その重い屋上の扉を開けて、一番最初に目に入ったのは、脱ぎ捨てられた学ランの上着だった。
次に見たのは、フェンスの向こう側に居る人間。
最後に気付いたのは、それが桂だと言うことだった。
「何やってんだ」
聞こえるように少し大きな声で話しかけてみる。沈む夕陽に染まった彼は普段脱がない学ランの上着を着ていない。あそこに転がっていた上着は彼の物だろう。夏でもくそ真面目に制服を着込む男の白いカッターシャツは涼しげに燃えて眩しかった。
「見てわかれ」
その右手にチカチカとひかる狂気を握りしめた桂は、ゆっくりと振り返ってそう答えた。
「わかんねぇから聞いてんだろ」
ぽたり
と、腕から滴る液体は夕陽のような赤ではなかった。
「……な、んで。んなこと」
目の前の光景はあまりにも非現実的で、いや、逆に生々しい現実だった。
「気分転換だ」
ふん、と開き直るように言われてしまうと、自分が悪いような気がしてくる。舌打ちを一つして彼に近付くと、彼はその手に滴る赤をハンカチで乱暴に拭い、止血をしていた。
「……そっちいっていいか」
「好きにしろ」
なんとなく放って置けない気がした。放って置いてはいけないのだと社会的に、道徳的に、刷り込まれてきただけなのかもしれないが、妙な責任感を感じた俺はその高いフェンスに手をかけた。
ガシャン。
耳障りな程の大きな音が響く。
手をかけて、足をかけて。金網が煩く鳴る。その煩さに、よく誰にも気付かれず上がったものだと感心してしまう。フェンスの一番上まで来ると、その安定感の悪さと高さにひやりとした。馬鹿は高い所が好きと言うが、こんなところに登る意義を問いたい。一度息を吐いて、向きを変えてフェンスの向こう側へ。少し降りてから、、彼の居る方へととんだあ。危険に思えた“向こう側”は意外と広い幅があったからそれ程怖いとは思わなかった。
そこは未知の世界だった。
囲いのない世界は解放感がある。西日が酷くまぶしい。
目を細め、その太陽をにらみつけてから、桂の隣に座った。立っている理由など、どこにもなかった。それから何気なしに内ポケットからタバコを取り出して、どうやって話しかければいいのかと考える。
「……なぁ、そういうのいつもやってんのか?」
数秒の沈黙の後、俺は再び聞いた。
「やめねぇの?」
「貴様のタバコと同じようなものだ」
「気分転換にしちゃやり方があんだろ」
俺が言うと、桂は少し不機嫌そうに
「タバコとこれと、何が違うんだ?結局身体に害なことをしてるだけだろ?合法なだけこっちのがマシだろ?」
と早口で言った。
「……そういうことじゃねぇだろ…」
俺は肩を落とすと、タバコに火をつけた。じりっと、ライターの残りが少ない音がした。
「まぁ、周りの害を考えた時の違いはあるが」
桂は続けた。
「害?」
「タバコは周囲の人の身体を、リストカットは心を傷付ける」
「…わかってんのにやるのか」
「バレなきゃいい、そうだろ」
桂は俺のタバコを指して笑った。
「……なぁ、なんでんなことすんのか聞いていいか?」
「つまらなくて長いぞ?」
「つまんねぇかは俺が決めるし、どーせ暇だろ?」
「…まぁな」
桂はニッ、と口の端で笑いながら、ハンカチを広げた。既に血は止まっているようだったが、その布には赤黒い染みがついている。痛くないのだろうか、と、俺はその傷を盗み見た。
白い肌のそこだけが黒く、いくつもの細かい傷もある。縦やら横やら、広い範囲に広がるそれに、どうして誰も気づかなかったのか。いや、気付いても言えなかったのか。
「傷が気になるか?」
「……気にならねぇ方がおかしいだろ」
「今日はたまたま…普段は深く切る勇気もない」
「嫌なことでもあったのか?」
「まあ…そうなるな」
それだけ聞いて、俺は桂が何か言い出すのを待った。けれど一本目のタバコを吸い終わっても一向に話そうとしない。
「…どんな嫌なことがあったんだ?」
こちらから話しかけたのは、沈黙が苦しかったからであって、普段はそんな詮索はしないと弁明しておきたい。
「……好きな人をとられたり、才能の無さに絶望したり、死にたがりの自分に嫌気がさした」
自分からは話さないのに聞かれたことには律儀に答える桂の口からはすらすらと普通ではない回答が出てくる。
「え、とられたって…、お前誰かと付き合ってたのか?」
後半の鬱々とした言葉より何より、引っかかったのはその恋の話。他人の恋路は気になるものだと言うがご多分にも漏れず自分もそうだった。
「期待している所悪いが片想いだな」
「……なんだ……じゃあなに?他のヤツと付き合い始めたとか?」
なんでこんな話を桂としているんだろう、と疑問が頭を掠めたけれど、口をついて出るのは好奇心からの言葉ばかりだ。
「そういう訳じゃない……先生は人気があるしな。もう付き合って居る人がいるかもしれないし。ただ、俺に接してくれるのと同じように他の奴と話しているのが」
「先生?」
その単語が引っかかって言葉を遮った。
「坂田先生」
桂は恥ずかしがる様子もなくばか正直に名前を教えてくれた。名前まで教えてくれると思っていなかった俺は動揺した。
「坂田ってまさか……銀八……」
そんなばかな、彼の言う坂田が我がクラス担任で指しているのであれば、問い直す事は必要だろう。何故なら坂田は男で…。
予想だにしなかった答えに、俺はまばたきも忘れて桂を見ていた。
「そう、坂田銀八」
「すき、て」
「好きは好きだ」
それは、理解なんてされなくても良いのだという口調だった。人を好きだという気持ち位理解できるし、偏見もないと言って良い。けれどその現実味を帯びない話に呆けてしまった。
「どうしようもないけどな」
桂は呟いて、短く息を吐いた。俺は何も言えないまま、視線を桂から外した。なんとなく見つめているのが悪い気がした。
俺は今まで桂という人間を間違って認識していたな、と頭の片隅で思った。真面目で融通が効かなくて、天然で。普通に笑うし、つまらない冗談も言うし、自分を傷付けるまで悩んでいるようには見えなかった。
けれどそれが本当は誰よりも不器用で、傷付きやすくて。
だから自らの安定を図る方法を間違えたのだろう。
リストカット、同性愛。非現実が現実?特に親しいわけでもないのに成り行きで聞いた話が重かった―――だなんてどこかの飲み屋でありそうな光景だな。と、勝手に思う。
「あ、独占欲ってのが近い」
唐突に、桂が言った。
接続詞もなにもあったもんじゃない言葉に一瞬間をおいてからへぇ、と肝心したように相づちを打ったが、正直なところ何の話なのかわかっちゃいなかった。
「好きだから、手に入れたい。無理なら、全て消してしまいたい」
「………その考えが理解できねぇ」
「人は誰でも破壊衝動だとか狂気を秘めているのさ」
はあ、とだけ答えたけれどやっぱり意味はわからなかった。元々が変わった奴だから会話が噛み合わないのにも慣れていたが流石にここまで支離滅裂ではなかった。
(多分、ごちゃごちゃと面倒なこと考えてしまうタイプなんだろう。さぞかしこの世は生き難いだろうに、)
そんなことを思いつつ、二本目のタバコに火をつける。
ふと強い視線を感じてそちらをむけば、桂がじっとタバコを見つめていた。
「うまいか?」
「……あんまり」
あんな話を聞いた後では何の味もしない。身体に毒物がたまるだけ。
(理解し得ない訳ではない。多分、俺も桂も根本は同じである)
こちらを見ていた桂が、何を思ったか手を差し出してきた。タバコが欲しいのか?と一歩差し出したら、箱ごと寄越せとジェスチャーされた。
だからタバコとライター、全部渡した。まさかそれをそこから投げ捨てられるだなんて、思っていなかったから油断した、としかいえない。
「お、おま、何やって」
慌てて下を見るとグラリとした。今さら気づいたが、俺が今いる場所は大分、高い。そして、下方に落ちていくタバコの箱とライターは、カサッと小さな音を立てて、乾いたコンクリートの上に落ちた。
「なんとなく、ゼロからスタートしたくて」
桂はいいながら、自分の持っていたカッターも捨てた。
「聞いてもらってスッキリしたから、リセット、ってどうだ」
「俺ぁ巻き添えか」
「一応学級委員なんでな、風紀委員さん?」
口元のタバコを指差しながら、桂が言った。それを言われてしまってはどうしようもなく、俺は視線を落下してしまったそれたちに向けた。
(恋では強くなれないのか、人は)
思って、最後のタバコの火を消した。
(ゆっくりと、斜陽)
(脱ぎ捨てたのは学ランだけでなく、心の壁だった、と桂は語った)
可笑しな話だ3Z 土方と桂→銀 自傷表現
この想いの行き先が見当たらない坂←高また 殺伐
幸せの在処はどこなんでしょうね、と女が問うので、最終的に死ぬことが幸せのなのだと説いてやった。
女は、俺の名を呼んでから、貴方が死んだら私も死ぬ、というような事を言った。
それに対して、死ぬなというような気の効いた事が言いたかったのだが、女が可哀想な程に俺に依存していて、死ぬなとは言えなかった。
生も死も、そんなものは個人の自由であるし、もう少し言うなら、後追いされるのは悪い気がしない。
(ああ、でも)
あの男が後追いをするならば、俺はあいつを許さないだろう。
なんて非道だ。特に女に対して。女には悪いが、俺はあの男の方が大切だと思っているらしい。らしい、と、不確定であるのは、何が大切かなどその時その時によってころころと変わるからだ。
命が惜しくない時もあれば、生きたいと思う時もある。
「俺が死ぬなと言ったら死なねぇのか?」
ふと意地が悪いことを聞いてみた。もしかしたらそれはとても残酷な問いだったのかもしれない。
しかし女は数秒考えてから、きちんと答えた。
「晋助様は私にそんなこと言わないっす」
私に、を強調したのは、女が俺について嫌というほど知っているからだろう。
「そうだなァ…」
くっと笑ってから、ゆったり煙管を呑んでいると女は続けて言った。
「だから、私は一緒にいくのが幸せなんすよ」
力強い声だった。
しかしそれは幸せを求めるような声ではなかった。女の声は少し泣きそうで、しかし憂いを持った声であった。
「 」
女の名前を秘めやかに呼びながら手招きをすると、二人分離れた距離を詰めてきた。(女はいつだってその距離を保つ)
嬉しそうに細められる目を見ながら、金色の髪に指を絡めて引き寄せた。
驚きに口が開いたらしい。
あ。と漏れた声を、己の唇で塞いでやった。女はまた、驚きに目を見開いた。
「甘い、なあ」
唇を離して至近距離で笑うと、女は陸揚げされた魚のように口をぱくぱくとさせていた。
悪かった、と謝る気も、それ以上笑ってやる気もしなかったので、俺はそのまま部屋を出た。
(最終的に有るのが死ならば全て同じかと思いきや)
(矢張、あの男が良いなどと)
そしてまた劣等感の中で攘夷時代4人
「悔しくて、仕方がない」
平静を装って言葉を切ったが、黒く渦巻く感情には耐えられなかった。泣きたくて仕方がなかった。
「何?」
何を戯れ言を言っているのだ。と、桂は冷たく答えた。
「……あいつが強いのが」
庭先で誰かと話している白髪の男を顎で指すと、桂は納得した顔で、また言った。
「強さが欲しければ、何かを捨てろ、中途半端にあれもこれもやりたがるからいけないんだ」
「……わかってるから余計に悔しいんだよ」
男の持っているものなど、片手で数えるに足りてしまうだろう。それに比べて自分は色々なものを欲しがって手に入れようとする。確かに弱い。だからと言ってまったく弱いわけではない、だからこそ余計に悔しくて、口惜しい。
「だから銀時の命は美しいんだ」
桂は言った。
お前はあいつの何をわかっているんだと問いたかったが、言われれば確かに男の命は美しく、どのような場所に居ようとも男だけは光っている。
「貴様もな」
「いや、ねぇな、そりゃ」
俺の剣は復讐と言う名の正義に守られた、チンケな感情で動く剣なのだ。そして総てを得たいと欲を出す人間の感情を惜しげもなく表す剣だ。ただ単に浅ましいだけなのだが。
「嗚呼、強くなりてェ」
誰かを護るだとか、正しく生きようとかそんなことはこれっぽっちも思っちゃいないけれど、ただそう思った。そう思うしかなかった。
戦場では強さが全てで、全てが強さだった。
けれども、彼の魂はいつだって濁ってはいなかった。
(阿呆が)
だだをこねる子供のように心中で醜態をつくと、もう一度銀色に輝く男の背をみた。
白い装束に跳ねた血が、染め物のように柄を作り、まるで華のようだった。
「何を捨てりゃあ良いんだろうな」
せめて人であることは捨てずにいたいものだと笑ったら、桂は怪訝な顔をした。
「ほんならいっそ、人を捨てたらどうじゃ?」
「修羅にでもなれってか」
それはそれで素敵だが、既に銀時が修羅であるから、そう諭すように言うと、遠くから「いっそ畜生まで落ちちまえ!」と笑い声がした。
「地獄耳じゃのぉ」
坂本はそうやってけたけたと笑ったが、多分俺と桂は同じような恐怖を感じていた。
(修羅は、誰そ、や)
切り取ったセピア銀八→坂本弟(ホスト)→坂本兄(教師)×高杉(保健医)
作中表記「彼」=坂本弟で
月曜、朝八時十分前。小会議のために狭い職員室に教員が集まり始める。
「おやまあ珍しい」
珍しいと呟いたのは煙管を緩やかに吸う理事長だった。
「うっせえなー、俺だってたまには遅刻しねえんだよ…あと校内禁煙じゃねえのかよ」
そういって俺は咥えただけの煙草を上下に遊ばせながら理事長に文句を言う。
しかし彼女はふん、と、俺の指摘を軽く鼻であしららい、まるで何も聞いていなかったかのように窓際を顎で指した。
「今日はあいつも早くてねぇ」
と、見えるのは窓際でぼんやりとしている男。
「ああ?なんだ、馬鹿も来てんのか」
俺の目は良い方ではないが、彼がすぐにわかったのは、長年の付き合いという奴からだろう。
眩しいのならもっと部屋の中に入っていればいいのに、男はわざわざサングラスをかけて窓の外を見ている。そこから見えるものなど、向こうの校舎のしかないのに。
「おう、馬鹿本」
そんな彼の姿をみていたら、ふと話しかけてしまっていた。多分普段だって意識せずに話しかけているのだけれど、その時の俺も矢張り無意識で、しかし確実に違った風に話しかけていた。
俺の声に、彼は一瞬驚いたように肩をあげたのがわかった。しかしすぐに、何事もなかったかのように、こちらに顔を向けた。
「なんじゃ、銀時か」
それから笑顔で、首を傾げる。その仕草はいつもと同じ。その顔も、普段見ているものだ。
しかし違っている。その違和感の理由を、俺は最初から知っていた。
「……おい、あの馬鹿の方はどうした?」
「ありゃ、もうばれた?」
俺がそう問うと、彼はおや、と目を細めた。けれどそうするだけで、普段のようなオーバーリアクションを見せず、また首を傾げた。
「テメーは香水くせぇんだよ、あとあの馬鹿は俺の事を金時っつってるかんな」
気をつけないと他の教師にばれるぞ、と忠告気味に言うと、彼は少し疲れたような表情で微笑した。その笑い方といい、甘い香水の香りといい、男の俺から言うのも何だが、彼は普段みているより“坂本”よりも色気がある。
「そうやった。まあ、香水は仕事帰りなんじゃ、仕方ないろ?」
「……お疲れの仕事帰りに呼び出されて、ホイホイ代役ってか」
少しだけ嫌味に聞こえるように言うと、彼はやはり目を細めて「うん」と笑った。
「にーちゃんのたのみやき」
「……そ、」
俺はその言葉ににじみ出た嬉しさに気付いて、少しだけ彼の心の中を見た気がしてしまった。
だからだろうか、先ほどから気にするように窓の外を見る彼の気を引こうと、彼が何度もかけ直す仕草をみせる、サングラスに手をかけた。
「これって便利だよな、ばれにくいし」
「それでもおんしにはバレたのー」
「もう何年の付き合いだと思ってんの」
奪ったサングラスをふと自分の目に当ててみた。メガネの上からではしっかりかけることはできないが、暗くなった視界の中に見えたのは確かに弟である彼だった。
「あ、そういやあの馬鹿は?」
普段より大人しめにニコニコと笑う彼を見ていてすっかり忘れていたが、俺の同僚である“坂本”はいったいどこへ行ったのか。休みなのかと思って彼に尋ねてみる。
「にーちゃん?えーと……保健室?」
「高杉んとこ?高杉にお前の事言ってあんのか?」
「しらない。でも言ってあるとは思うよ。じゃなきゃ同じ時間に坂本センセイが二人……ってなっちゃう、でしょ?」
「まあ……そうね」
彼はふてくされたように語る。高杉が絡んでいるせいだろう。
多分。今、他人が見たら、少しばかり彼に違和感を抱いたはずだ。何故って、そこに居るのは訛りのない喋り方をする“坂本先生”だからだ。(俺から見たら彼等は違う顔だから、さっぱり違和感などないのだが)
彼の言葉づかいは無意識である。
不機嫌な時の彼は基本的に方言が出ない。それに気付いていないほどに、怒っているのか、それとも。
「出来るにーちゃん持つと、不出来な弟は大変なんだよ」
にこり、と不機嫌そうに笑った顔はそっくりなのに。
「それって逆だろ?」
「あっとるき」
(あ、戻った)
そう思ったのだが、彼の視線は窓の外から離れない。正しく言えば、窓の外の棟、ここから見える保健室。
多分、入れ替わりという頼みごとをされる事は嬉しいのだろう。けれどそれが敵陣であるからいけないのだ。
俺はその微妙に機嫌の悪い顔を見ているのが嫌で、彼にサングラスを返すと笑って見せた。
「なあ坂本、次の休みにでも飲みに行くか?」
「わしの休みでよければのー」
にこりと見せた営業スマイル。
きっと休みなんて来ないと知りながらも、俺は一つ頷いた。
煙のやうに蒸散土方と高杉 土方誕生日
髪を掻き上げる仕草は色っぽいと思う。お前がじゃない、俺がだ。そしてクク、と喉の奥で笑えば隣にいる男は俺の方が色っぽいじゃねぇか、とやはり同じように笑った。
「抜かせ、幕府の狗が。」
「じゃあ今すぐに捕まえてやろうか高杉」
その俺の名を呼ぶ声が面白いほど高圧的で、俺はまた笑った。
「お前にゃ出来ねえよ」
せめて白夜叉より強くなってきてから俺に喧嘩を売るべきだ。そう言ってやったら男は苦虫を噛み潰したような顔をした。白夜叉が銀時だと知らないコイツは、俺が白夜叉の話をする度に苦い顔をする。
「妬いてんのか」
「まさか」
有り得ない、と首を横に振り紙巻き煙草に火を付ける男から風流なんてものは感じられない。こんなにも目出度い夜なのに。五月雨が降る気配のない薄雲に煙は溶けていく。
「煙草は好かねえ」
すっとそれを口元から取り上げようとして腕を捕まれた。
「煙管は面倒なんだよ」
取り上げるなと言わんばかりに握りつけられた腕は色が白く抜けていく。痛みよりも屈辱を感じ手を振り払うと当たり前のように男は笑っていた。
「いけ好かねぇ野郎」
「そっちもな」
俺達は互いの歳を知らない。生まれも知らない。知っているのは名前だけで、はっきり言って実力も知らない。前者は知る必要などないが、後者はいつか知るべきものだろう。それは今ではない。何度も言うが、この目の前の男が白夜叉より強くなったと言った時には必ず。
空が薄い色に変わる頃、俺は男に背を向ける。
振り向いて別れの言葉でもかけてやろうとしたら男は髪を掻き上げていた。朝の光の届かないこの場所で、瞳だけが光って見えた。
「美人だな」
「だろう?」
生真面目過ぎて軽口なんて叩かない男が俺の言葉に乗った。いつの間に冗談なんて覚えたんだと驚く俺に、土方十四郎という男はやはり笑った。
「ああ、言い忘れてた」
「あ?」
煙臭い室内に、この言葉だけが蒸散する。
「誕生日おめでと」
その花言葉桂と高杉 桂誕生日
夏なんて嫌いなんだと夏生まれの男は言った。本当は春や秋や冬が良い、一番嫌いなのが夏だ。と彼は言った。夏は良いじゃないか。確かに暑いが日の照りは植物を生かすし、夜の蒸し暑さも風流なものだ。西瓜や茄子や、うまいものも増える。ああ、お前の好きな祭りだって沢山あるじゃないか。俺は何故そんなに夏を贔屓するんだと言われんばかりにまくし立てた。いや、それは夏を嫌いだと言った彼に対しての妙な反発だったのかもしれない。
「夏は嫌いだ」
今度こそ彼は言った。だからまた俺は言う。お前の誕生日と言う祝い事があるのに何故そんなに嫌がるんだと。彼はふと考えた。そうだなぁ、と言って窓の外にぐんと身を乗り出した。ペキリと何かが折れる音がした。すぐに戻った彼の左手には薄青色の紫陽花が握られている。
くるくる、指先でそれを回しながら、彼はまだ考えている風だった。言わないならまあそれでもいいか、余計な詮索をするようなこともない。そう思って茶を手にとってぼう、としていた。いくらか時間がたって、彼がああ、と声を出した時、手中の湯のみは空になっていた。
「夏は暑い」
彼は言った。わかりきったことを言った。その手の中では紫陽花がくしゃりと潰れていた。「花も美しくない」
向日葵を嫌いだと言わんばかりに男は言う。彼は付け足して、俺は儚げな花が好きなんだと言った。
こんな風に、とぱらぱら紫陽花の花びらを畳に撒いて、くつくつと笑った。
「生まれた日が一番嫌いだ」
彼はそう言った。
生まれてこなければ醜い世界を見ることも大切な者の死も悲しみも憎しみも感じずにいられたと。八月十日が来る度に、ひとつ歳を取る度に、その後悔は深まるのだ、と。
「生まれてきたからには、俺の良いように生きる。世界も変えて、名を残すくらいのことをしねぇと」
なぁ狂乱の貴公子?
と、笑われて、俺は何か言い返そうとしたが、良い言葉が見つからずそれを諦めた。
「ああでも、こんなことを思うのは俺一人で充分だ」
だからお前は、と言って彼はこちらに酒瓶を転がしてきた。
「生まれた事に誇りを持てよ」
そしてもう一度窓に乗り出し、紫陽花を手折った彼はおめでとうと笑った。
「ありがとう」
それはくるり、と彼の手の中で回った。
だって心臓が痛んだ3Z 銀桂←土
彼は真面目を絵に描いたような人間で、また同時にすばらしく天然でもあった。ある意味希少価値であろう彼は俺の視界から、黒板に向かって斜め右前に座っている。
こんなに蒸し暑いのによくもまああの長い髪を下ろしていられるものだ。六月も終わる今、ここは梅雨まっただ中。しかも無駄に暑いし、湿気で配られたプリントはしなってるし、誰もがダラダラかイライラ、もしくはグダグダとしていた。というかしない人間がいたらびっくりだ。いや、いたんだけど。それが俺の右斜め前の彼。
先生が文章を読み上げる声が霞むのはこの蒸し暑さのせいだろうか。
あ、次のページだ。
ぼんやり目で追っていた文字の列が最後まで来て、その裏の最初に移る。それは別によかった。ただ教科書まで湿気っていて俺は苛々が溜まったのを感じた。それに加えて斜め前の鬱陶しい長い髪!
切ってしまいたい、ああ切ってしまおう。彼の髪を突然つかんで後ろからザックリ……なんていう妄想をしつつ。
せめて髪を縛ってくれれば見ている分には多少暑さが緩和されるだろうに。彼に聞いてみようか、結わないのか、と。ああ、聞かないとこのままか。それはどうにも嫌だよなあ。
「おい桂、」
俺は響かない位の小さな声で、彼に言った。
「…なんだ」
物凄く不審気な顔で見られ、俺は戸惑った。そこまで嫌な顔をせずとも、と思ったが気にしてなど居られない。
「テメェ髪縛れよ、暑いんだよ」
「“心頭滅却すれば火もまた涼し”と言うだろう?」
「心頭滅却してんのはお前だろ…見てるこっちが暑いぜ」
「俺は暑くないからいいんだ」
「俺が暑いんだ」
イライラと、しかし小声で呟くと彼は意外にも大人しく髪を結い上げた。
高く一つに結い上げられたそれ、いつもは見えない白い項が見えている。
(細っせぇ首…)
白いし、後ろから見ただけでは男に見えないかもしれない。その後ろ姿だけでは、誰もが一瞬女と間違えるだろう。
先生の声はもう、湿気に溶けてしまったように聞こえなくなっていた。
俺は彼の後ろから、彼が動く度に揺れる髪をじっと見つめる。
綺麗だと思ってしまう。否、実際綺麗だが。
皆がページをめくる音がした。慌てて俺もページをめくる。先生が教卓からこちらにむかってきていた。再び聞こえてきた、それでも霞んだ先生の声を聞きながら、俺は教科書の文字を辿る。ふと、先生が俺の斜め前で足を止めたような気がした。
チラッと目だけを動かして、先生を見てみる。
それは俺の勘違いだったのかもしれない。勘違いだったら良いと思った。
片手に教科書を持った先生のもう片方の手が、彼の項をするりと撫でた気がした。
瞬間自覚したのは、俺が彼を好きだということ。少し傷付いた心を隠すしかない俺は、また歩んで隣を通り過ぎた先生の目を見ることすら出来なかった。
そして君に似合いの花は土方と沖田
「俺はねェ、今この瞬間が幸せでさァ、こーやってのーんびり過ごして、庭に咲く花を見ながら煙管でも吹かせたら…俺の夢はそんでいーや、もう」
「年寄りくせーな、オイ」
隣でぐだぐだと寝そべる男に土方は言った。
「年寄りでいいでさァ」
沖田はふてくされた風にごろりと寝返りを打ってあ゛あ゛ーと声を上げる。うだうだしたくなる気分はよくわかる暑さの中、土方は庭に目をやった。《風流を感じる》とはこういうことか、と実感できるその美しさは庭師の手入れによるものだ。
簡素な石砂利の庭に夏椿の木が一本、花を豊富につけていた。
「まあ、その若さで年寄りって言ったら俺はどうなるんだってことだが、」
「死人でいーんじゃねーですかィ?」
間髪入れずに返事をされて、土方は一瞬言葉をつまらせた。そしてすぐにため息をつく。
見かけは少年で、心は年寄りで、そのくせ血の気が多い大人で、実際は十八歳で、そんな複雑な年頃をメリケンではモラトリアム人間と言うのだと土方は知っていた。
そんなモラトリアム人間であろう沖田はもう一度寝返りを打った。
社会一般大衆の意識では二十も過ぎれば大人だろう。しかしその寸前は狭間で、思春期というものはなんとも面倒なものかと、とうにその過程を済ませた土方は思った。
「お前はまだ、子供だよ」
「突然なんでィ、死人野郎め」
そこでようやく起き上がった沖田はうぁぁ、と一回大きな伸びをして庭の木に目をやった。
「あ、沙羅双樹」
まるで刀で斬られたかのように、パタリと花が落ちた。花びらはまだ白く艶やかなのに、それは自らの首をもぐ。
沖田はふふっと笑ってから視線を土方へと向けた。
「俺は刀をとった日から、子供とか大人ってもん捨ててんでさァ」
沖田は、笑った。
(子供の自分にサヨナラを告げて)
モラトリアム: 肉体的には成人しているが、社会的義務や責任を課せられない猶予の期間。また、そこにとどまっている心理状態。
肩書きの始まり、幼き日の終わり土+沖 殺伐
「小姓にでもなりゃよかったのに」
「…巫山戯んな」
まだ幼さの残る顔を覗くと苦虫を噛み潰したような表情がそこにあった。
「俺は何も出来ねぇ餓鬼じゃねぇでさ」
ああ、いつからか俺はこの子供の事を先輩と呼ばなくなった。いつからだろうか、それは酷く最近だったような気がする。副長と一番隊隊長。慣れない洋服に身を包んだ俺と少年は立ち尽くす。
「嗚呼、殺人罪には問わねーでくだせぇよ」
いつからか、少年は分別をわきまえる人間に変わっていた。俺が副長、彼は隊長、話し方は敬語で。そして足元に転がる死体と、死体と、死体。
「殺人罪なんて甘っちょろい刑じゃねーだろこれは」
「正当防衛って言葉知ってやす?」
知っていると呟いて、そしてまた小姓になれば良かったのにと俺は言うのだ。
「そんなに小姓が欲しいんですかィ?何の為に?性欲処理?」
「違ぇ」
ただお前が可哀相だと思っただけだと言ったら怒るだろうか。ああ、きっと怒るだろう。余計なお世話だと言って、拗ねてしまう。まるで子供のように。
「後戻りは出来ねーぞ」
「上等」
この瞬間、彼は子供を捨て、大人に変わった。子供の面を見せずに生きる少年に、俺はまた同情と悲哀を覚え、ひとり泣くのだ。
君の気まぐれと、「」音大パラレル 銀+沖
遠くからG線上のアリアが聴こえる。
低く、低く、低く。G線の上をなぞるソレ。正直に上手いと思う。これは沖田の音か?
やっぱうめぇなぁなんて思って目を閉じたら、どっかからまた違う音が聞こえてきた。音大だしいろんな楽器が聞こえてくるのはふつーだけど、俺としてはそのヴァイオリンだけを聞いていたかった。だってあのいつもダルそうな彼が(と、同じ位ダルそうにしている俺がいうのもアレだが)こんなに本気で弾いているのも珍しい。
あいつの心境に何が起こったんだろうかなー。と思いつつもとだるくて動きたくはない。
「ねみぃー…」
アリアはまだ聞こえる。ああ、いま、これ、ヴィオラが混ざった。もしかしてこれは土方か?アイツもうめーのになんで学内であんま有名じゃねぇのかなぁ。あ、ちげーや、無駄にかっこいいとか言って有名だわ。
あ、なんだこれ、またヴァイオリンが混ざった。沖田のヴァイオリンに混ざるようにどんどんアリアを弾く奴が増えていく。沖田っつうのはすげえ奴だ。皆があいつの音についていく。
だが、突然沖田の音はピタリと止まった。人に邪魔されるのが嫌だったらしい。止まったかと思ったらまたすぐ超絶技巧を始めやがった。どこまでも面白い奴だ。俺はそのまま眠りに落ちる。
奴らが来るまでの間の短い時間だが、彼の本気のヴァイオリンを子守歌にするのも豪華で悪くはないだろう。
G線上のアリアはもう聞こえない。
嗚呼、ただ寂しかっただけだよ土+沖
泣く理由があるのかと聞いたら、泣く理由はないが泣きたい理由ならあると言われた。何が違うんだとまた聞けば、涙は出ないんだと言う至極当然の答えが返ってきた。
「だから、そう、独りにはしないでくだせェ」
独りが嫌だと泣きそうな少年は言う。
「下らねー質問でいいから続けてくだせぇ」
琥珀の瞳にNOとは言えず、天気はどうだとか晩飯は何だとか本当に下らない質問をし続けた。そんな俺にそうですねィ、とかああうん、と適当な言葉を返す彼はどこか上の空だった。
「寂しいのか」
「さぁ?」
「構って欲しかったんじゃねーのかよ」
「違いまさァ」
「じゃあなんだ」
「さてねェ」
不毛な会話だと思いつつ、俺も彼の心情が知りたくて問い続ける。
「何かあったのか?」
「いーえ何も」
「じゃあ何で来たんだ」
「なんとなく」
乾いた畳に伏せた彼に触れようかどうか迷っていた手を煙草に持ち替えて、火を付けた。
彼は今なんとなくここ(副長室)に来たと言ったが、なんとなくではなく独りが嫌だったからだということは知っていた。そして泣きたい気分だと言って部屋の隅に横になった。何故泣きたい気分だったのか、俺はそれが知りたかった。
教えることをしないのは何故か、
「独りで抱え込むのは美徳じゃねぇぞ」
「美しさなんて端からありやせん」
「じゃあ言えよ」
「学のないあんたにわかるんですかィ?」
学がないのはお前だろうにと言うと、彼はふと息を吐いた。
「生まれながらの才能を持つ俺、努力家のアンタ、人生の成功者はどっちか」
「は?」
「答えは後者。俺はアンタが死なねー限り副長にはなれねぇし、いつまでたっても近藤さんからは子供扱いされるし、ああちがうそんなんが言いたいんじゃなくて、ただアンタが羨ましいんでィ」
混乱していたといえば混乱していた。結局彼が言いたかったのは俺が羨ましいと言うことだけか?いや違うもっと何か重要な。
「おい」
「………」
いつの間にやら愛用のアイマスクをつけていた彼はもう何も答える気はないようだ。眠たくなったのか涙を隠す為なのかわからないが、ただ、不思議な奴だと思って、それから、もう少し側に居ようと思った。
(涙の軌跡を知るのは赤い赤いそれだけだった)
青春を謳歌せよ!沖+神→銀
視線の先には今日もお前だ。赤と紫、そして青色。お前はどれだけ眩しい色をしているんだ。こんなにも明るい太陽の下で。
「ちょ、お前どけヨ」
些か女とは思えぬ言葉遣いをしやがるこいつは俺より4つも下のガキンチョだ。
「嫌だねィ」
バズーカ背負ったまま、俺は道路の真ん中で仁王立ちして一触即発の状態だ。こんなことで我慢も出来ないようじゃあ俺もガキンチョだが、まあそんなことはいいんだ。充分わかってるから。(俺はまだまだ子供なんだ)
俺らはいわゆる喧嘩友達みたいなもんだ。いや、友達だなんて思われるのは酷く心外だが、端からみたらきっとそうなんだろう。
大人から見たら、俺らの小競り合いは単なる遊びにしか見えないのかもしれない。当の俺らは真剣なんだけど。子供だ子供だと言われている内がまだいいのかもしれない。だって子供の喧嘩にゃ警察は来ないけど大人同士の喧嘩には警察が来るんだ。いや、その警察は俺だけど。
「ちょ、マジどけやサド男!」
「おーい駄目だよ神楽ちゃんそんな口汚い言葉使っちゃ」
「! 銀ちゃん!」
俺の前、つまりチャイナ娘の後ろからだれた声が聞こえて、彼女は嬉々として振り返った。わかりやすいなぁ、なんて思いつつも、交戦を邪魔されたような気分になって苛つく。
目を輝かせた表情で男を見つめる彼女は幼い少女よりすこし大人びていて、なんとなく面白くなかった。あと、若さを羨んだりした。
「んじゃ俺ちょっくら出掛けっから、うちの神楽ちゃんをよろしくな総一郎くん」
「総悟です旦那」
万事屋の前でそんなことを言われた午後三時。
行ってらっしゃーいと可愛らしく言う声を聞きつつ俺はアフタヌーンティにでも決め込むかということばかり考えていた。
「そろそろ決着つけて茶でも飲みたくねーかィ?」
そう言ってバズーカを用意、発射。
「ワタシだって三時のオヤツを逃すわけにはいかないアル!」
その言葉と同時に間髪入れずに飛んできた傘弾丸をよけながら俺は走り出した。おいおいどうやってバズーカの攻撃から抜け出したんだ。まあそれも聞くだけ無駄だとはわかっていたが。
(ねぇ、走り出した僕らのたどり着く場所はきっと同じだ!)
イレギュラーライン桂+高 3Z銀桂・坂高前提
例えば男の欲望なんて単純なもんで、生でヤりたいとか思うわけだ。それが女だと妊娠なんていう心配があるけど男じゃそんな心配もない。だから俺はお前と寝るんだ。
「って辰馬が言ってた」うららかな天気と、屋上の爽やかな開放感とは裏腹な高杉の言葉に桂は絶句する。
「お前はそれでいいのか…」
「問題ねーよ」
愛の形は人それぞれって言うだろ?と、コンクリートに煙草を押し付けながら高杉は笑った。
「しかしあの坂本先生がそんなことを言うなんて」
笑い顔しか見たことないぞ俺は、と桂が感心したように言えば、それは俺だけの特定なんだよ、と高杉が言う。
「おまえの方も意外だぜ?」
「なにが?」
桂は首を傾げ、きょとんとした顔で高杉をみる。
「銀八がノーマルじゃなかったことだよ」
「ああ…それか」
桂は少し苦笑すると恥ずかしそうに髪をいじりながら答えた。
「先生は今でもノーマルだよ、きっと。」
「お前だけ特別、ってか?」
「いや、そうじゃなくて…やっぱり男より女だろう。普通は、」
かわいらしい心配じゃないか、と高杉は思う。実際銀八はホモセクシャルではないがだからと言って男がだめだというのもない。(大体、男がだめなら桂と付き合ってはいない)
「ヅラ、お前さぁ自分から銀八に好きだとか言ったことあるかよ」
「ヅラじゃない、桂だ」
「や、だから言ったことあるかよ」
「ない…かな」
ああ、そりゃだめだって、と言ってやったら桂は目をぱちくりさせて何が駄目なんだと言ってきた。天然過ぎるのも困りものだと思って、一から説明してやろうとも考えたがやめた。
「今日の帰りにでも言ってみろよ」
少しの悪戯心で提案すると、桂は俺の下心に気付いていない様子で頷いた。…銀八の驚いた様子が目に見えるようだ。
この可愛らしい幼馴染みも大概俺に影響されているな、単純と言おうか馬鹿と言おうか。ただ煙草だけは自ら率先して好くことはないらしい。
そんなことを思いながらポケットから取り出した煙草に火をつける。
「今度ライターでも買ってやろうか」
「銀八にか?」
「お前にだ」
「…ありがとよ」
こんな会話が銀八にばれたら殺されそうだ。きっとアイツは桂からプレゼントなんて貰ったことないだろうし。
「あっ」
「どーしたよ」
たまに素っ頓狂な声を出す桂にももう慣れたなぁと思いつつ、思い切り煙を呑んでいると、彼は髪を指差して虫が絡まった!と叫んでいる。
「はぁ?虫ィ?」
「取ってくれ!」
「へいへい…」
誰に何を言われても切らない自慢の髪に虫が絡んだことが嫌なのか、虫事態が嫌なのか、いまいちわからない所だったが、激しく嫌がっている様子からしてきっと両方だ。早く取ってやらないと怒られそうだ。
自慢だけあってさらっさらの髪に(どうやって絡まったのかわからないが)ついた虫を取ってやった。
「ほら、とれたぞ」
「ありがとう高杉っ」
「どう致しまし…うおぅっ!!」
「おーいヅラ…あ?」
俺が桂のタックルを受けたのと銀八が屋上の扉を開けたのはほぼ同時で、
「ちょっ、おいいい!」
「いや、ちげーって!」
銀八が鬼の形相で俺に迫ってきたのと、俺が叫んだのも同時だった。
銀八は俺にひっついたヅラをべりっと引き剥がすと思い切り睨んできた。
「てめ…ヅラになにしてんだ」
「ちげーって!いま俺タックルされてたじゃねえかよ!!」
思い切り叫んだら煙草のせいか喉にきた。
「ちょっ、ヅラ、どうなの?」
「ヅラじゃありません桂です。あといまのは愛情表現です」
「おい話をややこしくすんじゃねぇ!」
「たーかーすーぎ―…」
ああ、もう。こいつといると不幸なことが起こるなぁ、この教師と天然な親友のせいだまったく!
しかしまぁ、煙草に寛大な教師だしちょっとは許してやっても良いかなぁなんて思ってしまったり。
「おい高杉離れろっての!」
「違えって!ヅラがくっついてくんだよっ!」
ああもうまったく、俺って奴は!
(どこまでもお人好しな馬鹿だな!)
今日、僕は、君を沖桂
最初は、目の前で揺れ動く長い髪が気になっただけだ。他意はなかった。ただ、尻尾のようなそれを捕まえたいと思っただけで。
「かつらああああ!!」
バズーカを吹き飛ばすのは毎度の事。向こうも慣れたのか余裕でかわしてしまう。つまらないわけではないが、刺激が足りない。もう少しだけ、近づきたいと思った。
俺とヤツが運命的に出逢ったのが橋の袂だ。そこに、血の臭いのする僧侶がいた。俺らと同じ、殺めた時の血の、臭いのする――――
*
突きつけられた刃は、肩を掠めていた。
油断した、としか言いようがない。まだ20にも満たないような子供に何が出来ると高を括っていた。それが間違いだった。
俺は、変装をして歩いていた。最近出来た真選組という奴らと会わないように、会ってもばれないようにと笠を被っていたのだが、奇妙な服を着た少年とすれ違った瞬間、髪を思い切り引っ張られた。あまりの殺気に反射で刀を抜てしまったのが間違いだった。一瞬笑ったように見えた少年は刀を振り上げた。そのままなし崩しに始まった交戦で、気付けば俺は追い詰められていた。刀が利き腕を潰そうと動くのがわかったが、結局、肩をやられてしまった。
俺より少し低い目線を合わせ、蜂蜜色の髪と目をきらきらとさせたまま彼は、「ガキだからって油断したろ」と笑った。
「誰だ貴様っ…」
「真選組一番隊隊長、沖田総悟」
「……」
「神妙にお縄につけ、桂小太郎」
しまった、と思うよりも彼が俺の名を呼んだことに気を取られた。彼は黒い笑みを俺に向けながらぐいぐいと刀を肩に食い込ませてくる。痛みはあったが、顔になど出したくなかった。
*
あんまりにも簡単に捕まえることが出来たソレに俺は落胆した。すれ違った人間からした拭いきれない血の臭いに、俺は確信する。大きな獲物だと。それなのに簡単に捕まえられた。そんなの、つまらない。捕まえた瞬間指名手配犯の紙の中にいた人物だということに気づいた。ああ、これを捕まえていけば副長の座も貰えるかな、なんて考えたりもして。
痛みを堪えてか、きつく噛んだ小さな唇が白くなっている。この人間は俺よりも年上の筈だが、年上ばかりの環境で生きてきた俺から見たらまだ若い方で、そのくせ俺の知っている一番血の気の多い男よりキツい血の臭いがしていた。だから、つい、桂小太郎という男の生きてきた世界がどんなものなのか見てみたいと思ってしまった。壁から刀を引き抜くと同時に桂は顔を歪めて痛みを表したが、すぐに冷たく睨んできた。体格は五分五分だ。間髪入れずに首を壁に抑えて(半分位本気で)締め上げた。
「…っ」
苦しむ顔が綺麗で良いと思う俺は大概Sだ。
「…今日は逃がしてやらァ」
少し考えてから手を離した。苦しげに酸素を求めて壁づたいに座り込む男に心底見惚れてる俺がいた。
「なぜっ…」
敵に情けを掛けられるなんてごめんだとでもいうような顔で睨んでくる男を見下ろした。
「ガキは玩具に弱くてねィ」
笑って、やった。
*
「ガキは玩具に弱くてねィ」
その言葉がずっと耳についている。あのとき笑った、彼の声が。彼は笑った。端正に整った顔がとても憎く見えた筈なのに、今でもはっきり覚えている。
にこりとまでは笑っちゃいないが、それでも笑ったあの顔は、綺麗だったんだ。
「くそっ…」
あんな子供に、
あの日俺があいつと会ってから、真選組はどんどんと有名になっていった。新聞、テレビ、報道機関であの蜂蜜色を見るようになった。あの時の笑顔はない。
突然に激しい爆発音が聞こえた。身構えたが、それはテレビから聞こえてきた爆発音。アナウンサーの声が、真選組についての説明をしている。特番らしい。
ちらりと見ると、いつもの無表情であの蜂蜜色がいた。
そして、小さな箱の向こう側で、彼は言ったのだ。
「捕まえに行くから待ってやがれ、桂!」
心臓が、跳ねた気がした。
(ああもう、俺はお前に捕まってしまった!)
that is not sweet3Z 高桂
なんというか、彼は変わっていると思う。
「なんでわざわざ学校で吸うんだ?」
「…バレたいんだよ」
しれっと言った彼と俺は屋上の上で2人きり。その煙の香りは、いやにヤニ臭くて鬱陶しい。
「隠れなきゃ良いじゃないか」
「それもそうだ」
彼はどこか楽しそうだったが、なにが楽しいのか俺には理解できない。
「吸うか?」
「いらん」
差し出してきたそれは無視しておいた。煙草はそんなに好きじゃない。
人からは真面目だと言われる俺だって煙草は吸ったことがある。(まあ何が面白いのかわからずにやめたが)こういう時思うのは、「真面目かどうかと問われたらイエスと答えるけれど、普通かどうかと問われたらノーだと思う」ということ。人の言う普通ほど不明瞭な物はないし、俺は自分で自分が人の言うフツウではないと知っている。
だからこうして昼休みが終わった今もここにいるのだ。良い子の常識に反していて多少の罪悪感があったとしても、気にすることも出来ない。(隣には非常識人がいるからだ)
「……煙い」
「じゃあどっかいけば?」
冷たいなお前も、と内心傷ついたが表には出さないようにした。あからさまな表情をしたらなんて笑われるか目に見えている。
「どこにいけというんだ」
「フツーに教室戻りゃいいじゃねェか」
そう言って思い切りこちらに煙を吹きかけてきたものだから、その副流煙にむせてしまった。まったく、お前の吸う煙より俺の吸う煙の方が数倍毒だと何度言ったらわかるんだ。というかそれより、どうしてそんなに俺を避けたがる。やっぱり傷付く。
「今更戻れるか」
少し投げやりに言ったら、お堅いなァ、と返事が返ってきた。
「堅くない」
だからこうしてここにいるんじゃないかと言おうと思ったが止めた。どうせ「その考えが堅いんだよ」とかなんとか言われるに決まってる。そんな事を思っていると、隣の彼が動いた気配。とんとん、と二回肩を叩かれて、顔を向けると瞬間、視界がふさがれる。
「んっ!?ッ…ゴホッ……ッ」
視界をふさがれ見えない中で、唇も塞がれた。流れ込んできた煙を拒もうにも拒めず、むせ込んでしまった。
「……ッゴホ……な、にをするんだお前、は」
「頭の堅いお前に柔らかくなれるのをお裾分け」
「ゲホッ……意味が分か、らん」
いつの間にやら、彼の手の中の煙の元は足元で小さく潰されていて、あれ、と思った時には俺の視界は空を向いていた。
「屋上でヤるとかロマンだよな」
「なんだそれは」
「お堅い奴には、わかんねーよ」
見下ろされたまま笑われて、余りいい気分とは言えなかったが、彼の笑顔には叶わない。厭らしい顔で笑うなと叫んでやりたかったが、それすらも2度目のキスで消えてしまった。着々と追い詰められていく。
「発情期かッ………」
「まーな」
唇が離れた刹那に声を上げるが、彼はニヤニヤと笑うだけで止めようとはしない。それどころか、着々と俺の学ランのボタンを外している。
「高ッん……」
抗議の言葉はすべて消される。胸元に手のひらが触れて、その肌と肌の擦れる感覚に身体は正直な程反応してしまう。
「………ッ、ふ……」
肌が外気に触れて、その寒さに身震いする。手を伸ばし、彼を抱きしめる。するとそれまで肌を撫でていた手がぴたりと止まり、彼は起き上がった。近くでチャイムが鳴っている。時間からして六時間目が終わった音だ。
「タイムオーバー」
ひらりと手をあげてため息のポーズを取った彼は俺に手をさしのべる。六時間目の後はSHR、せめてこれに出ていないと高杉の出席日数は危ないらしいが。
「あり得ん……」
「そりゃ悪かった」
中途半端にやられたこっちの身にもなってみろ、最悪の気分だ。
「全く、お前の方が頭が堅いな」
律儀に日数稼ぎなんて、と揶揄ってやるが彼は全く気にしていないようだ。新しい煙草をくわえた彼に「もう戻るんだろう?」と言ってやった。
「なんとでも」
彼の手に頼って起きあがる。その手はまだ熱を持っている。
「お前も我慢してるんじゃないか」
「続きは、今夜な」
彼は肯定も否定もせず、口元だけで笑うとそのまま歩き出した。
手を深く繋いだまま、俺達は駆け出した。それに火はつけていないのに、彼からは濃い煙の匂いがした。
( It was bitter )