、思わなくても済んだのに)
「なぁ、友達の期限っていつまでだ?」
時に突拍子もない俺の問いに、いつも彼は戸惑うのだろう。
「……死ぬまで、かの」
彼は少し考えてから答えた。俺は問い、彼が答える。そのいつもと変わらない日々は脆いものだと俺は知っている。
「ならよ、昔は仲がよかったのに今じゃまったく、って奴がいねーの?居るだろ、1人くらい」
「んんー…まあおらんこともないの」
「だから、それだ」
ガシャンとフェンスにもたれかかって、騒がしいグラウンドを横目で見下ろした時、あまりにも希薄すぎる人間関係が垣間見えた。もしかしたら俺は人間不信なのかもしれない。
俺が不安になっている、ということをお前が知ったらお前は俺をどう思うのだろう。もしこの学校を離れ、お前と別の場所へ行ったなら。
メールも電話もしなくなって、いつかは『人生の中ですれ違ったただの知り合い』という位置付けになってしまうのかもしれない。俺はそれが怖くてならない。この想いはいつだって一方通行だ。
しかし、それでも、お前と俺との関係は友達以上恋人未満のあやふやな位置で良い。(そうでないとこの均衡は崩れてしまう
「辰馬ァ」
「なんじゃー」
「キスしろ」
俺がそう言えば、お前は俺に口付ける。それでも俺達は恋人ではない。酷く友達に近い。だがそれがいい。
友人ならば別れの悲しみも少なくて済む気がする。恋人であれば別れが重大なことになってしまう。すれ違い生きることが人生であるならば、俺と彼との関係はあやふやなまま生きていった方がいい。
柔らかく薄い唇は、つきりと甘い味がした。
(別れを望まない俺は、通じ合うことよりも共にいられることを願った)
rubbish:たわごと
言い換えれば要るのは君だけでいいのかもしれない
苛々する。だからと言って誰かに対して当たり散らすことはしたくない。器の大きな人間でありたい。しかしそんな考えばかりしていても苛立ちは収まらない。
だから、気分は下降する。グラフで言えば時間経過と共に右下に直線が引けてしまう。けれどそれを誰かに気付かれたくもない。他人に心配をかけるような人間にはなりたくはない。
ああ、苛々する。
この苛立ちには何か原因があったのだろうが、既に自分自身への苛立ちへと変わってしまって原因を思い出せない。全く、煮え切らない馬鹿め。と自分を罵るしかない。
ところで苛々していると言えば晋助なんかは一日一度は苛々しているように見える。それなのに誰も文句は言わない。もしそれが自分だったら、周囲の人間から一体何があったんだと聞かれるのだ。それもしつこく。だから少しだけ、いつでも不機嫌で居られる彼を羨んだ。
「……何怒ってんだよ」
「ん?」
そして突然に、彼は聞いてきた。一瞬聞き違いかとも思ったが、彼はもう一度同じ言葉を繰り返した。その時の自分にはその問いに正直に答えるような余裕がなかったのかもしれない。別に、と笑顔を作ったら、膝枕で横になっていた彼は無言で起きあがった。下から見上げるようにして、俺の顔を見つめる彼の手がサングラスに伸びた。セピア色の世界から色のついた世界に変わって、その明るさの変化に目を瞑る。それと同時に彼の両手が頬を包んだ。
ゆっくり目を開けると、至近距離にその右目。
「笑うな」
「…何を言うとるんじゃ?」
「無理して笑うなっつってんだよ」
彼は矢張り苛々していた。それに苦笑しながら、そんなことはない、と言うとその顔が益々不機嫌になった。これはもう既にこちらの不機嫌に気づかれている。自分では無理をしているつもりなどないと思っていたがどうやら限界のようだ。
「……そんなに不機嫌に見えたかの」
「ん」
壁に背を預けていたこちらに倣ってか、彼は左に座ると壁にもたれて天井を仰いだ。静かだ。なんとなくむずかゆいと言うかもどかしいと言うか、そんな気分に襲われる。ただ、彼に気づかれたことがショックではなく、逆に気づいてくれた事が嬉しかった。
「聞いていいか」
「理由を?」
晋助は深く頷く。
いつもは横柄な(と言っては失礼かもしれない)彼が妙に慎重に問うてくることに、自分の余裕のなさを改めて気付かされた。
「……ちっくとこの世界の人間に絶望しただけじゃ」
理由なんてそんなようなものだ。きっと。
「でけぇ理由だな」
それまで不機嫌だった彼がふと笑った。その横顔は、いつか見たことのあるそれだった。(いつだったか、思い出すことはできないが)
「俺が壊してやらァ、何もかも、な」
刹那、きつく抱きしめたくなった。実際抱きしめたら暑苦しいと怒られるだろう。
「わしは誰かが誰かを憎しむ心が大嫌いじゃ。だが晋助、おんしは好きじゃ。」
「矛盾だな、俺ァ憎しみの塊だぜ」
復讐なんて可愛らしいもんじゃねぇんだよ、俺のは、と喉の奥で笑うと一歩こちらにずりよってきて、それから頭に手を伸ばしてきた。
抱き込むように回された腕、顔はいつの間にか彼の胸の中。
「お前は俺が嫌いなんだろ?嫌いな奴の前で自分を偽ることはねぇよ」
だからひとりで抱えず話して欲しいと言うことなのだろうが、直接言わない言い方がまた可愛らしい。まあ可愛らしいなんていったらまた睨まれてしまうだろうが。
だから、彼の背に腕を回した。
ゆるやかに、けれど強く抱きしめた。
「もうちっくとこんまんまで」
(君さえいれば僕の笑顔は本物でいられる)
苛立ちはもう収まっていた。
(辺りは闇、星もなく)殺し愛
嗚呼、陽が、暮れる。
茜色よりも濃く紅い夕暮れに、奇妙な形の雲がぽつり。こんな夕暮れは不吉な事が起こる兆しだと言った彼の人はロマンチストだったのだろう。俺の神とも生きる意味ともいえる彼がロマンチストならば自分もロマンチストではないかと思うが、どちらかと言うと自分はイデアリストだから、そんな迷信めいた話を信じるのは馬鹿げているとも知っていた。
その不吉な日暮れは今年最後のそれである。俺は空を仰ぎながら、上着の袂を合わせる。嗚呼、寒い。と寒空に呟いたはずだったが、実際は何も声になっていなかった。
「晋助、冷えるでござるよ」
背中から声がかかった。が、それに答える気にはならなかった。俺が求める声はその声ではなかった。だからその声の人が居るであろう宙を見たまま白い息を吐き出す。なんとなく感傷的になる年暮れのこの雰囲気は全く良くない。
一年が終わる、年をとる。亡くした過去の人に歳が追いついていく。それは、水の中に躯が溶けて広がる感覚のような、もしくは生温い血が躯を濡らすような、そんな感覚。そんな錯覚。
「きた」
一言口の中で呟くと、空気が笑んだ気がした。研ぎ澄まされてはいるが大きな殺気。後ろにいる万斉が身を堅くしたのがわかった。
音も無く、気配も無く、鬼兵隊の奴らに気付かれず、どうやってここまで上ってきたのだろうか。
ひやりとした空気が一層冷たくなった。
万斉は黙ったまま、甲板を降りた。この狂気の渦が混ざり合う場所に進んで居続けるような必要もないだろうし、なにより彼には分からないのだ。
理解し合って愛し合う俺達が、一番に互いを殺したいと思っていることを。
理解されたいとは思わない。いや、理解者は彼一人で良いのだ。きっと俺が愛す限り彼は俺を殺そうとするし、その逆もだ。
「始めようか」
もしかしたらこの感覚は性行為に似ているのかもしれない。興奮して、全身が粟立って、快感を得る。
「陽が暮れる」
今日は一番に最悪な気分だと喉の奥で笑ったら、いつも笑っている彼の顔が曇って見えた。武器は何かと聞かれたら、俺は刀であるし、彼は銃である。ただ、使うかどうかは気分次第。
俺は刀を抜いた。彼は銃を取り出さなかった。今年最後を飾るにしてはあまりにも景気の悪い話だ。
『こんな日暮れの日には気をつけなさい』
頭を掠めた記憶は、沈む闇へと墜ちていった。
(辺りは闇、星もなく)
明るい年明けなど、望めそうにはなかった。
(愛しているよと、聞こえた)
(もしかしたら聞きたくなかったのかもしれない)
(ああ先生あなたは本当に浪漫主義者だったのですか)
(現実に成ったこの悪夢をなんと現せば良いのやら)
抱き締められたのは刹那
good bye my childish days.3Z
彼は窓枠から足を投げ出していた。(もちろんそこには柵も何もない)
人の居なくなった、放課後の三階の廊下、出会ってしまったのは必然か。
「飛び降りならやめときぃ」
二階から階段を上がって左に曲がろうとして、足を進めたら視界の右側に彼を見つけた。その少年は、開けっ放しの窓の枠に座っていた。しかも足をに放り出して。流石に少し驚いたがすぐに声をかけて、やるならせめて学校以外でと笑ってみたら、「馬鹿じゃねェの、誰か飛び降りるかよ」と、逆に鼻で笑われた。
ちら、と、こちらを見た彼と目が合った。左目を眼帯で覆っているがなかなか見目は良い。こんな生徒がいただろうかと思ったけれど、授業を受け持っていないクラスの生徒の顔なんてあまり覚えていないから仕方ないとも思った。(最低だといわれるだろうか)
それよりもどこのクラスの人間なんだろうか、この棟に居ると言うことは二年生なのかもしれない。もしも今色々「面倒」が起こった時、誰が担任なのか分からないと困る。と、そんな下らないことを考えていたら、彼はもう視線を窓の外へ戻していた。しかもごく自然に煙草をふかしているし。教師の前だというのになんて大胆不敵な、とは思ったが、こういう変わった人間は大好きだった。それでも自分は一応教師だから、せめてもの注意だけはしておかなければならない。
「……校内は禁煙じゃ」
あえて未成年の煙草の可否自体に触れずに言ってみたのは反応が見たかったから。すると彼は予想通りその右目を見開いた。けれどすぐに先ほどの訝しげな目つきになって、しまいにはそっぽを向かれてしまった。そうしてふてぶてしい態度で「だったらまず銀八に言えよ」と呟いた。
そういえば、銀八はいつだって煙草を吸っている。正論だ、と笑うと、彼は何も言わず外壁で煙草を潰した。それはすぐに手の中から転げ落ちていった。
しかしまあ、何年か教師をしているがこんなおもしろい生徒に出会ったことはない。そこらにいるすれた不良よりももっと何か違うものがある。それは直感で分かった。
「おんし、名前は?」
「高杉晋助、」
「いったい何をしちゅう?」
「見てわかんねーの?」
む、とした返答になんとなく話が続かない雰囲気になってしまった。しかしこちらはもっと色々聞きたかった。だから、当たり障りのないことを聞いてみる。
「おんし二年か」
「そーだけど」
意外と素直に答えるな、と感心する。
そのまますっと近付いてみる。彼は近づくのを許してくれたようで何も言わなかった。飛び降りる気は本当にないらしい。けれどその手は窓枠など掴んでいない。
「どうしてそげなとこにおるんじゃ?」
「面白いから」
「面白い?」
「…………」
彼は押し黙った。
その問いに彼は答えなかった。答えたくないのか、答える気がないのかどちらかなのかははっきりとしなかったが、会話のキャッチボールはこんなに難しいことだったろうか?と自問自答してしまう。
「ああ、生きるか死ぬかのスリルが好きなんかの」
とても悩んでいても、家族や友人に助けを言わない子供がいる。そんな子供がとる行動の一つではないかと。危険なことをして、誰かに気づいてもらおうとする。例えばリストカットをしたり、こうして死にたがってみたり。彼はそんなタイプの人間かな、とちょっと決め付けで聞いてみた。イエスと答えられたらちょっとつまらない、とも思ったりしながら。
しかし予想とは外れるものだ。
彼は見下すような笑みを見せて「別にこんな高さから落ちたって死なねえよ」という至極簡潔な答えを返してきた。
「ほんとに死にたきゃもっと高い所から……ま、他にもっと確実な死に方があるのにわざわざ飛び降りなんて使うかよ」
「低くても打ち所が悪かったら?」
「……試してみるか?」
そう言って彼があんまりにも挑発的に笑うものだから、つい、トンっとその背を押してしまった。
スローモーションで窓から落ちていく彼は妙に冷静だった。
*
「おい坂本」
窓のサッシを右手で掴んで、ぶら下がったまま見上げてきた彼は、さほど驚いた様子もなく名を呼んできた。
「おお、ようわしの名前知っとったの。しかしおんし、わしは先生じゃき敬語を使ってほしいもんじゃ」
そう笑ってやったら彼はうるせーよ、と鼻を鳴らした。ちゃんと彼の左腕は掴んだ。本当に殺す気なんてないに決まっている。単なる冗談だよ、と上から彼を見る。視界に映った、サッシを掴む骨ばった指はどんどんと白くなっていく。あ、そろそろ引き上げてやらないとまずいかなと思って掴んだ腕に力を込めると、彼はそんなものは必要ないと言わんばかりにもう片方の手をサッシにかけ、勢いをつけて自立で上がってきた。
わざわざ手を振り払って、だ。
「おお、すごいの」
「フツーだろ」
運動神経の良さに感心してそう言うと彼は不機嫌そうにその隻眼でこちらを見つめてきた。
「何マジで落とそうとしてんだよ」
教師のくせに、という意味合いもこめられていたが、そんなものは関係ないと笑ってやった。
「そんなつもりはなかったんじゃが」
まあ、普通だったら殺人未遂の教師として訴えられてもしょうがないくらいのそれだったのに、彼がさも当たり前のことのようにしていたもんだから、何かいろいろと言おうと思っていたことを忘れてしまった。とりあえず誠心誠意謝るべきだとサングラスを外したら、眩しい光が目に入ってきた。同時に、彼の色を知った。(ああ、肌と髪と瞳と、そんな色をしていたのか)
夕日に染まってはいたがそれは彼の色だった。いや、それこそが彼の色だったのだろう。朱に染まった彼の顔に見惚れている自分が居た。
「おんし、綺麗じゃの」
ポロッと口をついて出たその言葉に、彼は一瞬息をのんだようだったが、すぐに口元は弧を描いた。
「だろ?」
たった二文字とクエスチョンマーク。彼はにっと笑った。
「ああ、」
それだけしか答えられなかったのは、もう少し言葉を続けようとした刹那、彼が再び窓に身を乗り出したからだ。しかも今度はあっさりと自ら飛び降りた。
「……ちょっ!」
あわてて窓枠から下を見ると、彼はすぐそこにいた。
「ここ、屋根あるの知らねーの?」
下から見上げる彼はハハ、と笑って、すぐに歩き出した。
「下校当番お疲れさまっす」
そう言って後ろ手に手を振って、そして、
「坂本センセ」
また、そこから地面へダイブ。
(驚かせるな全くと言うようにため息を吐き、彼が酷く昔の自分に似ている気がしたのに目を瞑って)
女は知っていた。R-15
くすりと、紅をひいた女の唇がつり上がって弧を描いた。
(抱いておくんなまし)
そう言って擦り寄ってくる女からはきつい香の匂いがする。
二人で居るには充分すぎる広さの部屋には寝具が一組。女は妖艶な笑みを見せ、あからさまに誘ってきた。
(子が欲しいのか)
快楽を得たいのなら、他の男と勝手に睦めばいいものを、わざわざ俺を選ぶ理由とは何だと問う。女は何も言わず、ただにんまりと笑った。白粉に乗った赤が一層濃く見える。
この容姿や地位が女を惹かせているだけならば、好意とはなんとつまらない感情だろうか。
そんなことを考えていると、女はゆっくりと胸の合わせに手を差し込んきた。その冷えた手が、誘うように上下する。
据え膳よりも良い状況であるのに、全く気が乗らないのは、自分が異常であるからだ。
(悪いが)
そう言って手を払い立ち上がると女は口元を隠しながらクスクス笑い、目を三日月のように細めて言った。
(女、の匂い)
その女が嘲笑う[匂い]は、きっとこの身からふつふつと溢れるもので、誰か他の女郎に付けられたものではない。
(今宵はどなたに抱かれに?)
手練れた女は、全てを分かっているようだった。その上で誘ってきたのなら、意地が悪いどころではない。女というのはなんと恐ろしい生き物か。
(馬鹿な彦星にな)
図らずも、水無月の初旬。
襖一枚隔てた部屋部屋から漏れる淫事の声にも沸き立たない血に、自嘲の笑いをしながらあの男の顔を思い浮かべる。あの眼で、組み敷かれる屈辱が欲しい。
その被虐性欲は、マゾヒズムと云う。
ぞくりと背中を駆け抜ける痺れに耐え難い快楽を感じる。自分自身に吐き気がする、そう思いながら部屋を出た。
ああ、男の性は何処へやら。
◆
男は、俺を認めると、顔を輝かせ飛び付いてきた。
「久しぶりじゃあ」
がばりと抱きつかれ、頬に唇を落とされる。
「全くだ、連絡位寄越せ」
身長差が少し悔しいと思って眼を逸らす。
「すまんかったき…」
いつもの明るい声はどこへやら、それは少し弱気な声だった。
その黒眼鏡の奥で瞳が少し薄められたのには気付かないふりをして、「いい」と短く応えた。
久方ぶりの再会に野暮を言う気などない。
「土産は?」
「その前に欲しいもんはないんかの」
つ、と唇を指で撫でられて、背筋にぞわりと熱が広がる。
「……欲しい」
「なんじゃ?聞こえん」
「お前が欲しい」
小さく、答えた。
一瞬、身体が浮いたように思えたのは、床に押し倒されたからだ。彼の手の支えで硬い床に直接当たることはなかったのだが、それでも背中への強い衝撃で息が詰まった。
「っ…カハッ…」
強打した為か声が出ない。それでも男は構わず腕を絡めた。
「熱いのぉ」
男は、囁くように言った。わかっているならはやく、とせがむように腕を伸ばすと、まあ待て、と止められた。
「辰馬」
名を呼ぶと彼は身体を起こし、同時に俺も起こしあげた。そのままくるりと身体を回され、後ろから四肢を絡めるよう抱き竦められた。
普段であれば顔が見えないと文句のひとつでも言ってやるところだが、やめておいた。背中に当たる熱が自らの熱をも高めていく。熱い。
「……女の匂いがする」
男は、後ろから首筋に顔を埋めたまま唸るように言う。
「廓遊びくらい、いいだろ?」
すっと合わせの中へ差し込まれた手は、大きく厚く、男のものだと感じさせられるものだった。それに快楽を感じる自分が、怖い。
「女はどうじゃった?」
「……どうだったと思う?」
胸元の手に自らの手を重ねながら、ゆっくりと問い返す。
「足りんじゃろ?」
「ああ」
「わしが、そうしたんじゃ」
調教したとでも言いたいのか、男は笑う。そのまま手探りでその黒眼鏡を外す。それから、振り向いてゆっくり口付けた。
「わかってんならさっさと…」
「まぁ急かんでも」
ふわっと笑った男の瞳は優しいものであったが、その裏には加虐性欲が秘められているに違いない。
「次は男でも買うかな」
わざと挑発するように言ってみる。妬いてくれたかどうかは定かではないが、男は歯を突き立てるように首を噛んだ。
「いっ…」
痛みと同時に感じたのは快楽だ。刀で斬られたのとは違う、鈍く突き刺さる痛み。
「…ハ、ッ」
「消えるまでには戻ってくるでの」
男は傷口を舐めながら、言った
「……どうだか
その言葉を嘘だと知っていて、俺は応えた。
肩が揺れた。後ろで、男が少し笑ったようだった。
(多分、今この顔はあの女の顔のように卑しく歪んでいる)
こんなにも不十分な僕ら3Z
どうりで寒いと思ったらやっぱりだった。
「雪じゃ」
「そうっすね」
机上に積み上がるプリントと、ポケットの中で握りつぶされた煙草の箱の白色と同じそれ。
「…それが終わったら今日は帰るき」
時計と俺の手元を見て、坂本は言った。まだ二問しか解けていない問題用紙の筆跡に俺は心中で溜息をついた。
居残り時は節約の為だと暖房も弱にされて、廊下にいるよりは少しましなだけの部屋の中ははっきり言ってとても寒い。居残りは俺の自業自得だが雪は俺のせいじゃない。まあ雪について怒ってもしょうがない、と自分に言い聞かせて俺はまたペンを進める。坂本は帰り仕度をすると言って教室から出ていってしまった。なんとなく、寂しい。
学校を出る頃にはもううっすらと雪が積もっていて、それどころか降ってくる雪もどんどんどんどん多くなってきていた。真っ暗になった生徒用玄関の前で俺と坂本は立っていた。
「あ、そういや坂本、今日傘持って…」
来たのか?と言いかけて、つい3秒前まで隣にいた筈の彼がいないことに気付いた。たった今そこにいたのに、一瞬の間にどこへいったんだと、仕方なく暗闇に目を凝らしていると、無邪気に雪の上を歩く彼を見つけてしまった。黒のコートを羽織っていた彼は一瞬闇に溶けていて気付けなかったが、校庭の真ん中をくるくると駆けているのが薄ぼんやりと見えた。
どっちが子供なんだかわからない。だが彼はいつだって真剣だ。(一途とも言おうか)
ああ、仕方ないと白い絨毯に足を踏み出すと、前から白いかたまりが飛んできた。寸でのところで避けることが出来たが、めちゃくちゃ驚いた。今のはなんだったんだと後ろを振り返ると、玄関の石床に雪の塊が崩れていた。もう一度前を見ると、彼が笑って(それはもう素敵すぎる笑顔で)雪玉を作っていた。
「何やってんだよ」
「久しぶりに童心に返りたくなったんじゃ」
「いっつも子供みたいなことしてるくせに」
そう言って少し笑えば坂本はまた雪玉を投げてきた。やっぱり子供だ。雪という自然に、純粋に単純に喜ぶ小さな子供のようだ。結局その雪玉は俺の足元に落ちた。俺はふ、と笑ってから彼の足跡を追いながら雪の上を歩いて彼の近くへとやってきた。が、ようやくそこにたどり着いた時には彼はもう他の事に夢中だった。黒のコートにつく結晶を見て綺麗だと正直に感じて、その背中をじっと見ていた。
「晋っ、雪うさぎじゃ!」
彼は突然俺の目を見て叫んで、手のひらサイズのそれを楽しげに俺に見せた。俺が唖然としたまま突っ立っていると、「次は雪だるまじゃ」と彼は笑った。別に作りたければ雪だるまでもカマクラでも作ればいい。(雪の量が全く無いが)
「…先帰るぜ」
ただ、それは一人でやってくれこっちは寒いし帰りたいし寝たいんだ。彼はいつだって無邪気というか馬鹿というか俺より幾分年上で、先生と呼ばれる人間のくせに、こんなのが教師をやっていていいのかとたまに思うのだ。
冬の寒空の下、酷く歪んだ曇天が重く、俺の気持ちも身体も蝕んで憂鬱にしていく。晴れない。
足跡を残しながら、誰も踏んでいないまっさらな雪の上を歩いて校門へと向かおうとしたら、バシッという音がして頭に雪玉がクリーンヒットした。冷たい!
「っにすんだよ!」
すぐに足元の雪をすくい上げ(素手で冷たかったが無視した)手の中で握り込んで思いっきり投げつけてやった。(が、避けられた)
「一緒に帰るろ」
年がら年中かけているサングラスの向こうから微笑みかけられた。そんな笑顔を見せられて、嫌だと答えられる訳もない。俺はその笑顔に何よりも弱いのだから(ああ、まったく俺ときたら!)
(この雪が溶ける頃には、僕は今よ少しだけでも大人になれているのだろうか)
crisisは終わらない生徒坂本×教師高杉
靄のかかった空気が晴れていくような朝の学校の一時に、のんびりコーヒーを啜っていると、にぃ、と細く鳴く声を聞いた。
振り向くと柔らかそうな焦げ茶の毛並みに埋もれた、金色の石がふたつ俺をジッと見つめていた。その焦げ茶を大事そうに懐に入れているのは、同じ焦げ茶のもじゃもじゃの髪を持つ男だった。
「…おい…なんだそりゃ」
彼の学ランの中からちいさく顔を出しているのは、猫だ。
「来る途中で拾ったんじゃ」
にこにこと笑いながら彼は言う。そしてそいつの頭を撫でて勝手に楽しんでいるようだった。なんとなくこの次に彼が言いたいことがわかって、俺は少し迷ったが先手を打つことにした。
「それ…預からねーからな」
「ええ!?」
もじゃもじゃ頭は吃驚したという顔のまま固まった。やっぱり俺に預かってくれと言いに来たらしい。
「ここは保健室だ」
「わかっちょる…けど、ほんのちっくの間だけやき!」
彼が悲痛な顔をして大きく叫ぶとゆったり懐に入っていたそれは不安げに小さく鳴いた。未だ俺を見つめているその目にほだされそうだ。いや、駄目だといったら駄目なんだ。だけどでかい方のもじゃもじゃまでもが子猫と同じような瞳で俺を見つめてくるものだから一瞬声が詰まってしまった。
「今日1日だけやき!」
そう叫んでお願いじゃ先生と縋ってくる彼が、小さな子供に見えた。いや、こいつは確かに子供だが小さくはない。ただ、少しかわいく見えたのは確かだった。
「せんせいー!」
「…ったく、1日だけだぞ」
ああ、世間の親もこういう体験をしているのか、と思いつつ結局折れてしまった自分に少し頭を抱えてしまう。しかし次の瞬間、
「先生好きじゃー!!」
と、大声で叫んで俺に抱きついてきたもじゃもじゃに考えが停止してしまった。その胸のあたりからは柔らかく温かい生き物の感覚がある。
「っ潰れる!」
小さな生き物がこんな力で挟まれたら潰れてしまうと焦ったが、意外にも子猫は苦しがっていない様子で、少し動いたきり気持ちよさそうに目を閉じた。そんな子猫よりむしろ俺が苦しいのではないか。
「おい坂本…離せっての!」
ぎりぎりと引き離そうとしても全く引きはなせない。なんて馬鹿力なんだと思いつつ、俺の首元に触れる髪に安堵感を感じてしまう。俺は俺で治せない大分重症な病気を持っていると憂鬱になりつつも離すのを諦めた。好きなだけやらせておこうと、そのままでしばらくしていると彼は突然ぱっと離れて、そうして、キラキラとした瞳で俺を見つめてきた。
「どうした?」
ただ聞いただけだったが、
「先生大好きじゃ!」
それは地雷だった。
いつもいつもそうだが、こいつは恥ずかしいことを大声で、しかも瞳を逸らさずに言ってくる。
「馬鹿か」
俺は小さく呟いて、彼の学ランから子猫をつまみ上げた。焦げ茶がうごうごとして俺の手から逃れようとしている。
「かわいくねー」
拾い主に似てわがままそうだと呟けば、わがままは先生のほうじゃ、と笑われた。
(あ、やっぱりかわいくないかも)
「死ぬ時は共に」死の表現があります
お前を、好きになるんじゃなかった。
ぐるり、回る回る回る時代に呑まれていくこの身は酷くゆっくりと朽ちていくのに、きっと彼の朽ちる速さというのはきっと尽きていく星屑なのだろう。
さあ、消えたお前は何処に行った?
嗚呼、ひんやりとした空気の中、鳴るのは三味の音、ぽつんぽつんと遠くからひとりやってきたその男の姿を俺は知っていた。
「河上、万斉」
ぼそりと言ってみた、冷たい空気の中で響かない音がぐんと心を締め付けた。ただ、その男は彼の居場所を知っていて、俺は知らない。その真黒な闇の中、真黒なコートを着た彼はビン、と一度だけ三味を鳴らした。
「晋はどこかの」
まるでそれが合図だったかのように、一歩近付いた。その問を一応冷静に聞いたはずだったが、押さえ切れない怒りがあふれていたのかもしれない。懐に入れた銃はいつの間にか手中にあった。
「晋助はおぬしに来て欲しくないと言っていたでござる」
「それでも口止めはされちょらんじゃろ?」
ああ、自分は上手く笑えているだろうか。
「場所は何処じゃ?」
そう問えば彼はポケットから紙を出して渡してきた。俺は内心この男が聞き分けのいい男でよかったとほっとしていた。もしも彼が何も言わねば、何も答えねばこの銃は確実にその暗闇の中の心臓を打ち抜いていた。
*
山道を歩く途中、ふと視線の先の男か自分かどちらが強いだろうかという下らない疑問が浮かんだ。そういえばいつか聞いた、銀時と殺り合ったと。しかしまあ、どちらだろうか。簡単に言ってしまえば、彼は剣であり弦であり使う。ただ俺の持つ飛び道具は卑怯なくらい楽に人を殺す。殺した感覚等などなくても(そう、トリガーを引くだけで)君は死ぬし、痛みもない。(理解する前に死がやってくるように殺してやるからだ)
そんなおかしな話を考えていたら、いつの間にか小さな家についた。小さな、といっても派手好きの彼にしてはの話で、まあ普通の家程の大きさはある。
見るからにだだっ広い庭には彼の好きな花々と共に池があった。
橋のある池だ。そこに、彼は、居た。
じゃりじゃりと石畳を踏み鳴らして近づいたから気付いていないないはずがない。しかし彼は振り向きもせず、じっと池の中を見ていた。何となく彼をそのまま池に突き落としてしまいたくなった。悪戯心だけではなくて何か、もっと、他に思ったことがあった。(が、忘れてしまった)
「久しぶりじゃの」
声をかけた。しかし彼はまだ無視をする。
後ろから見た彼の白い肌は今一層白く見えた。だから、赤紫の着物がよく映えて似合っていた。
「晋、」
もう一度声をかけると、彼はゆっくりと振り向いた。ああ、白ではない、青白い。刹那、理解した。
彼はもうじきに死ぬのだと。
自然と涙は出なかった。否、涙なんて流したことはないから、泣き方も分からないだけなのだが。
「今日来て良かったなァ、まだ喋れるんだぜ」
左目には包帯が巻かれていなかった。その目は空を映すだけだ。
「約束は、覚えてるか」
「勿論じゃ」
「それは来世に持ち越すことにした」
彼は非道な事を言ってのけた。
「わしだけ残すと?」
「ああ、残す」
そのとき初めて、彼は笑った。見たこともないような、笑顔だった。
*
もしかしたら夢だったのかもしれない。どこから夢か知る由もないがあの時あそこに居た自分か彼かまたどちらともかが異質な存在であったのだ。異質というのは時代についていけなくなった、ということだ。
その点に関しては自分よりも彼が飛びぬけていたのだが。ただあの時、あの細った白い首に手をかけて、締め付けた。銃を出さなかったのはその手の中で字を感じたかったからに違いない。彼は最期になんと言ったか、覚えているはずもないが。
あの約束だけは悔やまれる、と最期まで言ってくれていたのだ。きっと自分にはそれだけで十分だった。
ゆっくりと肌に沈み、喰い込んで行く指。白く白く白く白く変色していく首、そして己の爪。恐ろしいほどにゆっくり沈んでいく片方の瞳。好きだと言いながら殺めた。満足気に目を閉じた。
あの顔が、網膜に焼き付いている。
あの日、私はあの池の中に、君を閉じ込めてしまったのだ。
黒滝さんリクエスト「新政府 結核死ネタ 狂辰馬」 結核で死んでいないすいません
出来れば最期はお前のその手で殺伐
殺して欲しいという苦しげな呻きが聞こえた。だから刀を振り下ろした。風を斬る、音。声がする、叫び声が。(人はそれを断末魔と呼ぶ)
しかし刀は止まった。それは呻きをあげる男の首の寸前で、もう一本の刀によって阻まれていた。
「坂本………」
その男の馬鹿力には勝てず、鈍い鋼の音と共に刀は押し負けた。
「まだ息がある」
坂本はさっと刀を仕舞い、地面に伏した男を起こす。
「死にたがってる奴を生かしておくなんざ、薬の無駄だ」
「………」
坂本は俺の言葉には答えなかった。ただ、「後で」と一言を残して、男の肩を担いで行ってしまった。
嗚呼、なんて憎たらしい。
*
血生臭い。全身至る所から死の臭いがしている。それからひとかけらの狂気。俺は刀を握り締めたまま立ち尽くす。ここは戦場ではないとわかっているのに。
夜の闇が足元から這ってきて、痛みにも似た感情がぐるりと胃に負担をかける。夜露を含んだ草が足を冷やす。対峙した俺と坂本はただ真っ直ぐその目を見つめ続けた。
「お前、俺が死にかけていても助けるだろ」
「当たり前じゃろ」
「必要ない、」
戦場を率いる者が負傷し生き長らえるのはどうにも解せない。志気にも関わる。どうせ散るなら潔く死にたい
「俺が死にかけた時は殺してくれ」
「嫌だと言ったら」
彼は真面目な顔をして問う。
「言わないだろ?」
嗤って言い返してやったら酷く苦々しい顔をされた。まったく、そんな顔をするなよ。
そう思って俺は剣先を彼に向けた。鎮まらない熱を鎮めようとこうして命を賭け合う俺達は端から見たら単なる死にたがりの馬鹿なのだろう。
最終的に引き分けるか、桂が止めに入って終わりだ。それ以外があるというなら、此処で男を見せろよ坂本、
そう嗤ったら彼は刀を投げ捨てた。
いつからこの関係を望んだのかは忘れた。期待しているのは俺かお前かさえもわからないが、彼は一言こう言うのだ。
出来れば最期はお前のその手で
(そして俺も刀を捨てるのだ)
正夢坂高(と攘夷ズ) 同級生
真夜中にふと目を覚まして、一番に思ったことが、「あの場所に、行かなければ」という事だった。
しかし何故突然そんなことを思い付いたのかわからなかったので、自室の闇のなかでベッドに横たわったまま数分考えた。
多分、夢でも見ていたのだろう。その夢から覚めるときに、夢の中の感情を持ってきてしまったに違いない。
そうやって結論付けて、もう一度寝よう、と、目を瞑った。けれど何分経っても何かが腑に落ちない。眠れない。
だから、こっそり家を出た。
あの場所に、行くために。
※
夜中と言えどやはり真夏は蒸し暑く、湿気を帯びた空気が酷く気持ち悪かった。
ブレーキをかけるたびにキイキイ鳴る自転車も、人が居ない夜中ではそんな音を立てないで済む。
住宅街から商店街、普段学校へ通う道とは逆の方向へ走っていく。
妙に胸が高鳴っている気がした。きっと夢のせいだ。
ポケットに入れた携帯電話を取り出して、時間を見ればもうすぐ二時になるところだった。
別に夜中に外に出ることに罪悪感があるわけでもないし、夜に外出なんて危険だ、なんて女のようなことも思わない。
ただ、不思議な衝動に突き動かされて、こんな情動的に動く自分は馬鹿だと思う。
(それでも、彼は言ったのだ、「十八の誕生日には必ず」と)
あれは夢だったのか、それとも昔の約束だったのか。
それでもこの坂を上がった先に、彼が居たのならば、悔しいが惚れ直してしまうかもしれない。
(正直、惚れ直すというのは言葉のあやであると思いたいが)
※
一気に、坂を上がっていく。
息をひとつする度に、喉の奥で粘液が張り付いた感じがする。それでもペダルを漕ぎ続ける。
髪をしばっておけばよかった。首の後ろの汗が酷く気持ち悪い。
ああ、もしあいつが居たならアイスでもおごらせないと、割に合わない。そうこう思っているうちに坂の頂上だ。
ざっとまわりを見回して、人影を探す。あ、と思ってブレーキをかけるとそれはやっぱりキイッと鳴った。
「ん?」
その男がこちらを振り向いて、あ!と叫んだ。
「晋助!」
ぶんぶんと手を振って、笑っている男。
「やっぱりきてくれゆう!」
「なんでいんだよ…」
聞こえないように呟いた。だって、あれは夢だったはずなのだ。夢でなかったというのなら、遠い昔に交わした会話。
(「十八の誕生日には必ずここで」)
「ハッピーバースデー!」
八月十日、俺が十八になったこの日に、祝うという、この声。
おう、とたじろいで一歩後ずさると、後ろからパン!とクラッカーの音がする。
そのクラッカーの音はいくつか重なって聞こえたのだ。
「おめでとう!」
(夢ではこの後ケーキを投げつけられたが、それは全力で回避してみようとおもった)
蒼唐さんリクエスト
坂高或いは攘夷でほのぼの青春(3Z、同級生)でした
bgm スピッツ/正夢
サラバ青春3Z坂高
卒業式の日に、桜は咲かない。
どちらかというと桜が咲くのは入学式の頃で、もっというと三月の始めなんてまだ冬だ。とても寒い。
卒業式は終わり、人で埋まっていた校庭も今はもう空。俺は一人、蕾すらついていない枯れ枝のままの桜を見上げて彼との別れを嘆いていた。
(この日暮れで、終わりか)
結局最後の最後まで、彼との関係は曖昧なままだった。互いに恋愛感情を持って、一度きりだがキスもした。それでも教師と生徒の恋愛はうまくいかないように仕組まれているらしい。いや、そもそも男と男がいけなかったのか。ずっとちぐはぐに付き合ってきて、卒業式になってしまった。しかし卒業後の事を全く話してこなかった俺達は、これからどうなってしまうのかわからない。だから今、卒業式を終えてしまった俺は、この場から離れられずにいた。
(桜の木の下には死体が埋まっているというが、流石に学校の桜並木に死体は埋まっていないだろう。一体誰が言い出した俗説かはしらないが、どうせなら俺を埋めてくれればよかった。そうしたら、彼と一緒にいられる、のに)
そんな事を考えていたら、後方から声がした。
「おお、こがなとこにおったか」
「坂本…」
「おんしゃ式に出とらんかったき、まだ御目出度うも言うちょらん」
後ろからした人の気配は彼だった。俺はぼんやりと考え事をしながらもその声に振り返り、きらきらと笑顔を撒く男の顔を見た。
「御目出度う、晋助」
「おう……」
下の名前で呼ばれて悪い気はしない。少し感傷的になっていた筈なのに、彼の声の明るさに、今まで考えていたごちゃごちゃとした何かが吹き飛んでいくようだった。
「晋助は茶話会にいかんかったんか?」
「そういうお前も」
「わしゃ担任やないき」
「そうか」
一人納得しつつ、彼を見上げた。(見上げねばいけないのが忌々しい)
普段よりきちんとしたスーツと、長めのコート。髪は風で戻ったのか最初からなのか普段の通り。サングラスもかけて、見る限りはいつもの、教師の顔をした男。
「……先生」
だから俺は呼んだ。それまで、彼に対してその名称で呼ぶ事は数えるほどしかなかったし、大抵は小馬鹿にしたような時にしか使わなかったから、至極、真面目にそうやって呼んだのは初めてだった。
「これが最初で最後だからよく聞いとけ」
すっと冷えた風が首元を通り抜けていく。目の前の男は疑問符を顔に張り付けたまま俺の声を聞き逃さないようにと一歩近付いた。その瞬間を逃さないよう、互いにタイミングを図っていたように思う。
「先生、好きです」
生まれて始めてこんなに真面目に誰かと向き合って、話をしたかもしれないと思いながら、俺はもう一度だけ、好きだと言った。
「な、」
俺の言葉に、彼の目が見開いた。その表情を見た瞬間に、顔が熱くなる。
「でも最後だ」
ここまで言ってしまえばもう怖いものなどなかった。俺は着ていた学ランを脱いで彼に向かって投げつけて、それが彼の顔に当たったのを見てから叫んでやった。
「あいして、る!」
ドラマなんかじゃサラッと言っている言葉だが、現実にするとどうだ。こんなにも照れくさい。学生服を脱いだら言えるかもしれないなんて思った俺が浅はかだった。
(ああ畜生、こんなのは俺らしくもない!)
そう叫びたくなるのを堪えて、背を向けた。服が落ちる前に背を向けてよかった。もしも今顔を見られてしまったら、笑われただろうから。
「晋助!」
後ろから叫ぶ声がする。
振り返ることを躊躇って、けれど結局捕まるのなら、と振り返ってしまった。
(負けた)
俺の数歩をその半分の歩数で詰めた男は、大笑いしながら俺を抱き締めた。
学生服は地面におてけぼりのまま。
(桜の下には、死体が埋まっている)
頭を掠めたその言葉は強ち間違っちゃいなかった。
(地面には過去の自分という死体が多く埋まっているのだ)
(風で飛んでいった学生服と、共に)
まちこりんさんリクエスト
bgm チャットモンチー/サラバ青春
落日
「君は詩人のようで良い」と坂本は言う。
そう言われて、悪い気はしない。
しか しながら俺にとってその評価などは、積る埃の一部でしかない。
(彼は誰かにとっての太陽であり、俺にとっての落日であった)
確かにその表現は詩的で良い。と、俺は再び言葉を噛み締めた。
彼との別れは常に落ちる陽のようだ。
再び会えると知りながらも、その根拠を探 すことはない。
何故なら、昇んでは昇る太陽のように、それが当然繰り返す日常だと思っているからだ。
しかし彼は俺にとっては落日である。
落ちていく太陽は朝になれば生きているうちは再び出会えるが、夜の間に死んでしまえばそれきりだ。
簡単に言えば、彼がこの世から消えるよりも、自分が死ぬ方が早いという話で。
「次はいつ会えるんだ?」
「約束か?珍しいの」
「……戯言だ、流せ」
普段聞かないようなことを聞いてしまったのは寂しさからではない。
それは少し
の恐怖だった。
早く行け、という意味を含めて「今は何時だ」と坂本に問う。
彼が胸元から取り
出した懐中時計を覗き込もうと近付くと、後ろから抱き留められた。
「おい、」
いつもの口調でつよく、(否定するように)突き放したつもりだったが、今日の男はしつこく、胸元で絡まる腕を放してくれなかった。
「行くなと…言ってはくれんがか?」
「………出来ねぇ頼みだ」
(ならば、せめて)と言うように、男は腕に一層力をこめた。
強い力は、俺に「いくな」と言っていた。
(不安だったのは俺ではなくお前だったのか)
「お前が地に堕ちたてくれたなら、もうすこし愛せたかもな」
いいや、逆に愛せなかったかもしれない。
空にあるお前を好いたのは俺だし、引
き留めなかったのも俺で。
「詩人やの」
その堕ちていく声を愛したのも確かに俺だった。
Mさんリクエスト
bgm 東京事変/落日