絶望の中で生きるなんて全く、笑えやしない。この身体が存在する理由を付けないと生きられないなんて、馬鹿らしい。
(それならいっそお死にになったら?)
そう言って微笑んでくる天使も、
(死ぬ勇気がないだけじゃねぇか)
と叱咤してくる悪魔も、
「正直もうメンドイ」
◇
「……ああ?」
素振りの音がぴたりと止んだ。あんな轟音を立てて棒を振り回していても、この声は聞こえたらしい。流石だ。と思いながら、(正直もうメンドイ)と心の中で繰り返した。
「いやぁ、ちょっと思ったんでさァ。土方さんは俺が死んだら悲しむかなぁって、ね」
「…さあな、でも近藤さんは泣いて悲しむだろ」
「、そうですかィ」
自分の本心は言わないのに、他人を引き出してくる。なんて卑怯な。
「じゃあ、死にたいって言ったら怒りますかィ?」
「………」
怒ってくれたらいいのに、彼は怒らなかった。むしろ頓狂な顔をしてこちらを見ていた。
「ね、土方さん。俺は、姉上と近藤さんの為に生きてる。でも、その理由が半分消えちまって、それから、最近どんどん歌舞伎町に知り合いが増えてきてね」
その道場の中は奇妙なくらい静まり返っている。下手をしたら息遣いがわかりそうなくらいだ。僕は矢継ぎ早に言葉を進めることで、その息苦しさを沈めようとした。
「俺は、なんでもっともっと早く死んでおかなかったかなぁって思うんでさァ」
「……どうして」
尋ねてきた声はあんまりにも小さかった。僕はその言葉を重い言葉にさせたくなくて、精一杯に笑う。
「生まれなかったら誰にも出会わなかった。生まれてすぐに死んだら少しの人としか出会わなかった。十になる前に死んだら武州の奴らにしか出会わなかった。でも俺はもう沢山の人に逢っちまった。好きだって思う奴らも出来ちまった」
18年。たった18年と人は言うかもしれないが、僕にとっては「18年も」、だ。その18年で一体何人と知り合ってしまったのだろう。世界で何人の人が僕を知っているだろう。
そうして僕が死んだとき、彼らがほんの少しでも悲しむことが嫌なのだ。(僕の為なんかに悲しんではいけない)
「そうやって考えてくとね、何だか死ぬのが惜しくなるんでさァ」
「死ななきゃいいじゃねーか」
「ほんとにね」
そうやって考えることができたらどれだけ良いことか。
(できないからこうやって自らの中の矛盾に苦しんでいるのだ!)
今すぐにでも死のうと思えば簡単に死ねる方法が幾つもあるし、けれど、臆病で卑怯者の僕はそれを実践できない。死にたいとは思うし、ふとした瞬間に死ねたらいいと思うのだけれど、自分の死を想像すると、見えない恐怖を感じてしまう。要するに勇気が足りないのだ。
しかしふと思えば一番死線が見える、剣を交える時は、僕は死ぬことを考えてはいない。あの瞬間はただ無心の中で、火花を見つめている。
「あ、」
そうか。と、唐突に理解してしまった。僕は死に恐怖を持っているから剣が強いのだ。そうやって怖がって人を殺す事を重ねたから死ねないのだ。
人の命一つ奪うことは、簡単に言えばその人の生まれてきた意味や、存在まで奪ってしまうこと。その意味があんまりにも重すぎて、幼かった僕は気付かなかったのだ。小さな蟻を踏みつぶすように人の命を消してしまってきた。ああ、滑稽だ。けれど気付いてしまえば、吐いてしまいそうなくらいの重圧がかかって、そう、だからその重さを背負いたくなくて、僕は死にたいのだと思う。辛いことから逃げたいだなんて、ほんと、世界を舐めたガキだ。
けれど結局、死にたくない僕は剣を取り、人を斬る。そうして死にたくなる。ぐるぐる堂々巡りしてしまうのだ。(なんて無意味な)
「あーあ、もう、死ねばいいのに」
どうして、こんな事を思うんだろう。やっぱり変な風に死生観を考えているからいけないんだろうか。畜生、まだ大人にはなりきれない。そして子供にも戻れない。
笑って言って誤魔化して、そうしてまたぐだぐだと生きていくのかと思うと、やっぱり死にたくなった。
「んだけ言っても死なねーのか?」
「そーですねィ、近藤さんに面倒を見てもらった恩がなきゃ、俺はもう死んでまさァ」
「恩義だけか?」
「いいえ?もっと大事なこともあるんですけどねィ」
それは言わないでおきたい。何故って言ってしまうと、心の隙を見せてしまうことになるから。
(本当はね、誰かに心から愛して貰えるのを待っているんだ。姉上の変わりじゃなくて、もっと、大切な。それを期待しているから、僕は生き続ける)
こんな弱い自分が嫌いなのさ。と、自分に笑えば、おかしな顔しやがって、と言われた。
死にたいのだ。
ゆっくりと必然の死を持っているだけなのは、何故か辛すぎた。
この世界は全くもって優しくできちゃ居ないと絶望して、それでもやっぱり生きていたいと思う自分に嫌気がさした。
(理由が有るから死にたがります)
(生きる理由だってちゃんとあるのです)
死の必然が消えない沖+土 殺伐
前世も来世も巻き込んで、あなたを恋い慕いましょう!3Z 高→銀土
目が覚めた。
息苦しさと、何かが胸にのし掛かる感覚に目が覚めた。誰かが馬乗りになって首を絞めているとわかったのだけれど、それが誰だかわからない。せめて頭を掠めた「幽霊」という二文字を消したくて、手を動かそうとした。が、動かない。
まさか本格的な金縛りなんじゃあないかと、嫌な汗が流れる。
『死んでしまえ』と、いつかの低い声が耳の中で蘇った。
『死んでしまえ、裏切り者め』
裏切ってなど居ないんだ。違うんだ。俺は。
「死んでしまえ、お前なんか」
夢と現実をいったりきたりしていたのだが、ふと聞こえた瞬間に俺は目を見開いた。
「たかす、ぎ?」
ぐっと詰まったが声は出た。これは、どういうことかと白く薄れていく脳内で考えた。
あれ、飛ぶかも。
そう思った時、首から手が離れて、慌てて息を吸った。ただ、次の瞬間には口が塞がれていて、また息が出来なくなる。
酸欠で飛びかけた意識がまた戻される。
「し ね」
またギリギリ意識が飛ぶ前にぱっと離れた彼の口から出たその言葉が、自身の咳き込む音と共に呪いのように耳に吸い込まれていった。
◇
俺の気配にも気付かない上に、吸わない煙草の臭いを纏って、口の中までそれに侵されてしまったお前なんて死んでしまえ!と、心から思った。
本当はあれだけ憧れて、あれだけ見つめていた彼が、いまや完全に別の人間になっているなんて認めたくなかっただけだが、(お前は誰だ?)と何度も問うた。
戦場を駆け、鮮血を浴び、ふわりと命を潰して、胸に空いた穴を埋める為だけに生きていたお前はどこへ消えたのだ。
(ああ、裏切り者め!そうやってへらへらわらっていればどうにでもなるなんて甘過ぎて反吐が出る!)
あの日の虚ろな目のお前に恋い焦がれた俺はいかれているのだろう。けれどあれは確かに憧れを凌駕した感情と焦燥だった。
俺が愛した白い鬼はもう居ない。残ったのは腑抜けた人間だ。
「し ね」
俺達が分かり合えない理由は此処にあるのだ。
◇
驚くほど晴れた空の下、銀八と高杉は煙草をふかしていた。教師という立場にありながら生徒の煙草に口を出さない銀八と、たとえ注意されたとしても気に留めることのない高杉は、少し前からこの屋上で顔を合わせるようになった。
「夢の中で俺は何度もアンタを殺してんだ」
それは突然だった。滅多に喋らない高杉がふと口を開いた。
「ちょっ…突然物騒なこと言わないでくれる高杉クン」
「裏切ったのはアンタだから自業自得なんじゃねぇの」
「なにそれ」
慌てたような銀八に皮肉そうな顔をして笑うと、茶色くなったフィルター物足りなさげに噛んだ。
「厄介な夢に毎晩うなされる俺の身にもなれよ」
「……悪夢なら俺だって見てるわ」
ふと何かを思い出したかのように銀八は暗い顔をする。どんなのだ?と高杉が聞くと本当に嫌そうな顔をして口を開いた。
「幽霊が俺に取り付く夢」
「くっだらねー」
「ばっか!あんま覚えてないけどなんか怖いんだって!しかもおんなじ夢ばっか何回も見んだよ。こえーよ、ありえねーよなにあれ幽霊目に見えないって嘘じゃん、デロッデロしたのいっぱい俺についてくんだよ」
「………あ、」
力説を始めた銀八を横目で軽く見ていた高杉だったが、ふと何かに気付いたように声を出した。それにすら肩がびくりと反応している銀八を見て、高杉は笑い飛ばしてやりたい気分になっていた。
「殺した分と、志半ばで死んでった仲間の感情だなそりゃ」
「…うん?」
「あんたは一生、悪夢に耐えなきゃいけねーってこと」
「…マジで?」
「マジ」
聞いた瞬間頭を抱えてじたばたと暴れ出した銀八を見て、高杉が(本当に馬鹿だ)と心中笑ったのは言うまでもない。
「土方にばっか現を抜かしてっからそうなるんだっつの」
高杉は嘆くような素振りをわざとらしく見せつけて溜息を吐いた。同時に含まれていた嘲笑は自身に対するものであったが銀八は言葉の真意になど気づかない。ただ、どうして知っているんだといいたげな顔で高杉を見、問う。
「……なんで…知ってんの」
「あ、何?やっぱりそうなんだ」
どうやら夢の中でも現実でも、銀八とは結ばれない運命であるようだと察した高杉は声を出して笑ってしまった。
「え、カマかけたの」
「あんたとのキスは土方の煙草の臭いがしたからさ」
「え、俺達いつキスした?」
「夢ん中。それとも今してみる?」
べ、と舌を出して誘うと銀八は溜息を吐いた。
「いらんいらん」
そう言って手を振った銀八を見て、高杉はああまた振られたのか、と軽く気分が下降した。
「教育委員会にでも言ってやろうかな」
「ちょ、おま、高杉クンそれはやめて推薦でもなんでもあげるから」
「…いらねーよ、つか言わねーし。ま、せいぜい仲良くするこった」
煙草をギュッと押し潰した彼は精一杯の強がりを見せて笑った。
(けど本当は泣きたくて仕方なかった)
(前世も来世も巻き込んで、あなたを恋い慕いましょう!)
汚れた神は笑う沖+山
そう言われれば、そうかもしれない。(とは思う)けれど違うかもしれない。(とも思う)いつだって“正しさ”を理解しようとすると、必ず時間が邪魔をする。
「だから、時間が必要なんだって」
医者は、頷いた(気がした)
なぜ確定ではないか、理由は単純で、此方が彼方を見ていないから。もうそろそろこの愚行を始めて一年に成るが、僕は医者と一度も目を合わせたことがない。愚行は、月に二度ずつ行われる。白衣を着た(時に着ていない)医師とやらが俺の話を聞く。そして何か色々と処方する。(ああ、くだらない)
「夜は、眠れますか」
愚行には愚問だ。僕は白く汚れのないスカーフを見つめながら、左右に首を振った。医者が目を大きくした気配。
「答えが見つかるまでは眠れない」
「まず、問いが無いのに?」
渇いた呟きへの問い返しに、気分が悪くなった。
だって問いがないわけではないのだ。ただ、その問いの存在が不明瞭なだけで。けれど結局わからないのだ。問いも、問いの答えも、僕という存在も。そして頭の足りない僕は、時間さえあればそれを解決出来るのだと信じている。
「考える時間さえあればなぁ、」
「寝ない間考えているんですか」
「……お前、カウンセラーには向いてないよ」
カウンセリングの基本は傾聴と共感。質問をしちゃあいけない。だからね、お前にはカウンセラーの要素はないんだって。と、くすくすり。笑って見せたんだ。そうしたら彼もふっと笑って、医者ですからねぇ、とさらさらカルテを書いた。
「眠れる薬出しますよ」
「考える時間もくれないのかィ」
「考えなくていいんです」
「えぇ?」
なんでやねん、と関西弁で言いたくなった。突然、なんでやねん。
「いつか見つかりますよ、問いも、答えも」
ああ、まただ。この医者はこれでもう駄目だ。やっぱり僕の問いには彼しか答えられない。もう何回目になるのか分からないが、僕は彼らの理解に苦しむ(きっと彼らも同様に)
「山崎ィ」
部屋の隅で黙って気配を消していた男の名前を告げる。彼も僕同様にこの茶番の参加者だ。そのあと二、三言葉を残して去った医者は、もう此処に来ることはないだろう。
「山崎ィ」
医者を見送って戻ってきた彼の名をもう一度呼んだ。それを呼ぶと言うことは俺にとって彼という「正しい答え製造マシン」から答えを生み出してもらうということだ。山崎という人間はもしかしたら神なのかもしれない。アガペーを持ち合わせた、新しい神。汚いことさえ平気でする彼は、僕の知りたいことの答えを何でも知っている。
やっぱり神だ。
「正しさって何」
「この世界のですか?それともこの組の?それともあなたの?」
「全部」
「ああそりゃ知ろうって方が無理ですよ、三回くらい死んで、毎日毎日それについて考えてたら答えはでるかもしれませんが」
僕の神は意外と冷たい。でもそんな神が好きだった僕はいつだってそれを信じて、言いなりになる。
「答えなんて結局わかりませんし、寝た方がいいですよ、副長が心配します」
「お前は心配してくれないのかィ」
「心配しますよぅ!」
ああ、神様を心配させて困らせてこんな顔までさせて。もしかしたら僕は神様より格上の存在なのかもしれないと思ってみたり。
「じゃあ一回目、死んでくるわ」
「二回目ですよ?」
その口振りは(何を寝ぼけたことを)と言うようだった。僕は一度わざとらしく瞬きをさせてから問うた。
「俺は一回死んだかねィ」
「違う世界でね」
ああやっぱり神だ。総てを悟るという僕よりも、何かを悟っている。僕は彼に一生かなうまい。
「今日は寝てみようかな」
「ぜひそうしてください」
にこっと笑った、その神の腰に下がる刀。もし、眠れなかったらそれで寝かしてくれるのだろうか。すっと底冷えするような笑みの神を見て、“裏表のない笑顔”というのはこんなのか、と思った。
巡らぬ季節へ置き去られてしまいたいとむせび泣く咎人よ鬱・死 桂視点
私は元に戻りたい
叶わないから壊し続ける
私は元に戻りたい
叶わないから護り続ける
そして私は願い続ける
私たちの幸せな世界を
そして私は願い続ける
せめて夢の中では笑顔の私たちであれと
***
もしもの話は嫌いだが、たまに感傷的になると思う事がある。
もしもあの日、もしもあの時、もしも俺が。
そんな俺の下らない妄想を聞いてくれる人間はもう居なくなってしまったなぁ、なんて思って見上げた空は狭く、薄く、ぼんやりとした光しか見えない。この俺の顔に付いた瞳の視力は良かった筈だがそれでも見えないのは雲が、いや、スモッグが空を覆っているからで、本当の夜の蒼さを知らない人間がこの街に何人居ることか。
夜の空は黒ではなく蒼なのだ。
人間の進化を天人がもたらしてもう何十年も経ってしまった。馴染んでしまった異文化はだんだんと空を小さく見せていった。きっとこのままでは人類は滅亡する。発展という毒は我々には合っていないのだ。
感傷的なのは俺の性格だが、空を思って泣くような事だけはしたくなかった。(が、視界が潤む)
「なあ銀時」
声を出す。もちろん彼は聞いていないが、それでよかった。なぜって、少し声に出したかっただけだから。
「……高杉や坂本はどうしているかな」
そうやって懐かしむだけだから。
空に遠く揺れる雲に、飛行船の光。あのどれかが坂本の船なのかもしれないなぁ、だとか思ってまた、下らないとは分かっているよと心中で呟く。
「また皆で飲み空かすなんてどうだろう」
俺等と高杉は大喧嘩して絶交の真っ最中だ。簡単に友人に戻れるなんて思ってはいない。俺と彼奴は、言わば喧嘩友達だ。絶交だと何度叫んだことか。それでもきっと坂本が仲裁しにかかれば俺らはまたいつもの喧嘩友達に戻るんだろう。喧嘩を止めるのは坂本の役目のようだったし、きっと今回も、また。
「そう、また、皆で…」
空には星ではなく飛行船の明かり。高いビルの窓ガラスに反射したネオン。下を向いたら涙が溢れそうで、ぐっと堪えた。
皆、もう此処にはいない。知っていて俺はいつまでも引きずっている。
どうして俺は生きているのかな、お前達はもういないのに。
「俺だけに世界を託すなんて非道にも程がある」
いいのか高杉、俺は好きに世界を変えるぞ。なあ坂本、なぜあんなに広く自由な空を飛ばなくなった?ああ、銀時、お前だけは最後まで死なない奴だと思っていたのになぁ。
零れ落ちて気付くといつか男が言っていた。
俺は零れ落ちる前から気付いていた。
きっといつか全てが無くなると。
だが然しこれはいくら何でも
「………酷くないか?」
最後に残されるのは誰になるんだろう、と他人事のように思っていた俺が馬鹿だった。
俺は最後まで残らない人間だと思っていた。
これ以上大切な者の死をみることなど無いと思っていた。
「莫迦が」
(そんな都合の良い話があるものか)
現実を受け入れられず、彼らの見送りも出来ない俺は今日も縁側で。
*
何時か逢えるなら
貴方が消えない世界で
何時か逢えるなら
平和な世界でありますよう
最期まで願い続ける
次に逢う時も私として逢いたいと
最期まで願い続けた
また共に生きたいと
ああ、仲間は皆死んでしまったのだ。
(燃えるような緋の中で)
さようならも言わずに殺伐 土+桂
死というものに人は慣れないと言うが、私はどうだろうか。慣れてはいないが、取り乱すこともない。死とは私と離れた場所で起こっている、近くて、遠い話だ。
*
死化粧は奇麗だった。と、誰に言う訳でもなく、なんとなく声に出してみた。もしかしたら私はそこに居た人物に、聞いて欲しかったのかもしれない。黒に縁取りを入れた西洋被れの服を着込んでも日本魂だけは捨てない、そこに突っ立っていた変な男は此方に振り向いた。
「俺もあんたも一人になったな」
皮肉だと彼は言い、薄く微笑んですぐに背を向いた。はたりと涙の落ちる音はしなかったが、彼は泣いていたのだろう。その背中には見覚えがあった。あの強がりばかり言う、おかしな銀髪の男の背中だった。
なんとなく手持ち無沙汰で横に下げていた手の指をちらちら動かした。彼を見れば私と同様で、手持ち無沙汰のようにタールとニコチンと香料とが詰まった紙巻きに火をつけて一回だけ吸うとすぐに捨てていた。このまま私に殺されておけば君は楽に死ねるのだろうが、彼は御免だと言うだろう。
私も彼も今は飢えた魚のように、鈍った思考と冴えきった思考がマァブルになっているのだが。それでも彼は嫌と言うだろう。そして私も。
「残ったもの同士、仲良くできねーもんかな」
彼はぽつりと言ったが、私は大きく首を横に振った。
「無理だ」
お前の立ち位置と私の立ち位置は全く違うのだから。いや、立場だけではなく思想も生まれも、果ては死に方まで。
「それには世界を…いや、」
言いかけてやめる卑怯な私は、ゆっくりと、しかし真っ直ぐ前を向いた。私は彼を困らせようと、隻眼の友人の意志を継ごうかとも思ったのだが、私自身の為に止めた。それが言いかけてやめた事だが、きっと彼は一生知らないままだ。(明日になれば彼は忘れているのだろうが)
「死は平等に」
「足元に忍び寄る」
私達は呪いのように繰り返した。
黙々と立ち上る煙が、夕陽へと傾いた。私はそれを見て、戦場での知り合いに別れを告げた。
「では、また」
ああと彼は言い、煙草を踏み潰した。
次に逢うのは死の淵かもしれないという事は私達が一番知っていた。
(私と、あなたは、敵で、友で、思想を違えた、同じ生命体である)
泥濘の中で俺達はお好きな二人で
あれは霧雨の降る、肌寒い日だった。ぬかるんだ泥道に足を取られながら、駆け抜けていく。あそこに見えるのは、誰だ。
ああ、鬼が居る。
駆けるのを止めることもせず近付く俺の方を横目で見た鬼の隣、鴉が笑って鳴いて羽ばたいた。雨に濡れた羽は重いのか、低空飛行を繰り返す。
帰ろうと言う声は俺の声ではなかった。もしかしたら彼のものでもなかった。鴉だったのかも知れない。座り込んでいた鬼は立ち上がり、嗚呼疲れた。と少し笑った。はたと見た鬼の手には沢山の想いが連なり連なり、滴り落ちていた。
放さないのかと聞いたら、放さないと言った。墓はどうするのかと聞いたら、鬼は俺にそんな事をする資格はないと言った。濡れた着物を纏う、俺達に傘はない。
誰も傘を差し伸べはしない。誰が差し伸べてくれるのだろうか。俺達は、嗚呼、こんなにも血に濡れて。
俺は仕方無い仕方無いと言いながらも、滴り落ちて行く血肉をぼんやり見ていた。鬼の手から滴り落ちるそれは美しい。
「帰ろう」
今度こそ俺は言った。
雨は酷くなり続けている。
血溜まりで産声殺伐 銀+沖+土
血溜まりに立つ黒い影が、動いた。
じっとりと血の染み込んだ地面には数分前まで"人間"だった塊が幾つも幾つも無造作に転がっていた。腕やら、首やら、ばらけている。その無造作さが人形のようで、しかしその可能性は血臭によって消される。俺は唐突に理解した。ここは"人間"の立ち入れる場所ではない、と。
しばらく呆けていたのだが突然、斬、と風を切る音がして影が動いた。それは人だった。しかしこの目がその影を人間だと理解した時にはもう、彼らは単なる肉塊へと形を変えていた。スローモーションで倒れていく塊はやはり人形のようで、俺にはそれが何故か滑稽に見えた。
そしてまた、気付く。
俺がこの妖怪道で死なぬのは夜叉であるからだと。
同時に、気付く。
最初に見た、地溜まりに立つ影は人の形をした鬼だと。
じわり、じわり、じわり
闇が身体に巻き付いていく。鬼の足下から流れる赤い液は影の様にのびていく。長い長い沈黙が続いていた。その間にゆるゆると雲間から現れた月光に、鬼の顔が照らされて、俺は、それを、見た。
"彼"は血が滴る刃物を一振りして赤い飛沫を飛ばすと、たった今こちらに気付いたかの様に振り返った。その振り返りすらスローモーションに見えたのは、ここが異質な空間だったからだろう。確か明茶色だった筈の彼の瞳が、赤く見えた。
瞬間、髪が焼けたあの独特の臭いが鼻についた。燃えた脂と、腐敗臭。戦の臭いが、確かにした。赤い炎と、赤い血を映した―――
(―――俺が、居る)
シュパン
ぐらりと視界の奥が揺れたかと思うと、彼の刀が大きく宙を切った。1人、一斬で死なずであった塊が居たようだ。彼は此方を見つめたまま、違わず塊の首を跳ねた。全くの芸当に、この少年の方が人間か疑いたくなった。嫌な重みのある音がして、塊は倒れた。首も、飛んでどこかへ転がったようだ。
(彼の唇が何かを呟いたようにみえた)
またしばらくそのままだった。犬の遠吠えが遠くから聞こえていた。彼はゆらりと、そう言うのが正しいほど酩酊した様に 一歩、こちらへ。
抜き身の刃がきらりと光った。
一歩、こちらへ。
彼が近づく度に、常人であればむせ返るであろう鉄と生温い死の臭いがした。彼が歩く度に、血溜まりを踏んだ彼の靴がじゅくりと音を立てた。彼は闇と同化する程黒かった。しかし彼が作る道筋―――言わば蝸牛の粘液道――は赤い。ぱたぱた、服から血を滴らせているのだがそれは彼のものではない。
服の左半分は血に濡れて(恐らく先の塊のものだろう)、もう右半分は渇いていた。見た目でも判るほどかちりと固まっている。血で。彼が持つ刃にもう艶は無い。血、脂肪、細胞、憎悪、恨み。その他諸々がこびりついている。
一歩、こちらへ。
「ああ、旦那」
すれ違う寸前、感情も抑揚も、もしかしたら声すら発していなかったのかもしれないが、彼は言った。それだけ言って、彼は横を通り過ぎた。ぐちゅ、と濡れた足音だけが耳に残る。
(屯所へ帰るのだろうか、その血塗れた格好で)
魔が差したのだ。
何故なら次の瞬間、待ちなと声を掛けようとしてしまったのだから。それは何とも間抜けた行為だったろう。修羅に同情したのも同じだ。(否、同情だったのかそれすら曖昧だ)
しかし、瞬間、再び厭な血臭がして黒い影が現れた。
彼は身構えなかった。そいつは彼と同じ服を着た男で、彼よりも大分意識がはっきりしているようだった。
「今、見たことは忘れろ」
そうしてはっきりとした声で言った。
刀は鞘に収められていたし、服もさほど濡れてはいなかった。しかし確かに赤い飛沫は男の顔にべっとりとついていた。
「…ああ」
俺は答えた。
男の背後に小さく見えた彼はふらふらと歩いていて、それはどこか現実味に欠けた映画の中の人物のように見えた。そうして、男は踵を返し、少年の方へと駆けていった。
血の臭いだけがしている。
少年はあの時なんと言ったのだろうか。
ただ先程の男が、放心したような彼に「俺達に神様なんていないんだよ」と言い聞かせているのが聞こえただけだ。
『アーメン』
あの時、彼の唇はそう囁いた。
気がした。
血溜まりで産声
(ハロー、僕の狂気)
氷の肌にキスをした好きな二人の悲しいはなし
「好きだ」
目を瞑る君に今言うなんて、自分はなんて非情なのだろう。
「好きだ」
何度も髪を撫で、君に愛を伝え、口付けて、涙を流しても、君は目を開けない。(君はもう目覚めないと気付いているが信じたくはない)
「好き、だった」
そんなことを言っても割り切ってしまえるわけがない。俺と君との世界の場所がどんどんずれていく。
「幸せにできなくて、…っ」
もう出ないと思っていたのに涙は流れた。この涙はどこから来るんだ。(もしかして君が俺を泣かせたのか?)
「 」
(もうこの声も君届かないなんて、信じたくはないのに)
(あまりに温度差のある君とぼく。ねえ、君の目が開くことはもうないの?)
氷の肌にキスをした
やさしさ×∞土山
「山崎いるか?」
「はい、何ですか副長」
「仕事だ」
「へい、」
山崎が目線を少し傾げると、男が障子に手を掛け立っていた。
同じ黒色の目と髪の黄色人種だが、そこにある放つオーラの差がパシリと副長の差なのだろう。
…不満はないけど、
そんなことを思っている間に土方はきびすを返し廊下へ消えてしまった。
(仕事内容をここでいわれないという事はついて来いということか)
山崎は急いで腰を上げた。
そして、つい静かに立ってしまったことを後悔した。
彼は音を立てることをしない。
密偵という仕事柄か、もしくはそれより昔からの癖であるのか、どちらにせよ土方はその癖が好きでなかった。
「隊ん中くらいは安心したらどーだ?」
山崎にとってそれは微妙に誤解であったが、言及はしない。(余計面倒なことになるだろうから)まあそれにしても目ざとく気付かれてしまったな、と思いつつ山崎はへらりと笑った。
「もう癖なんですよ」
自分より少し高い背中を追いながら笑う。だから笑みは土方に見えていない。(副長はいつだって俺を気遣ってくれる)
隊内が安心できないわけではなくて、本当に癖であったから彼は笑うしかないのである。
何度か説明したのだが、土方はまだ信じてくれない。
軋む廊下を歩いていく。
角をまがった時に山崎はつい聞いてしまった。
「副長、左足どうしたんです?」
山崎も土方と同じように目ざとい人間だった。
普通の人間なら気づかないほんの少しの変化を山崎は読みとれる。というより読みとってしまう。土方は隠していた風だったのだが、左足をかばうように歩いたたった数歩で山崎は気づいた。
「……おめぇにはかなわねェな」
舌打ちをひとつ、そして煙草。
(今くわえたそれがその箱の最後の一本だということも山崎は知っている)
山崎はまた笑う。
土方が前を向いていて、
人間の目が背になくてよかった。
と、彼は思った。
それからまた数歩歩くと土方が突然止まり、振り返った。
「どうしたんです?」
土方の視線は斜め下へ。
「…お前の足音が聞こえねーからついてきてねぇかと思った」
そりゃ副長の足音がでかいから俺のが聞こえないんじゃないですか?と真顔で問う山崎の頭を一発叩いて、土方はまた歩き始めた。
「ヒドイっすよ副長――!」
「テメーが悪い!」
「ああもう、」
全く横暴なんだから副長は…そういや廊下で歩き煙草するのは良いんですけど、灰とか気を付けてくださいよ。いつ火事になるか分からないですからね。ああ、そうそう、煙草の買い置き有るんで欲しかったら言って下さいね。いま一箱だけですけど持ってるんで渡しときます。って聞いてますか副長、
今度は土方が笑む番だった。
足音のかわりに絶え間なく声を発する若者がひどく気遣い屋であることは知っていたがここまでとは、と、土方はまた歩みを止めた。
なんですかさっきから、と文句を垂れる山崎の頭に手が伸びた。
叩かれると思い瞬間的に目を瞑った彼の頭にぽんっと大きな手が置かれた。
へ?と素っ頓狂な声を上げて上目で土方を見ると笑っていた。
次の瞬間わしゃわしゃと髪が乱される
山崎は驚きに満ちた目を見開いた。
「…な、」
彼がなにを、という前に土方は手を離し、また歩き始めた。
山崎は煙草の箱を握ったまま立ち尽くした。
(見上げた彼の顔が、ひどく優しいものだったから俺は何も言えなくなってしまったんだ)
マイナス2沖+妙
「そういえば、アナタ、私と同い年なんですって?」
見えないわぁ。と、女は言った。
「いやいや、姐さんこそ、18の女には見えやせん」
まさか同い年とはねェ、と、男は言った。
「どういう意味かしら。それとその姐さんってのやめてくれない?私、あのゴリラの妻になる気なんて微塵もないの」
赤い着物に金の帯を締めて、まぁ華やかな歌舞伎町の「女」はイライラしたように言う。
「でもまぁ姐さん、18で夜の歌舞伎町を知り尽くしたプロフェッショナルなんて、なかなか滅多にいやせんぜ?」
くりくりっとした目と栗色の髪を持った「男」は、なんともまぁ物騒な黒鞘を腰に差していた。
「18は大人ですから」
「そうですかィ、俺はそー思わねーけど」
だってよう、あんたの旦那からはずっと子供扱いされてんだ。
そう言った直後に飛んできた急所ピンポイントな蹴りをよけて、男は笑った。それでも女は手に提げたコンビニの袋を勢い良く回して沖田に攻撃する。彼はどすんと尻餅をついたまま停止する。やめなせェ、姐御。と、沖田が言い切るのが早いか否か、横面に一発拳が入った。(普通は平手だろう)と思ったが流石にもう一発喰らうのも嫌だったので、彼は喉まで出かかったその言葉を飲みこんだ。
びゅぅ
二人の間を風が抜けて落ち葉を巻き上げた。つむじ風がくるくると螺旋の渦を巻いていた。
「まぁね、ほんとに。18ともなりゃぁ、立派な大人でさァ。結婚してガキの二、三人こさえてもいい年ですぜィ、だからさっさと近藤サンと結婚しちまってくだせェ」
一息で言い切って真っ直ぐに女の目を見つめた男は、まだ少年という顔立ちで、そんな少年に女は少女の顔をして微笑んだ。
「遠慮しておくわ」
邪味線沖田視点 高土
秋も更け、寒さが身にしみる神無月中旬。
真選組屯所からは連夜三味の音が響いていた。
「今日もやってますね」
「そうだなぁ」
別に誰に問うたわけではなかったのだが、近藤さんは答えてくれた。
「土方さんのわけ、ねーよなァ」
あの人にこんな器用な真似ができるとも思わないが儀礼的ともいえる問いをしてみる。やっぱりこれも、誰かに問うたわけではない。
「高杉だろう」
それでもやっぱり近藤さんは答えてくれた。どうやら俺は誰かに答えて欲しかったのかもしれない。(何故ってそりゃ、答えてもらってちょっと嬉しかったからだ)
「毎晩五月蝿いことじゃねェですか」
「風流じゃねーか?」。
「俺にゃわかんねーもんでさァ」
はは、と乾いた笑いを一つ。そうして三味の音に妬みを覚えてぐっと拳を握った。
誰か(・・・例えばあのクソマヨラ)を殴りたくてしょうがなかった。
「獄囚が花車遊びたぁ贅沢なこった」
しかもその三味を与えたのは鬼副長たぁどうゆう了見だ、くそったれ。
「そうさなぁ」
近藤さんもその酔狂な副長サマに珍しく困っているようで、ため息まじりの返事が帰ってきた。
風が強く吹いて、三味の音を遠くへ飛ばす。もしかしたらその音は世界の裏にまで届いているのかもしれない。俺は風がずーーっと世界をぐるぐるぐるぐる回ってるって思うから。そうそう、それで、神様とやらにも届けばいいんだ。そしたらあのバカと哀れな獄囚が少しは救われるかも。あ、でも今日は神無月だ。むなしいなぁ。
思ったらまた風が吹いて、むなしさを吹き飛ばしてくれた。(気がした)
なぜってその時の俺は冷静だったし、妬みもおさまってたから。
明日の夜は三味は聞こえないだろう。
そう思うと酷く心が痛んだ。副長は壊れやしないだろうか。なぁんて思ったりもしてみた。
せめて今日くらいはこの音を真面目に聞いてやろうかなぁ。
blue earth銀+沖
君は地球の青さを確かめたことがあるか?(いや、きっと君はないだろう)
「旦那は切腹したことありますかィ?」
「…あったら死んでるよ、沖田くん?」
「死ぬってどんなんかなぁ」
手のひらを太陽に透かしても血潮なんて見えないと知ったのはもう昔の話。肌はいつだって肌色で、黄色人種の僕らの色。
「舌を噛みきるってあるじゃねーですか。あれは相当痛いでさァ、無理。絶対できない」
「試したの?」
「ちょっと」
ミミズはいいけどオケラとは友達になりたくないな。なんとなく。友達になるなら、なるたけ人間くさい奴がいい。
そしたらミミズもオケラも人間くさくないじゃないか!
ところで、人間くさいってどんな感じ?
「首吊りはなかなか効果がありそうだったんですけどねェ、準備が面倒」
「それも試したとか?」
「ちょっとだけ」
なんで試してんの?と聞かれたけど、そんなの答えるわけがない。
「人を斬ると、考えないですかィ」
「…何を」
「なんか、死ぬ方法」
「思わねーよ。ていうか沖田くんってSなのになんでそんなに自傷行為が好きなのさ?」
「Sだからこそでさ」
僕らはみんな生きている。けど、みんな死ぬ。生まれ変わりっていうのを信じていない俺は、上手に生きれば七十数年生きれるらしい。もっと上手く行けば百まで。でも、まあ、そんなに長生きはしたくない。
「武士道って難しい。切腹って激しく痛そう。いっそラクに死にてぇ」
「ラクに死ねばいいじゃん」
「成せば成る。成さねば成らぬ。何事も」
話の流れがわからない、と旦那は困った顔をした。けど、無視無視。
「人にはいつか成さねばならぬ事が来るのだよ、坂田軍曹」
俺はそれだけ言い置いて、逃げるように茶屋を出た。今まで払ってやってたんだから今日くらいは旦那に払ってもらおう。あ、今までの貸しの分までなんか食っときゃよかったかな。
空が青かった。地球も青いらしい。まだこの目で確かめてないから、真実は知らない。
死ぬ前に確かめておきたかったことはいっぱいある。ありすぎて、それこそやる気が失せるくらいに。
あ、旦那の実力確かめるのも忘れてた。と、気付いたのは腹に刃を突き立てた時だった。
俺が本当の武士であるかどうかすら、知らない。
(だけどそうしなければいけない、掟)
花に埋もれ土方視点
目の前に馬鹿が居る。
花に埋もれている。
花粉症のヤツだったらかなり酷いくしゃみが出そうな位の花に。
俺以外にも馬鹿だと思った奴がいたらしい。小さな声で馬鹿野郎、と漏らしたのは近藤さんととっつぁんだった。
俺の一番の部下で馴染みの青年は、泣きもせず写真立てを睨んでいる。
あんなお堅い顔の写真使うのもどうだかな。最期位は笑顔が良かったんじゃねぇか?と誰かが言った。生憎そんな写真はとったことねぇよ、と漏らしたが誰も聞いちゃ居なかった。
俺は今、自分の棺桶に座って自分を見ている。あと数刻したら、自分の躰が燃やされるんだと思ったら未練の二文字が頭をよぎった。
つまんねぇから葬式なんぞすんなって言ってたんだが、ま、葬式なんてもんは殆ど生きている側の自己満に近い。死者の尊厳なんてどこにもありゃしねぇ。
ああ、つまんねぇなぁ。
ほら、いつの間にか棺の蓋はがっちりと閉められて、窒息しそうな位の花で覆われた俺はまた空気がなくて窒息しそうだ。(実際はもう死んでいるのだから比喩でしかないけれど)
あんだけ煙草吸っていて、骨が白かったら笑ってやってくれよな。
そうして俺は空へ上る煙を見に行った。
お前、姉貴が死んだとき泣いてたくせに、俺の時は泣いてねぇじゃねえか。
海の底沖田 オリジナルキャラ注意
胎内の音がする。
「なんであんたはいつもここにいるんでさァ」
「君もね」
砂浜に寄せる波は規則的で、生まれる前に居た胎内の音と酷似している。(覚えてなんかないけど)きっと落ち着くはずだと言われて来ているのに、落ち着かないのは、彼女の存在の所為。いつも砂浜に居る、その人は俺と同じくらいの歳に見えた。けれど妙に大人びた口調が、それを同じだと断定してしまうのを躊躇わせた。
「今日は」
「一人用の海」
彼女が指を指した先の砂浜にはぽっかりと穴があいていた。波打ち際のギリギリの所で、海水も入ってまさに一人用の海だった。会う度に必ず何か作っている。彼女がいつからここに居るのかは知らないけれど、いつも何かを暇つぶしのように作っていた。
(変なヤツ)
俺が彼女の側に座るとほぼ同時に、彼女は立ち上がった。パシャ、と軽快な波の音を立てながら白い人は海へ入っていく。どんどん海は深くなる。膝までだった水が腰まできて、胸まで浸かって、そして頭頂までスッポリ、
海の中へ消えた。
夕陽が沈む。沈む。だいだい色の空がグラデーション。
パシャ、とまた音がした。見ると彼女が浅瀬に立っていた。
「君が見ているから、まただめだったよ」
彼女は波の音に負けぬような声を出して笑う。
「俺の所為かぃ」
俺は笑えない。
まるで俺が来なくなったら成功するとでも言うような言い方だったからだ。
「ひどいなぁ、人が死にそうなのに助けないなんて」
「死ぬ気なんてねぇじゃねぇかィ」
「あら、知ってたの」
彼女は美しく笑った。
真っ白になった髪と、真っ白な肌と、真っ白なワンピースで、真っ白な人は笑った。
「そろそろ諦めろィ」
「無理な話だわ」
ざぼんと音を立てて陸に上がると、彼女はずぶ濡れのまま砂浜に横たわった。砂が張り付いて気持ち悪くないのかと、思った。が、言わなかった。
「死ぬ気はないのよ。ただ、偶然死んじゃえればいいかと思ってるの」
「後悔しねぇのかィ?」
「死んじゃえば後悔なんてしたくても出来ないわ」
彼女は笑う。
この世界の浄も不浄も知り尽くしてしまったような笑い方で、ある意味羨ましくも疎ましくある。(何故って、それがあまりにも死の間際の微笑みにしかみえなくて、俺はつい彼女に姉上を重ねてしまうから)
胎内に還るってどんな気持ちなんだろうなぁ、と。何も知らない俺は呟く。彼女の白い腕からはいくつもの傷跡がのぞいている。白っぽく膨らんだ縫合の痕と茶ぐすんだ傷跡は、彼女の苦しみの数だ。(けれど新しい傷は見えなかった)
「なんで死のうとするんでィ?」
「だって、くるしいんだもの」
「苦しい?」
「苦しい、寂しい、辛い、哀しい、全部混ざってるから…死にたい」
「楽しみはねェってか」
「今は、楽しいよ」
だから死なないんじゃない、と言う彼女の目はもう笑っていない。
「君が居なくなっても私はまたこうして陸に還ってくるよ、きっと」
だからもう私なんかに構わなくたっていいんだよ、と彼女は言いたげだった。
「俺がいなきゃまた誰かが俺の二の舞になるじゃねーか」
必死になって彼女を引き止めたあの日のことはしっかり覚えている。だって女がぼっしゃりと水に浸かっていったんだから。(ああ、僕は幽霊でも見ているかと思ったものだよ)
「それも、そうね」
胎内の音がする。
懐かしい音がする。
「ほら、いつものお連れさんが呼んでるんじゃない?」
みれば土方さんが遠くに立っていた。もうそんな時間なんだ。早いなぁ。
「じゃあ、行くとすっかな」
と、立ち上がった。服に付いていた砂が落ちた。
「じゃあね」
彼女は絶対に『またね』と言わない。彼女なりのポリシーなのだろう。
そうして女は目を瞑った。
満ちてきた波が足下まできていたと言うのに。
俺はまたな、と後ろ手を振って、駆け出した。
愛してる、のほうがよかったのだろうか殺伐 高土
「オィ、これが本気だとか言うんじゃねぇよな」
にやりと笑った顔が目の前にあったが、何故か遠くから声が聞こえた。
土方は己の首に強く押し当てられている彼の指が白く変色しているのを見た。
殺されかけているのに、なぜかそれを愛おしく思った。
声帯が押さえつけられて声は出ず、自らの手から徐々に徐々に力が抜けていくのを感じていたが、ここで死ぬ気はさらさらなかった。
ぐっと力を込めて、自らの首を絞める男の髪を撫でた。
その男の片目にははっきりと傷跡が浮かんでいた。
痛々しいそれが自分を映していないと思うと土方は無性に哀しくなった。
「――――」
口だけを動かしてぽつりと言う。
( し ん す け )
窒息寸前に、変色した指が離れた。
頭に血が回り始めて、くらりくらりくらりとする。
「本気出せよ」
土方は首を横に振った。どくどくと流れる血流が痛いと思った。
「出せよ」
横に振る。
「此処で死にたいのか」
横に振る。
土方は掠れた声を、押し出すように、ようやく、言った。
「好きだ」
もう一度首に指が重なる。今度こそ死ぬのかもしれない。
遠くで蛙が鳴いていた、その声を聞いて土方は静かに目を閉じた。